想い出は風の彼方に(32)

「それにしても、お部屋の中はちょっと収拾がつかない状態ですね。私が少しお手伝いしましょうか」
「そうだな、細かい整理は自分でゆっくりやるにしても、少し手伝ってもらってもらおうかな。僕自身のドジで起した不始末で申し訳ないんだけど」
「いえ、私の参考書を探す為に起きてしまったトラブルですから私にだって責任の一端はあります」
「そう言ってもらうと助かるよ」
「それにしても、改めてこの本の量は凄いですよね。一体何時こんなに本を読む時間があったんですか?」
「そうだな、中2から高2までの大学受験にかかるまでの時かな。部活もやっていなかったし、テレビも見なかったし、本を読む以外に時間をつぶす方法も知らなかったんだ。それに親父とお袋との夫婦喧嘩も絶えなかったし、僕自身も本以外に逃げ場を失っていたんだ。昔ソクラテスが言ったといわれる、こんな格言があるんだ。
『良妻を得れば幸福になる。 悪妻を得ればあなたは哲学者になれる』というものだが、15~17才ぐらいまでの我が家の家庭環境はとても悪かった。30代後半から40代前半まで間に戦後のドサクサで生活の基盤をしっかりと作り上げた親父は、後は道楽三昧で人生の後半を過ごしてしまっていた。
僕は物心が付いてから父親の働く姿を見た記憶が殆んどないのだ。 酒乱でギャンブル狂、女狂い。家に帰る日もあれば、女遊びで何日も帰らない時だってあったのだ。母は女としての体裁から表面的には、毅然としていたが、実際には自殺未遂を3度もしていたのだ。
20歳を過ぎてからの僕は、心の底から父親を憎しみ抜いていた。殺意を抱いていたといっても過言ではないんだよ。そんな僕が哲学書や純文学にのめり込んでいったのも当然だろう。
現実の家庭生活を直視していたら、僕の頭の中は確実におかしくなっていただろう。言い訳にしか聞こえないかもしれないが、哲学的あるいは文学的な妄想の中に自分を置く事で僕は何とか心のバランスを保っていたのだ。
戦後満州帰りの父親は軍隊教育の弊害が全く改善されず、自分に都合の悪い事があると必ず母と私に暴力行為で自分の不都合さを隠蔽した。母はそれなりに戦ったが、僕は押入れの中で震えているしかなかった。出刃庖丁を持ち出す事も稀ではなかった。まだ10代の僕は、そんな父親に反抗する勇気は無く、ただ押入れの中で震えているしかなかった。父親の一時的な怒りで、家中の家具の多くが庭で叩き壊されるのを目にしたのも一度や二度ではなかった。
真面目に働く事が大嫌いな父親は、常に一攫千金を夢見ていた。その分、確かに商才には長けていた。株相場、競馬、小豆相場、その他これと思った儲け話には必ず手を出した。その結果、勝つ事も負ける事も多かった。時代は土地バブルの最盛期で、土地だけ次から次へと購入しておけば資産は勝手に膨大していた。その事と自分の資産能力を完全に父親は誤解していた。そんな父親を見て、あんな男だけには絶対ならないと子供心に固く誓ったものだ。そんな青春期を経た僕は人間の心の実態にあるものは一体何なのかと考えざるを得なかった。そして精神医学に憧れたのだ」
次回に続く
関連記事

コメント