想い出は風の彼方に(16)

職員室は俄(にわか)に驚きの声が上がった。
「医大に…あの篠木が…!
この学校からでも医学部に行く奴がいるんだ」
高3の時に担任だった石黒教諭が立ち上がって来た。
「受かったのか、それは凄い。お前だったら為遂(しと)げると、先生は信じていたよ。高2の冬からお前は別人の様に変わったからな…まるで勉強の虫になってしまったもんな。これは後輩達にも素晴らしい贈り物を残していった事になる。篠木、ありがとう」
そう言って、彼は私と父の手を代わる代わるに固く握りしめた。満足感はあったものの、その時の私は妙に冷静だった。逆に父の方が目頭を熱くしていた。
私に散々嫌味を言っていた高2の担任は、ちらりと私達親子を盗み見するだけで無関心を装っていた。私も今更そんな担任と何かを話す気にもなれなかった。
そして私達は意気揚々と学校を後にした。午後も3時を回り、急に空腹感を覚えた父と私は駅前の寿司屋に入った。父は上機嫌で、
「さあ、好きな物を何でも食え」と言って、自分は寿司をネタにビールを飲み出した。私もウニとか大トロと云った値の張る物を腹一杯に食べた。5時になって、やっと自宅に帰る。母が首を長くして待っていた。
「お赤飯を炊いて、浩司の好きなステーキやお刺身も準備して待っていたのに…なかなか帰って来ないから心配していたのよ」
「それは悪かったな。浩司の高校にも合格の報告に行って来たんだ。それに俺も少しばかり興奮していたから、昼飯を食べるのも忘れていたので浩司と一緒に寿司屋で腹ごしらえをしていたのよ」
「お寿司を食べに行くのは構わないけど、それならそれで電話の一本もしてよ。少しでも美味しいものを食べさせようと思って待っている身にもなって欲しいわ」
「そりゃ悪かったな。まあ、そう怒るな。浩司の目出度い日じゃないか。それに、こいつは食べ盛りだ。後2~3時間もすれば直ぐに腹も減るさ。美味しい物をせいぜい食べさせてくれ」
「お母さん、済みませんでした。つい気持ちが浮きだって、お母さんが待っている事も忘れていました」
「良いのよ、お前の嬉しい気持ちはお母さんも一緒だよ。この家から始めて、お医者さまが誕生するんだから。まるで夢の様な話だわ!」
そう言って母は父と私にお茶を入れてくれた。その数時間後には腹一杯の夕食を食べ、誰かと話をしたい衝動に駆られる。酒屋の吉村の家に電話をかけてしまった。電話口には妹の綾子さんが出た。「いやあ、今晩は。徹夫はいる?」
「今、お兄ちゃんはお風呂に入っていますが急用ですか?」
「いやあ急用って事ではないんだが、ちょっと報告したい事があって…」
「私で良ければ、お伝えしても構いませんが…どうしますか?」
「それでも良いんだが、綾子さんに話すのは少し恥ずかしいな」
「何か困った事なの?」
「別に困った事ではないけど、でも話しにくいな…何か自慢するようで」
「それって、良いお話って事ですか?」
「まあ…ね!」
次回に続く
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