霜月の夕暮れ(92)

朝10時に田端の実家を出て、宮島岩惣に着いたのは午後5時半だった。宮島港に着いて神社境内をぶらぶらしたり、紅葉谷公園で鹿に餌をやったりで1時間以上は道草を食った分だけ岩惣に着くのが遅くなった。元々が特別に急ぎのある旅行でもない。俊治と結婚して1年後に来た時のような「ときめき」の旅ではなかったが、4半世紀を経て「鎮魂」の旅を求めて来たのかもしれない。伸枝はボストンバックの中に2冊の詩集を入れていた。一冊は石川啄木「一握の砂」で、もう一冊は中原中也「汚れっちまった悲しみに…」の二冊である。先ずは旅館に入って宿帳に名前を書く。仲居は遠慮がちに、
「お一人の旅ですか?」
と、聞いて来たので…
「えぇ、主人の海外出張が長いものですから」
と、答えた。
「そうなんですか、余計な事をお聞きして失礼しました。それでは、どうぞごゆっくりなさって下さい」
そう言って、仲居は引きあげて行った。伸枝は出されたお茶菓子を口にして、しばらく窓の外に映る風景を楽しんでいた。それから露天風呂に向かった。風呂場の中は人もまばらで身体の底から寛げる雰囲気であった。1時間以上も露天風呂を楽しんだ。午後7時から夕食となった。贅を尽くした日本料理で、とても一人では食べ切れない。ビールも一本注文するがグラス一杯で十分だった。食事を終えてテレビを見るが、特に興味を引く番組もない。他に話す相手もいないので持って来た詩集の一冊を取り出した。中原中也「汚れっちまった悲しみに…」を読みだす。
「汚れっちまった悲しみに
   今日も小雪の降りかかる
   汚れっちまった悲しみに
   今日も風さえ吹きすぎる
 
   汚れっちまった悲しみは
   たとえば狐の革裘(かわごろも)
   汚れっちまった悲しみは
   小雪のかかってちぢこまる
  
   汚れっちまった悲しみは
    なにのぞむなくねがうなく
    汚れっちまった悲しみは
    倦怠(けだい)のうちに 死を夢(ゆめ)む
 
   汚れっちまった悲しみに
    いたいたしくも怖気(おじけ)づき
    汚れっちまった悲しみに
    なすところもなく日は暮れる…」
高校時代から幾度ともなく口にした中原中也の詩ではあるが、読むうちに伸枝の頬から何時しか涙が溢(こぼ)れおちて来た。
その涙に伸枝の心は少しづつ洗われて行く感じがした。そして幾度となく同じ詩を読んでは、頬を濡らしていた。自分でもおかしいくらいに詩の世界に耽溺した。暖かい蒲団の温もりに包まれながら、何時しか夢の世界から眠りの世界へと意識は移り変わって行った。
次回に続く
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