想い出は風の彼方に(17)

「それなら私に聞かせてくれても良いでしょう」
「そうだね、実は今日やっと医大の合格が決まったんだ。
一時はそこに泊めてもらった事もあったので、お礼を言いたかったんだ」
「医大に合格したの、凄いわね。
実は私も都立高校に合格が決まったばかりなんだ。それじゃあ、私たち二人共にハッピーね!」
「そうなんだ、綾子ちゃんも高校生になるんだ。この間まで小学生だと思っていたのに、そりゃお目出度う」
「まあ失礼だね、この間お会いした時は中学生だったわ…」
「そうだったね、ご免…ご免」
「まあ、良いわ。浩司さん自分の医大進学の事だが頭一杯で、他の事は何も目に入らなかったんじゃあない。だから私の事なんか路傍の石ころぐらいにしか見ていなかったでしょう。あゝ、今お兄ちゃんがお風呂から出て来ましたから電話を変わりますね」
少し遠くでヘアドライヤーの音が聞こえていたが、やがて電話口に徹夫が出て来た。
「今、綾子との電話を小耳に挟んだが、医大に合格したんだって。凄いな、やはりお前は自分の道を貫き通したんだ。やあ、お目出度う。心から祝福するよ。俺なんかしがない酒屋の親父になるしかないもんな…」
「そんな事はないよ、高校を中退して家の切盛りを立派にやっているじゃあないか。それに比べ医大に合格したって言ったって、全ては親の庇護の元でやった事だ。お前とは生活の底力がまるで違うよ。誰に使われるでもなく自分だけの力で生きているじゃあないか、お前の方こそ凄いや」
「そこまで俺なんかの事で褒められると、照れくさいよ。ともかく医大合格、お目出度う。近いうちにまた遊びに来てくれよ」
「うん、有難う。必ず行くよ。お母さんと綾ちゃんにも宜しく…」
そう言って、私は電話を切った。
父親は夕食を終えると、一杯機嫌のまま叔父の家にタクシーで出かけてしまった。たぶん私の自慢話をしに出かけたのだろう。あれほど医大進学に反対していた父だったが、合格すればそれなりに嬉しかったようだ。一人息子の私だけに期待も大きかったのだが、小学校、中学校と学校の成績も悪く、何をしても長続きしないものだから父親なりに、私の将来を案じていたのだろう。
小学1年生の時だと思うが、夜中に一人で小便に立ち上がってトイレに入って行くと、便所の小窓から木の枝が風に揺られているのが見えた。その木かげの揺れる様子に驚いた私は…
「お化け、お化けが出た」
と泣き叫んで、母と父の寝ている布団の中に飛び込んでいった。
父はむくりと起き上がって、
「何がお化けだ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と言う諺(ことわざ)を知らないか。男のくせに何とも臆病な奴だ。今からその性根を叩き直してやる」
と言って、近くの公園までタオルを吊るしに行かされたのである。夜中の1時頃ではなかったかと思う。その頃の父の命令は絶対だった。11月頃の木枯らしの吹き始めた時期で、怖さと寒さで全身を戦慄(おのの)かせながら、片道15分ぐらいの場所にある公園まで父の命令通りタオルを吊るしに出かけた。それを父は遠くからずっと見ていた。
次回に続く
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