想い出は風の彼方に(34)

夕食は思いの外に豪勢だった。和牛の焼肉が1kg以上はあった。刺身の盛り合わせは活き造りの新鮮さであった。それ以外に種々の野菜も豊富に添えられてあった。綾子は目を丸くして、
「何時も、こんな凄いご馳走なんですか。家では誰かの誕生日だって、こんなご馳走なんか目にした事がないわ」
と、溜め息混じりに感動の声を上げた。浩司の母は楽し気に、
「今日は特別!…浩司が初めて女友達を我が家に連れて来た日なんだもの」
「それにしても、お母さん。これは余りに豪華過ぎるんじゃあない。親父が見たら何事が起きたのかと思うぜ…!」
母親は少し浩司を睨んで、
「男の子はそんな台所の細かい詮索はしないものよ。二人とも育ち盛りなんだから気持ち良く食べて…」
綾子はダイエットなんか口に出来る雰囲気ではなかった。ともかく若者らしい貪欲さで、恥じらいを装いながらも食べに食べた。アルコールこそ出なかったものの、食後のデザートも豊富であった。
「こんなに食べたら、体重計に乗るのが恐いな!」
綾子は、そんな言葉を一人胸の内で囁いていた。そんな綾子の心配を無視するかの様に浩司の食欲は極めて旺盛だった。
お腹も一杯になって来た所で、綾子は先程の「なおこ」の原稿が思い出されて来た。浩司が拒否的であればある程、あの原稿を読んでみたいと云う願いが強くなるばかりだった。
「ねえ、篠木さん。やっぱりあの原稿は見せてもらえない…お願い!」
綾子は拝む様に頼みこんだ。浩司はやや不機嫌な顔で、
「まだ、そんな事を言っているのか。恥ずかしいから嫌だって何度も話しているだろうが」
浩司の言い方も少しぞんざいになって来た。綾子はそれでも諦め切れずに、
「それでも何人かのお友達には見せたのでしょう?」
「それなら綾子に見せてくれても良いんじゃあない」
「それとこれと話は別だろう」
浩司の話し方も幾らか刺々しくなって来た。
「一体、何を言い争っているの?」
横から鈴子が疑問の質問をした。
「別にお母さんが心配する様な事は何もないよ」
綾子を少し睨みつけるかのような表情で、浩司はさりげなく母には言葉を返した。
「そう、それなら良いんだけど…綾子さんって、仰いましたっけ。彼女、少し寂しそうじゃあない。若いお嬢さんに冷たくあしらっては駄目よ。お前だって、私がお父さんにどれだけ苦労させられたかは十分過ぎるほど知っているだろう」
「お母さん、そんな大袈裟な話じゃあないんだ。それじゃあ、まるで僕が親父みたいに聞こえるじゃあないか」
「おばさま、浩司さんが仰る様に大した話ではないんです。ただ浩司さんがお書きになった小説を、どうしても読ませて欲しいと私が駄々をこねているに過ぎないのです」
「まあ、お前は小説なんか書いているの、それはお母さんも初耳だわ。どんな小説を書いているんだい?」
「何もお母さんに読ませる様な小説じゃあないよ。下らない恋愛小説で、子供の作文みたいなもんさ」
次回に続く
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