想い出は風の彼方に(22)

この問題は学部長を経て教授会に諮られた。かの講師も問責の席に呼ばれた。彼は自己主張を堂々と述べた。
「医学部の学生と雖(いえど)も核医学や放射性同位元素を扱っているので物理学の素養は絶対に必要であると思いますが…」
と、自己の正当性を訴えた。これに対して核医学の専門医からは、
「物理学専攻の学生が知るべき基礎学力とは区別があって当然ではないか」
との、反論が投げかけられた。さらに試験問題の難易度にも分析が入れられ、医学生が本来知るべき知識からも大きく逸脱し専門性に走り過ぎているとの指摘も受けた。多くの議論が噴出して、物理学講師の立場はどんどん悪くなって行った。学生の半分以上が0点しか取れないテストに疑問を投げかける教授陣も多くいて、素養としての知識と趣味的な問題を取り違えているのではないかとの疑問も投じられた。
30代前半の物理学講師は、自己の立場が少しづつ逆境に立たさられている状況を理解しはじめた。
「教育の理念は、自己の専門知識をただ押し付ける事ではない」
と、述べる教授陣もいて若い少壮学者は返答に窮していた。
この日の教授会の結論は、前回の試験は無効として1年生全員に再試験を受けさせるべきだとの意見で多数の教授達が同意した。
前代未聞の結論であったが、物理学講師も承諾した。講師は自分が就任する前の3年間に及ぶ過去問を整理して再試験の問題を作り直した。テスト結果は平均が56点だった。60点未満の学生にはレポート作成が義務付けられて、それにより全ての学生に及第点が与えられた。
かく言う私もレポート組で、このレポート問題に3日間も悪戦苦闘した。
一方のクラブ活動は、夏合宿の早池峰山(岩手県)と秋合宿の北アルプスを通じて私の体力も向上して行った。こうして一年間の学生生活は、あっと言う間に過ぎて行った。学年末の試験で追試験は一つもかからず、2月中旬からは授業も終わり悠々自適な生活を楽しんでいた。カント、ニーチェなどを読み漁っていた時期でもある。
ちなみに、この追試験に一つもかからなかったのは学年140人中で16名だけであった。
この結果を見て父は大いに喜び、私への信頼感が増して、どんなに哲学書を読んでいても叱られる事はなくなった。
それ以外に私はタバコを吸い始めていた。高校時代にもタバコを吸っていた同級生は多かったが、それらは三流校の劣等生ばかりである。そんな彼等には常に蔑視的な思惑でいたからタバコへの興味はまるで無かった。
それが大学に入って、自分より優れた学生の多くがタバコを日常的に愛用しているのを目の当たりにして、私のタバコに対する偏見はすっかり消えた。
それどころか、タバコを吸っていない自分が子供に見え出した。アルコールも覚えた。特に合宿の後の解散日には浴びるほど飲んでいた。年も二十歳を過ぎたし、何が悪いのだ。大学に合格した日の父の訓戒は完全に忘れ去っていた。
次回に続く
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