想い出は風の彼方に(3)

それには医者になるしかない。精神科医になって、人間の心の問題を追い続けたい。16才の夏、私は熱い思いで自分の将来を夢見ていた。
それ以前、私はキェルケゴールの『死に至る病』に魅了されていた時期があった。出だしは新約聖書『ヨハネによる福音書』第11章4節で引用されている「この病は死に至らず」の話を紹介する文章から始まり、「死に至る病とは絶望である」と「絶望とは罪である」の二部で構成されている。そして絶望とは自己の喪失であるとも書かれてあった。16才と云う多感な年頃である。15才の年から…
「人は何故生まれ、何故死んで逝くのか?」
と云う命題に、悩みぬいていた。
高校受験を直前に急に吐出した疑問である。中学校の教師も、周りの大人も誰も正面から答えてはくれない。
中学3年の担任教師は、
「ろくな成績も取れないくせに訳の分からない質問をしてくる」
と、進学相談に訪れた父親を責める有り様だ。大人への不信だけを日々募らせていた。
いつもは怒る事しか知らない父親が、この時ばかりは…
「お前も思春期だから、そんな事を考えても不思議ではないよな」
と感慨深げに言ったのには、少し驚かされた。満州まで行って戦争に明け暮れ、生死の境を乗り越えて来た父親の言葉には随分と重みを感じた。普段は飲んべえで競馬通いの父親が、時に万金に値する言葉を発する事がある。
「水は上から下へと流れて行く。
人間の血も同じだ、上から下へと…親から子へと流れて行くのだ。親が子供を思うほど、子供が親を思う事は有り得ない。それが生物の自然の掟と云うものだ」
と、時にハッとする様な事を言ったりした。
中学3年の時期も、そんな売れない貧乏作家の様な事ばかりを言って勉強をしていなかったから、まともな高校には入れず何とか三流の高校に押し込まれた。当然そんな三流の高校だから同級生の多くは、ボーリング場とかパチンコ屋に通っている者が多かった。喫煙も常態化していた。ナンパのやり方を自慢する人間もいたりしたが、私は彼等とは疎遠だった。仕方なく入った高校でチンピラ少年と付き合うつもりは全くなかった。結局は益々読書の世界にのめり込んで行くだけだった。そこでは多くの哲学者や純文学を愛する人が、常に「生と死」に問題を投げかけていた。カント、ニーチェ、ソクラテス、アルベル・カミュそしてキェルケゴールが私の恋人だった。私は今で言う「オタク」で、部活にも入らず本ばかりを読み漁っていた。そこに自分の生きる指針を見出したかったのだ。
こうして、高2の夏休みはフロイトに関する書籍を私は片っ端から読み出し、益々精神分析の世界に没入して行った。まるで何か物に取り憑かれたかの様に…
当然の如く、夏休みの宿題は好い加減で8月末になって慌てふためく次第となった。後は友人宅に押しかけ丸写しで何とか凌(しの)いだ。10月の校内模試は最悪の成績で650人中420番だった。国語だけは8番と際立っていたが。
次回に続く
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