想い出は風の彼方に(53)

浩司の母親は急いで寿司屋に出前の注文を出す。特上の寿司が届くのと同時に浩司の父親も帰って来た。綾子の慶應大学合格の話を聞かされ満面の笑みを浮かべる。一斗樽を見て、さらに驚き喜ぶ。
寿司を食べ、一斗樽から栓を抜いて日本酒を美味しそうに口にする。
「いや、今日は最高の日ですな。うちの馬鹿息子がどれ程のお役に立てたかは疑問ですが、何にしても綾子さんの慶應大学合格は快挙だ。実にお目出度い、もし綾子さんが浩司のお嫁さんにでもなって頂けるなら父親としてはこんなに嬉しい事はない」
と、ご機嫌の絶頂だ。
浩司も綾子も黙って下を向いていた。綾子の母親と篠木までが、
「本当に、綾子を貰って頂けるならこんな良縁はない」
と、口々に賛同した。
突然、綾子が怒った様に…
「皆んな、何が面白くて私たちをそんなに揶揄(からか)っているのですか?」
浩司も同じ様に…
「そうですよ、今日は綾子ちゃんの合格祝いに集まったんでしょう。僕は一向に構わないけど、まるで婚約祝いみたいな騒ぎ方じゃあないですか。綾子ちゃんは未だ18才ですよ。これから大学に行って勉強する身ですよ。僕だって医師国家試験まで3年もあるんです。婚約がどうのこうのと云う時期ではないでしょう」
浩司の父親が、
「お前の言う通りだ。二人はまだ勉学中の身だ。先ずは大学に行って人間形成をするのが先決だろう。それはそれとして、健全な男女交際も人間形成にはまた重要な要素となり得る。事実、この2年余り二人は自分たちの分を弁(わきま)え真面目に勉学に勤しんで来た。その結果として、綾子さんの合格と云う快挙に繋がったのであるまいか。その意味では私達は彼等二人を、これからも暖かく見守って行くべきだろう。綾子ちゃん、浩司、そんな所で機嫌を直してくれ」
父親としては、真に当を得た発言だった。全員が心から納得した。春の陽は比較的に長いが、それでも8時ともなると外は真っ暗である。
「あら、あら、すっかり長居をして…徹夫、綾子そろそろお暇しようかね」
と、母が言うのを…
「お母さんとお兄ちゃんは先に帰って、私は後片付けのお手伝いをしますから」
「おや、そうかい。それじゃあ徹夫と二人でお暇しようかね」
「綾子ちゃん、そんな気を使わなくても良いのよ。お母さん方と一緒にお帰りになったら」
「でも、おばさま…浩司さんとも少しお話がしたいですし…」
「あら、綾子ちゃん。ご免なさいね、そんな事も気がつかずに。それなら少し後片付けのお手伝いをお願いしましょうか…」
「はい、おばさま。喜んで」
綾子は嬉々として答えた。
こうして二人を送り出した後、彼女は台所で後片付けを率先して行った。9時を回った所で、浩司と綾子は揃って家を出た。
「じゃあ、お母さん。綾ちゃんを送って行くよ」
そう言い残して彼女の家路へと向かった。
次回に続く
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