想い出は風の彼方に(38)

4月下旬の時点では、まだ彼女と同じBクラスだった。しかし彼女が教室内に居る雰囲気はなかった。私の気持ちは落ち着かず、授業も分かりにくく勉強に身は入らなかった。仕方なく前回の校内模試の復習でも、一人ボソボソとやっていた。午後一時限の授業が終了して、トイレに立つ者もいたりして教室内は少しざわついて来た。私は急ぎ教室内を見回したが、やはり彼女の姿は何処にも探せなかった。私は少し気落ちしてその後の授業を聞く気にもなれず、一人実習室で数学の参考書に手を付けた。2時間程は実習室で過ごした 。半分ぐらいは居眠りをしていた様だ。何か一日を棒に振った感じで5時すぎには家に帰った。家に戻っても何か落ち着かず夕食後も自分の部屋に行かず、居間でぼやっとテレビを見ていた。
「どうしたんだい、元気がないね。彼女に傘は買って差し上げたのかい?」
「それが彼女、今日は予備校に来なかったみたいなんだ」
私の心を見透かしたかの様に母は
「それでお前は元気がないのかい」
と、私を冷やかす様な言い方をした。私は少しムッとなって、
「そんな事は関係ないよ。ただ勉強への気分が乗らないだけだ。まだ昨日の豪雨から体調が戻らないのかもしれない」
「ふ~ん、そんなもんかね。今朝はご飯を3杯も食べたくせに…まあ、勉強に気乗りがしない日があっても良いやね。たまには気を抜く事も必要だよ」
母は妙に同情的な言葉を言い残して、台所へと消えていった。
結局その夜は何も手が付かず、久しぶりに3時間以上もテレビを見て(この一年間はほとんどテレビなど見た事が無いのに)、そのまま寝てしまった。
次の日も快晴のやや暑さを感じる日だった。予備校には7時25分に着いた。最前列から二番目の場所に自分の席を確保した。その10分後に彼女が姿を現した。
私は急な心臓の高鳴りを意識しながら、後部座席の彼女に向き直り
「一昨日は有難うございました。しかし、凄い雨でしたね。これはお借りした傘です。ですがあの集中豪雨で、お借りした傘はボロボロに破れてしまったのです。それで母が新しい傘を買い求めて、お返しするのが礼儀だと言いますので、今日はお借りした傘と新しい傘の2本を持って来ましたので、お受け取り頂ければ嬉しいのですが…逆にお荷物となってしまったかも知れませんね」
と私は言いつつ、彼女に二本の傘を手渡した。
「まあ、そんなに気を使ってもらって申し訳ありません。貴方にお貸しした傘もかなり使い古した物ですのに、却って余計な負担をかけてしまいましたわね。でも、折角のお母さまのご好意ですから今回は有難く頂いておきます」
「良かった、これで僕の肩の荷がやっと下りました」
「まあ、随分と大袈裟な言い方ね」
そう言って、彼女はウフフと微かに笑った。その可愛いらしい笑顔、薄い紺のスカートと白いブラウス、彼女の全てが輝いて見えた。その瞬間から私は生まれて初めて異性と云うものを意識しはじめた。
次回に続く
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