想い出は風の彼方に(46)

何時もより帰りの電車は寂しく感じた。彼女のいない一人だけの空間が、こんなに切ないものだとは思っても見なかった。特に彼女がAクラス入りしてからと云うものは教室の席も常に隣り合わせだったし、昼食も帰りの電車も途中までは手を握りっぱなしだった。風邪を引いて辛い思いをしている彼女より、自分一人の寂しさに浸っている情けない己に途中から気付いて、そんな自分を恥ずかしいものに感じた。場合によっては明日でも彼女の家に見舞いに行こうかと考えた。
電車は幾つかの駅を通り過ぎて、また乗降ドアが開いた。そして10数名近い客が入れ替わった。窓際で、ボヤっと立っていた私は、死ぬ程に驚いた。あの痴漢男が偶然にも乗り込んで来たのだ。男も私の存在に直ぐ気付いた。
その余りの偶然さに私達はしばらく沈黙していたが、男が目をギラギラ輝かせながら私に言葉をかけて来た。
「おい生学(せいがく)、元気そうだな。そうそう、あの彼女はどうした。振られたか?
女一人守れない男だもんな、お前は振られて当然か…ワッハハ!」
全く相手にするつもりはなかったが、そこまで言われて私もカチンと来た。
「留置場まで入れられて、あんたも未だ飽きずに痴漢を繰り返しているのか?」
そう言ってしまって私は直ぐに後悔した。こんな下らない男と遣り合ってどうするのだ。自分の軽薄さにドギマギしていた。何とか詫びを入れて、この場を立ち去りたいと心から願った。しかし、事は簡単には済まなかった。
「何だと、この野郎。ふざけた事を抜かしやがって、次の駅で降りろ。てめえに一言、話しておきたい事がある」
そう言って男は私の手首をしっかりと抑えこんだ。
「僕には何も話す事はありませんから、その手を離して下さい」
「うるさい、お前には無くても俺にはあるんだ」
そう言うなり、男は次の駅で私を無理矢理に引きずり下ろした。その強引さに私は逆らう術もなく駅の待合室の椅子に座らせられた。
「てめえのお陰で池袋の事務所は警察のガサ入れを食らって、組は壊滅状態になったんだ。俺も組から絶縁状を叩きつけられ、こんな様(ざま)だ」
そう言って男は自分の右手を私の前に差し示した。小指が途中から切り落とされている。私は気持ち悪さで思わず目をそらした。
「でも、その事は私と何の関係も無いでしょう。貴方の身から出た錆でしょう。ともかく私は帰らせて頂きます」
「何だと、自分とは何の関係も無いだと…よくも俺をそこまで虚仮(こけ)にしてくれたな!」
そう言うなり、男は私の背後から思い切り首を締め上げて来た。私は恐怖感から本能的に男の腹部に力一杯、肘鉄を食らわせた。男は私の予期せぬ反撃に驚き、
「イタタ…!」
と、痛さで私の首から手を離した。その瞬間を狙って私は駅の出口の階段に向かって走り逃げた。
しかし男は、すぐに立ち直り私を追いかけて来た。
「この野郎、味な真似をしやがって」
と言うなり、コートのポケットから突然ジャックナイフを取り出し私の脇腹に抉(えぐ)る様に突き刺した。
次回に続く
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