霜月の夕暮れ(99)

それら遺書の一つづつを読むにつれ伸枝は目頭が熱くなるのを、どうしても禁じ得なかった。遺書の多くは毛筆で堂々と大書されている。中には鉛筆文字もあったが。
「字は体を表す」と、
昔から言われているが、この威風堂々たる毛筆から考えて、今の若者のへなへな文字は一体どうなっているのであろうか。
やはり、それだけ精神が脆弱(ぜいじやく)化したと考えるべきなのか。現代の私たちは、あの若くして亡くなった特攻隊員に顔向けが真面(まとも)に出来るのか…
伸枝は改めて深い疑問を抱いた。
国の為に若き命を散らした英霊や、祖先の御魂(みたま)に献げる敬虔な想いが現在の日本人からは随分と稀薄化している様な気がしてならない。自分達に命を授けてくれた生命の流れに、もっと畏敬の念を持つべきだろう。
古代中国では3年も喪に服した事実が知られている。祖先の霊を3年にも渡り祭り続け、一切の公務には付かなかったとの話もある。
合理精神と利便性のみを追求する現代社会では、考えられない時間の流れである。
「科学万能主義が、本当に私たちを幸福にしてくれるのか?
霊魂崇拝は時代遅れの遺物なのか…核ミサイルも原爆ドームの遺跡も科学万能主義が生み出した、余りにも大きな副作用と言わずして、何と説明がつくのか!」
知覧からの帰りのバスの中で、伸枝は自問自答した。昼食を摂る事さえも忘れていたが、空腹感はまるでなかった。
さらに伸枝の疑問が続く…
「科学の進歩が我々を必要以上に忙しくさせているのではないか?
情報の氾濫とコンピュータの処理能力が加速化するにつれ、人間の精神が追いつかなくなってはいないのか!…現代社会の心の病、その多くは膨大な情報量に人間が翻弄されているせいではないだろうか。長い間、雑誌記者などと云う職業に携わっていた分、自分もそんな現代病に侵されていたかもしれない。何かを早急に結論を出したがる現代病、それらはコンピュータに従属して行けば必然的に付きまとう副作用なのだ。
あるがままの自然を受け入れて行くと云う生物本来の特性が日々失われ、常に何かに追い立てられ情緒を不安定にしている。
母、吉子との関係もそんな所に幾らかは起因してはいないのか?
認知症ならば認知症で、上手にこれからの人生を楽しんで行く方法があるのでは…なにも焦る事はないのだ。認知症、それも老化現象の行き着く先ではないか。人間としての自然の流れなのかもしれない。いたずらに科学の力を過信して振り回されていたのではないのか、これまでの自分は!」
そんな堂々めぐりの思考を繰り返している間に、バスはまた指宿に戻って来た。宿に戻り、また昨日の「砂むし温泉」で、ゆっくりと身体を暖める。全身の発汗とともに、これまで母の介護で悩み、行き詰まっていた心の襞(ひだ)の塵(ちり)が全て洗い流されて行くような爽快感を覚えた。
7時、夕食の膳に着く。急に空腹感を思い出した。ビールも少し飲んだ。何もかもが美味しかった。
次回に続く
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