想い出は風の彼方に(19)

大学に入って最初の問題はクラブ活動をどうするかだ。卓球部、水泳部、スキー部、山岳部と勧誘も多く迷ってしまう。これまでの学校生活ではクラブ活動がまともに続いた経験がない。
しかし医学部だと、そうは行かない気がする。大学生活だけではなく、医者と云う進路方向が同一なので付き合いが相当に長くなるようだ。人間関係も職業上の付き合いから言っても極めて重要な感じがする。
入学式の学長挨拶でも、クラブ活動が人間形成から言っても大きな要素になると説明された。迷いに迷ったあげく、ワンダーフォーゲルに入部を決めた。山岳部と違って冬山はやらず、冬はスキー合宿で代行すると云うのが気に入った。雰囲気も何か楽しそうだった。
入部して一番厳しかったのは、何と言っても基礎体力向上の陸トレだった。2年間の受験生活で体力はかなり落ちていた。週に2度の4~5kmのマラソンと腕立て伏せが辛かった。月に一度ぐらいは何かと理由をつけてサボった。
春のゴールデンウィークが最初の合宿で、場所は尾瀬の燧ヶ岳(ひうちだけ)だった。水芭蕉が見ごろである6月とは違って、4月下旬の尾瀬は積雪がかなり深い。まるで冬山と変わらない。メインルートを一歩でも踏み外すと、ズブっと首まで雪の中に埋まってしまう。20数名の部員が一列に並んで、リーダーの指導の元でただ前の部員の脚だけを見て歩く。雪山の風景を楽しむ余裕などまるで無い。50分の行進と10分の休憩で、起床は5時半、冷たい雪溶けの水で朝食の支度だ。手が凍る様に冷たい。雪の上にグランドシーツを敷いて、エアーマットの上に寝袋を置いて眠る。起床から朝食を終えてテントを撤収し出発まで2時間以内で済ませるのがルールである。
それでも、この合宿は「新人歓迎合宿」との名目なので私たち新人5人には比較的に楽だった。
4泊5日の合宿なので、食糧だけでもかなりの重さになる。通常は1年生の背負う荷物が一番重く、ザックに入れる食糧やテントが35kg以上にはなる。
しかし、この新人歓迎合宿では30kg以下であった。その分だけ2年生は重いザックを背負わされた。
だがザックの荷物が少しばかり軽いと云っても新人の私たちには厳しい行程だった。夕食時に見上げる燧ヶ岳の夕暮れは涙が出るほど美しかった。苦労を重ねた後の自然の光景は、その感動も心に沁みて来る。渇き切った喉には一杯の水が何よりの美味に感じるように…
しかし、そんな感慨に耽る間も無く夕食の後片付けが直ぐに始まり寝る準備にかかる。消灯時間は9時である。合宿中の飲酒やラジオ放送を聞くのは厳禁である。ラジオを聞くのは1日に2度、朝と夕方の天気予報である。この時は全員が座って自分なりの天気図を作成しなければならない。NHK第二の天気解説は新人には早すぎて、なかなか満足な天気図が作成出来ない。天気図の解読と登山地図が読める様になって、やっと部員として一人前だと認められる。
何だかんだと言っても、この最初の合宿は乗り切った。家に帰り、乞食の様に汚れ切った私を見て…
「どうだい、山の景色は素晴らしかったかい?」
と母に尋ねられたが、
「いや、ずっと前の奴の脚しか見えなかった」
そんな答えが、私の偽らざる気持ちであった。
次回に続く
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