霜月の夕暮れ(91)

妹の静子から旅行の許しをもらっただけで、自分を取り巻く空気が少し楽になって来た。何処に行く当てがある訳でもないが、ともかく田端の実家から何日間は離れたかった。
3月19日が手術予定日だったので、その経過だけは見届けたかった。2年前に右大腿頸部骨折を起こし、今回は左大腿頸部だ。手術経過と要領はほとんど弁(わきま)えているつもりであった。それ程の大手術でもない。予想通り、全ては順調だった。21日の土曜日に姉妹二人で母の見舞いに出向く。
二人の娘を見て吉子は機嫌が良かった。食欲も旺盛で顔色もすぐれていた。伸枝が話を切り出すには良いタイミングであると考えて、
「お母さん、私しばらく仕事で見舞いには来れないの。今度の月曜から一週間ぐらいだけど、その間は静子が来るから大丈夫よね」
そう言われて吉子の顔に少し陰りが浮んだが、何も言葉には出さなかった。静子が横から…
「お母さん、わずか一週間かそこらだから直ぐよ。私だって居るしね」
と、静子も横から母を宥(なだ)める様に言葉を添えた。それでも吉子は甘える様に伸枝の顔を見つめた。
「なるべく早く私の元に戻って来てね…」
とでも云った、眼差しである。
静子は、そんな母の心の奥底には無関心であったが伸枝は心が引きずられる様な痛みを覚えた。やはり静子に頼むのは止めて、このまま以前と同じように毎日病院に通って母の見舞いをしつつ、認知機能の改善に努力すべきではないかと迷い始めた。認知機能の改善は、ただ直向(ひたむ)きな努力があるのみだ。母の心を思うと、当然の如く静子ではなく自分が最後まで母の世話をすべきだとは思うのだが…。
そうは思いつつも、やはり伸枝は自分自身を取り戻したかった。ここで一週間ほどの一人旅を実行する事により、さらに母に優しくなれる様な気がしてならない。先ずは自分の心のバランスを保ち、魂の静けさをただ追い求めたかった。
23日の月曜から、伸枝は新幹線で広島に向かった。広島駅からJR山陽本線に乗り換えて約30分でJR宮島口駅に着いた。そして宮島口港からJR西日本宮島フェリーで10分間のわずかばかりの船旅を楽しんで宮島港にやっと到着した。
24年ぶりの厳島神社だ。あの時は夫の俊治が一緒だった。あの時と同じ旅館「岩惣」に運良く、予約が取れた。
宮島港から紅葉谷公園内をゆっくりと散策して「岩惣」に至るが、公園内では鹿が所々で遊んでいる。宮島には、野生のニホンジカが約500頭生息している。奈良公園に生息している鹿は1200頭と言われているので、それよりは少ない。公園内ではソメイヨシノが美しく咲き乱れている。24年前、俊治と来た時は紅葉の真っ盛りであったが桜の季節もまた見ごたえがあって、伸枝にとっては「命の洗濯」そのものを味わう様であった。
宿泊先の「岩惣」は、創業1854年、世界遺産「宮島」にある伝統の宿で、厳島神社から徒歩5分の場所にある。匠の技と歴史を感じる3種類の部屋があって、宮島では希少な温泉を愉しめる大浴場、地の恵みを感じる料理が自慢の宿である。
今回の一人旅は、ブラジルにいる俊治の提案で「厳島神社」への旅行も夫の勧めに従ったものである。女一人で、この様な高級な宿に泊まる事に躊躇(ためら)いはあったが、それもこれも俊治の優しい心配りであった。
次回に続く
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