想い出は風の彼方に(36)

浩司に送られ綾子が自宅の玄関前に着い時は、すでに9時半だった。彼は何の挨拶もなく帰りかけたが、綾子が慌てて呼び止めた。
「今日は、本当にありがとう。素敵なお母さまね、また遊びに行っても良いでしょうか?」
「それは構わないが、英語の勉強もちゃんとしなければ駄目だよ」
「はい、分かっています」
と、笑顔で答えた。
「兄に合わなくても良いんですか?」
「吉村は疲れているだるうし、明日も朝は早いのだろう。今夜はこのまま帰るよ。宜しく言っといてくれ。じゃあ又一週間後にな…それまでには本を返してくれよ」
「分かりました、一週間後に必ず返します。それまでに英単語を100は覚えて置くんだよ」
「そんな話は今初めて聞きした。」
「そりゃ今僕が急に思いついた事だよ」
「そんな事を急き決めるなんて酷いじゃあないですか?高2の君なら普通に出来る勉強量だよ、その程度の宿題が熟せないなら僕は君にもう会う事もないよ。僕だって自分の三文作家の恥部を嫌嫌ながら曝け出すのだから、君にだってそのぐらいの努力はすべきだろう。何かを得る為には何かの努力をしなけばならならないのは当たり前の事だよ。ともかく来週、君に会え事が楽しみになつてきたよ。それじゃあ僕は帰るよ」
そう言いなり直ぐに浩司は帰って行った。それは一陣の風のように去り方だった。篠木が帰った後は、綾子は急いで二階の自分の寝室に上がっていった。少しでも早く強引に、借り出して来た浩司の小説を読みたかったのだ。急いでで、借りて来た茶封筒から数10枚の原稿用紙を丁寧に取りだす。
その小説は、こんな書き出しから始まっていた。「なおこ」この言い知れぬ感情のもつれ、若い男が若い女に心が惹かれ何もかもに手につかないと云う事は罪悪なのであろうか。「なおこ」この言葉を口にする時、僕は理性を失う。理性とは何であるのか?何故こんなにも心の乱れが生じるのであろあうか。
それは同じ予備校に通う春の雨の日だった。朝からどんよりした曇り空であったが雨にはなるまいと油断して傘を持たずに家を出た。昼間には一時青空も見えていた。しかし帰り際の3時過ぎ突然に大空は黒雲に覆われだした叩きつける様な大雨になって来た。スコールぐらいの軽い気持ちでいたので、一時間程を実習室で過ごすことにした。
しかし雨は強くなるばかりで、一向に弱まる気配はない。仕方なく最寄りの駅まで傘なしで強行突破する決意をした。その時、偶然にも声をかけて来たのが「なおこ」だった。
「私、折り畳み傘を余分に一本持っていますから、お貸ししましょうか?」
「いえ、このぐらいの雨なら大丈夫です」
と、一度は強がってみたが、そんな生易しい雨ではなかった。
「こんな強い雨ですと風邪を引きますよ」
そんな優しい彼女の言葉に甘えて私は素直に傘を借りる事にした。
それでも、そんな折り畳み傘ぐらいで豪雨を防げるものではなかった。駅の構内に入った時は全身がずぶ濡れになっていた。それでも彼女の好意はうれしかった。
次回に続く
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