想い出は風の彼方に(23)

春合宿は追試験も全て終了した3月中旬から10日間に及んだ。場所は四国の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)だった。追試験で留年生が18名も出てしまい、新入生5名中の2名が合宿辞退となってしまった。昨年の30名には至らなかったが、140人中で18人と云うのはそれでもショッキングな数字だ。
合宿中にも、しばしばその話題が出た。
「えっ、あいつも落ちたのか?
何の科目で引っ掛けられたのだ…
何だって、哲学で落ちたのか!」
別の先輩は
「医学部に入って、哲学なんかで落第したなんて聞いたら親は情け無いだろな」
などと、溜め息を付いていた。
それはそれとして、新入生が二人も欠如したので私達にかかる負担は相当に厳しい。
四国とは言え、3月の水は未だ冷たい。飯盒の米を洗う手が冷たさで痺れて来る時がある。先輩への給仕も頻回で忙しい。自分の茶碗には山盛りにして、出来る限りご飯を押し込む。そうやって自分の食べる分だけは何とか確保するのだ。まごまごと先輩の給仕に追われていると、自分が食べるタイミングを失ってしまう。この過酷な合宿中には食べる事と寝る事が最重要だ。1日に8時間は歩き続ける。50分に10分の休みがあるものの、天気図の確認、予定通りのスケジュールが熟されているか、次の水場は確保されているかのチェックポイントは幾つもある。
この一年間の6回の合宿で、それなりの熟練度も達成しているが、そうは言っても未だ一年生だ。未熟な部分も多い。それでも徳島の大歩危小歩危の峡谷美は圧巻である。日本の自然美を心行くまで味わって幸福だった。辛い合宿生活が続く中で何度も挫折しそうな思いに駆られた事も多かったが、この春合宿は厳しいなりに充実感も強くした。大学合格時には、ブヨブヨだった体躯も10kgは体重が落ちてスリムな筋肉質の体型に様変わりしていた。40kg近いザックを背負って、1日に8時間も歩き続けるのだ。そんな生活を10日も過ごすのだから、どんなに食べても肥るなんて事はあり得ない。しかし、そんな合宿で最も閉口するのは10日前後も一切風呂に入らず、下着も全く替えない事だ。合宿の途中過程で稀にバスに乗ったりする事もあったが、そんな時は多くの乗客が必ず私達を避けて通る。だって、その悪臭たるや乞食の集団そのものだったから。
しかし若さと云う者は、図太いもので部員の誰もそんな事は気にしていなかった。こうして私も少しづつ汚い山男にと成長して行った。
どんなに長い合宿生活でも下着は常に一揃いだけである。一度も下山する事のない山歩きをする為に必要な食糧の重量はかなり厳しく、余分な下着を持ち歩く気分にはなれなかった。
その掛け替えの無い一揃いの下着は合宿解散後の入浴時に使用するものだ。もちろん、それまでの下着は全て捨て去る。そんな変色した下着は二度と身に着ける気にはなれない。そして入浴後の解散式には浴びるほどビールや日本酒を飲み尽くした。一人で650mlの瓶ビールの6本や7本は平気で飲んでいた。焼き鳥も20~30本ぐらいは食べていたかもしれない。
次回に続く
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