想い出は風の彼方に(51)

時代は昭和40年代である。戦後20数年しか経っていない。
性道徳はまだ古風な一面が残されていた。処女性も重んじられ、婚前交渉が何とか認知されつつあった。私の同級生など、お見合いで数ヶ月の交際で婚約までしたが、相手が処女でないと知れた途端に婚約を即座に解除した。
そう言う時代の話なので、現代の若い人の感覚では浩司と綾子の健全さは滑稽に映るかもしれない。さらに純愛と云う言葉が今や死語となりつつある時代では、若い読者には時代錯誤の話と映るかもしれない。
しかし、性道徳と云うものは時代の変転の中で大きく右にも左にも揺れるので、何が正しいと云う基準は存在しない。古代では近親相姦が当然視されていた時代さえあったのだ。
一夫多妻もあれば、一妻多夫制さえある。もちろん現代の日本社会では認められていないが…結婚適齢期にしても近代社会では16~18才ぐらいが一般的だった。
かつては初産の最適齢期は19~22才と言われていた。それが医学の進歩により現在の産婦人科学会では22~26才までが、適齢期の定説となっている。
それが昨今(2014年)では、初産の平均年令は30.6才となっている。女性の生殖能力に変化は見られないのに、高齢出産が常態化している。女性の高学歴と職業意識の向上が、この様な高齢出産と結びついているのだろう。
この高齢出産の傾向は知的障害児や問題行動児、ダウン症候群の飛躍的な増大となって、大きな社会問題になるのは間近であろう。
話はまた脇道にそれてしまったが、それからも浩司と綾子の比較的健全な交際は続いた。比較的と云うのは、時々の口づけや抱き合ったりする行為にまでは止め様がなかった。しかし、最後の一線だけは何とか乗り越えずに踏み留まった。
綾子は自分の家にいるより、浩司の家にいる時間の方が多くなっていった。もちろん夜は自宅に帰って行ったが…
綾子は勉学にも励み、学校の成績もどんどん上昇していた。その分、親達は彼等の交際を暖かく見守るしかなかった。
浩司は部活には打ち込み日本中の山を歩き回っていたが、大学の成績は芳しくなかった。さすがに留年や追試験に引っかかる事はなかったが、やはり暇を見つけると文学書や哲学書を読み耽る時間が多かった。それでも綾子の勉強の面倒はよくみた。たまには二人で映画を見たり、動物園に行ったりする事もあった。
長い合宿生活を終えて帰宅すると、台所で綾子が母の手伝いなどをしていて驚かされる事が度々あった。母もすっかり綾子を自分の娘の様に可愛いがり
「綾ちゃん、綾ちゃん」
と、呼ぶようになっていた。
父親さえもがすっかり綾子に馴染み、綾子と浩司の結婚問題は既成の事実となりつつあった。
そして綾子は見事、慶應大学の英文科に現役合格を果たした。その合格通知を持って、篠木の母親と篠木自身が酒樽を持って浩司の家に来た。
次回に続く
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