想い出は風の彼方に(42)

駅前には、早々とパトカーが待機していた。彼女は助手席に座り、手錠をかけられたままの痴漢男と私服警官(小山巡査部長)に私が同乗して新宿署に連れて行かれた。パトカーが新宿署に横付けされると、小山巡査部長が私達に優しく声をかけた。
「先ずは、この男の身辺調査から始めますのでお二人は食事でもなさって来て下さい」
そう言われたので、私達は近くのファミリーレストランに向かった。二人で夕食を共にするのは初めてであった。注文した食事を待つ間、私は彼女に詫びた。
「今日はご免ね、何の役にも立たなくて。怖かったでしょう」
「確かに死ぬほど怖かったけど、貴方は必死に私を守ってくれたわ。謝るなんてとんでもない。心から感謝しているのよ」
「そう言ってくれると僕の気持ちも救われる…それでも男の癖にあんまり腕力がないので呆れたでしょう」
「そんな事はないわ、貴方は将来お医者さんになる身でしょう。チンピラやくざと遣り合って怪我でもしたら馬鹿みたいじゃあない。貴方のあの勇気だけでも私は感動しています。貴方も大した怪我をしないで本当に良かったわ」
「有難う、なおちゃん」
そう言うなり私は彼女の右手を思い切り握りしめていまった。冷たく柔らかい手だった。甘い香りが漂って来る様な感触である。
「あっ、ご免ね。僕まで痴漢男みたいな真似をして!」
彼女は私の手を握り返し、
「ううん、嬉しいわ。男の人の手って温かく大きいのね。ずっと手を握っていて欲しいわ」
その瞬間から私達は友人から恋人同士となった。
一方の痴漢男は杉森勇太という28才の暴力団員だった。前科一犯だったが、少年院送りも経験している、かなりの悪である。身体検査で覚醒剤の所持まで発覚した。
そうなると警察の取り調べは、より厳しさが加わる。
「お前は何処の組のもんだ。正直に言わないと、何年と臭い飯を食う事になるぞ」
「旦那、許して下さい。組の名前なんか喋ってしまったら、私は半殺しになってしまうじゃあないですか?」
「この馬鹿、お前のシャツに着いているバッチは何だ。森村会のバッチだろう?」
男は慌ててバッチを外しにかかった。
「馬鹿野郎、今更バッチを外してどうする。何処の森村会だ、おおかた池袋辺りの山崎が組頭の森村会だろう。有り体に言わないと、お前を引き連れ山崎組の事務所に、乗り込むぞ!…それでも良いんだな?」
男はワナワナと震え出して、
「旦那、それだけは許して下さい。私が自白(ゲロった)って事を内緒にして頂けるなら何でもお話をしますので、私の首根っこを捕まえて事務所に乗り込むのだけは勘弁して下さい。そんな事にでもなれば、私は間違いなく東京湾にコンクリート詰めにされてしまいます」
「てめえなんか、東京湾にでも何処にでも沈めてしまえば世の中が明るくなって丁度良いじゃあないか!」
「旦那、そんな殺生な事を言わず何とかご慈悲を願いますよ」
男は両手を合わせて嘆願した。
次回に続く
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