霜月の夕暮れ(94)

ともかく日本人の好きな花の一番は「桜」が断トツで、次いで「バラ」と「チューリップ」が交互に2位を競い合っている。
日本人は何故こんなにも「桜」が好きなのであろうか?
満開の華やかさが良いからか、それとも散り際に儚さやもの悲しさを感じられるのか?
あるいは日本人が持っているDNAがそう感じさせるからだろうか?
いずれにしても桜は、咲いても散っても良いもんだ。そんな為か「桜」の詩歌は多い。
【桜花今そ盛りと人は云へどわれはさぶしも君としあらねば】(大伴池主・万葉集4074) 
意訳:桜の花は今こそ盛りと人々は言うけれど、私は寂しい、あなたと一緒ではないから
【世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし】(在原業平・古今集53)
意訳:この世の中に全く桜というものがなかったら、きっと春の心はのどかであろうに(あぁ、ながめているだけで胸がさわぐ)
【色みえでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける】(小野小町・古今集797)
意訳:(桜の花が咲いてまた散るように)目立っては見えないけれど、移っていくものは、人の心の花であることだ
近代では
「桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり」
岡本かの子 などが興味深い。
現代となると
「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる」
俵 万智 
なども一興である。
18才から20才ぐらいの思春期に伸枝は一時、詩歌の世界にのめり込んでいた。何時でも詩集の一冊はバッグの中に入れてあった。
片思いや家庭内でのイザコザなどで、心のバランスを乱しかけた時は常にそんな詩集の一冊に助けを求めていた。ランボーも、その中の一人だった。
夏の感触:アルチュール・ランボー
【夏の青い黄昏時に 俺は小道を歩いていこう
草を踏んで 麦の穂に刺されながら
足で味わう道の感触 夢見るようだ
そよ風を額に受け止め 歩いていこう
      一言も発せず 何物をも思わず
無限の愛が沸き起こるのを感じとろう
遠くへ 更に遠くへ ジプシーのように
まるで女が一緒みたいに 心弾ませ歩いていこう】
そんな若き日の思い出に浸りながら、伸枝は旅館に戻っていった。
「お帰りなさいませ」
と、昨日の仲居が急ぎ玄関先に出て来て愛想の良い笑いを浮かべた。
次回に続く
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