霜月の夕暮れ(86)

1月14日の水曜日に吉子は上野の病院を退院となった。天候も良く、穏やか日和だった。自宅には直接に帰らず田端駅に近い介護老人保健施設に預ける事にした。そこで、しばらくリハビリをやってもらうのが目的である。
はじめは墨田区にあるリハビリ専門病院を希望していたのだが、脳血管障害によるリハビリではないからと言われ入院希望は受け入れてもらえなかった。
リハビリ専門病院と比べると介護老人保健施設のリハビリは週3回、1回が20分間と少ないが、何処も公的病院は高齢者のリハビリには受け入れ窓口が極端に狭い気がする。リハビリ専門病院だと1日が40分間、週7日間(休日を含め)のリハビリが受けられるのだが…医療保険が崩壊しかかっている現在の日本の実情では仕方がないのかもしれない。
それでも、このまま田端の実家に帰るよりは少しでもリハビリをやって欲しかった。
介護タクシーで午前中に病院を出て田端の方に向かったので、吉子は実家に帰るものと勘違いしていた。昨日の内に随分と説明はしたのだが、帰宅願望が強いのか忘れているようだった。言葉こそ出さないが、田端駅近くから実家とは別の方角にタクシーが向かったので不思議な表情となった。
昼少し前に、目的の老人保健施設に着いた。
「お母さん、綺麗な建物ね。食堂も広々としていて気持ちが良さそうだわ。ここだと、ゆっくりとリハビリも出来るんじゃあない。車椅子のままではお母さんも何かと不自由でしょう…」
そう言われて、吉子は何とか頷いた。総合病院での入院生活は、わずか14日間だったが基礎体力はすっかり落ちて、車椅子で移動するのがやっとである。もちろん言葉も十分には出ず、何かを話そうと思うたびに気管切開部から息がもれて吉子をイラ立たせていた。
「お母さん、大丈夫よ。その内に手術の跡は塞がるから…そうしたら、また普通に話せる様になると病院の看護師さんも言っていたでしょう」
そう言って、伸枝は吉子を慰めた。
食事は五分粥がやっとだった。その五分粥にもトロミを付けてもらい誤嚥防止に気を付けた。この正月の餅騒動では入院となり、吉子のADL(日常生活動作)はかなり低下した。認知症患者さんへの介護は一歩進んで、二歩後退というリズムが一般的なのかもしれない。それでも決して諦めない、患者家族のこの強い姿勢があってこそADLの低下も認知機能の低下も相当に防げるものだと思う。
自分の仕事の忙しさや、子供の受験やらで家族の介護の手を緩め、他人任せになると高齢者の認知機能は急激に悪化して行く。多くの家庭には夫々の事情がある。一人の高齢者にばかり拘わってはいられない。それは余りに当然の流れである。しかし、その当たり前の事情と認知機能の低下は別の問題である。筆者の個人的な事情を話す事が許されるならば、私の母がクモ膜下出血で大学病院に入院した時は、その56日間というもの私は休日も関係なく一日として母の見舞いに行かない日はなかった。それが良かったかどうかは分からないが母は幸いにして何の後遺症も残さず、四肢の機能に少しの障害も出なかった。私の個人的な話で読者に不快感を与えてしまったとしたら、どうかお許し頂きたい。たまたま私がその様な見舞いに出かける事が許される環境にあったに過ぎないのだから…
次回に続く
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