想い出は風の彼方に(28)

電話口には母が直ぐに出た。
「お母さん、今から友達を一人連れて帰るから、何か美味しいケーキでも準備して置いてよ。とても可愛い女の子だよ」
電話の母は明らかに狼狽しているようだった。
「女性の方って、どんな方なの?」
「そんな大袈裟な話じゃあないよ。高校時代の吉村の妹だ。彼女の夏休みの宿題を少し手伝うだけの話なんだ。お母さんが心配するなんて何もないよ」
母はかなり安心した口調で、
「そうなの、分かりました。それじゃあ、お母さんは何か美味しい物でも買いに行って来るわ」
「3時近くには帰れると思うから、出来たら夕食も頼んでも良いかな?」
「まあ、そんな若いお嬢さんを遅くまでお引き留めしても良いの!」
「だって、僕は吉村の家で何度も夕食のご馳走になっているんだよ」
「そうなの、今晩はお父さんが遅くまで帰らないから大丈夫かもしれないけど、それでも程々にね」
母はそう不安気に答えて電話を切った。
私が綾子を伴って家に帰り着いのは3時を少し回っていた。彼女は明らかに緊張していた。
彼女は玄関先で靴を脱いで、天井を見上げた。
「随分と素敵なお家ですね。何か自分の家が見すぼらしく感じてしまうわ…」
「綾子ちゃん、それは考え違いだ。家と云うのは建物や見栄えが問題ではない。そこに住む人達の人間同士の温かみが一番だよ」
「そんな物かしら、私には未だ難しくて分からない。でも女の子って、普通はどうしても外見的な物に目が行ってしまうわ」
「まあ、今日はそんな話をしに来たんじゃあないから…先ずは英語の勉強だ。しばらく英語の参考書を探して来るから、リビングで少し待ってて」
「でも、篠木さんのお部屋ってどんなになっているのかしら興味があるわ。ちょっとだけ見せてもらっても良いかしら!」
「そりゃ、僕は構わないけど高校生の君が一人で僕の部屋になんか入って良いのかな。後で吉村に怒られそうだな」
「大丈夫よ、兄なんか私の事にあまり関心がないもの。そんな事より、明日はビールを何ケース仕入れなきゃならない…そんな事ばかり気にしているわ」
「どうも君には勝てないな、それじゃあ少しの間だけだよ」
「何か秘密の部屋を探検する見たいでワクワクするわ!」
「別に何処にでもある汚い男の部屋だよ。尤も時々は母が勝手に掃除しているみたいだけれどね」
「それでは、僕のむさ苦しい部屋にどうぞ」
浩司の部屋は二階のベランダがある角部屋の8畳間と6畳間の二間続きだった。6畳間が本部屋になっていた。その浩司の部屋に入るなり綾子は圧倒された。壁の隅から隅まで所狭しと本の山だ。まるで学校の図書館にいるみたいだ。図書館と比べると空間が狭い分だけ圧迫感がある。
「凄い、これ全部が篠木さんの本ですか?」
「まあ、そうだね」
「全部読んでいるの?」
「大体はね…」
「それにしても医学書は少ないのね。聞いた事もない本ばかりだわ。カント、ヘーゲル、ニーチェ、カミュ、サルトル、ボバワール…何時もこんな本ばかり読んでいるのですか?」
「もしかしたら、僕は精神に異常を来たしているのかもせれない」
私は多少自嘲気味に言い訳をした。
次回に続く
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