想い出は風の彼方に(6)

まさに寝る間も惜しんで勉強した。幾つかの予備校で行なわれている公開模試にも積極的に参加した。段々と数学と云う数の定理にも魅力を感じ始めた。そこには紛れもない人類の叡智と真実が隠されている。ピタゴラスの定理を遅ればせながら(中学3年の過程)知り得た時は感動で心が振るえた。三角関数、統計、無限の数式には汲めども尽きない知識の泉が内蔵されているではないか?
解けぬ方程式の前で5時間も6時間も問題用紙を睨み続けながら、それでも飽きらめず解き明かした時の全身を貫く戦慄。また化学方程式の謎、芳香族化合物の囁き、これらの何も知らず生きて来た事への屈辱感、17才にして、こんなにも知らない事が多かったのか、改めてショックを覚える。しかし、一年間の死にものぐるいの勉強で高3秋の校内模試では、一躍学年トップに踊り出ていた。
わずか1年でも若い力には、無限の可能性が隠されていた。1年前の担任教師は何も言わなかった。
ただ同僚の教師に職員室で、
「自分も教員生活を30年以上もやっているが、若い人間の常軌を逸した爆発力が存在する事を始めて身近に見た」
と話していたとか、そんな噂を誰からともなく聞かされた。
その年の12月、学期末試験も終え一段落した日の夕方に私は始めて父親に医学部への志望を伝えた。
「医学部?」
父親は驚いた顔で、私を穴の空くほど見つめた。そして、
「医学部に行って、どうする…!」
と、尋ねて来た。私にとって父親は余りに恐い存在だった。高校に入っても未だ往復ピンタなどの制裁を、時に加えられたりしていた。夜遅くまでテレビを見ていたぐらいの事でだ。この1年はひたすら勉強ばかりしていたので、その様なパンチを浴びる事もなかったが。
しかし、幼い時からの癖で父親に真っ正面から話を切り出す時は常に緊張感を強いられた。
「お父さん、僕は医学部に入って人の心の病を治す医者になりたいのです」
と、恐る恐る答えた。
「ほう、人の心を治す医者にね…お前が何にかぶれて、そんな大それた考えを持つ様になったかは知らないが、辞めとけ。お前には無理だ。大体、医者なんてのは人が寝ている時間にも働かなきゃならないし、一時の気まぐれなんかで務まる仕事じゃあないんだ」
「でも、お父さん。僕は医者の仕事が自分の天職であると思うのです」
「天職…ね!」
やや下げすんだ視線で、父親は話を続けた。
「お前は小学5年になったばかりの時、泣きながら柔道をやらせて欲しいと言って、後楽園にある講道館に通い始めたよな。確か10ヶ月間ぐらいは毎日の様に都電に乗って練習に励んでいたみたいだった。ある日、お前は興奮して俺にこう言ったんだ。『僕は今日、三船十段に始めて稽古をつけてもらい、見どころのある少年だと褒められました。僕は講道館の鬼になって三船十段の薫陶(くんとう)を受けついで行きます』とか、言わなかったか?」
私は黙って話を聞いていた。
「それから半年もしない内に、昇級試合で1年下の5年生に投げ飛ばされ…お前はそれきり講道館に行かなくなってしまったな」
私は返す言葉もなく下を向いたままだった。
次回に続く
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