想い出は風の彼方に(56)

もう、二人にそれ以上の言葉は必要なかった。
「じゃあ綾ちゃん、家まで送って行くよ」
「あら、綾子って呼んでくれるんじゃあないの。それに昼前だから一人で帰れるわよ」
「直ぐに、綾子って呼ぶのには時間がかかるよ。それに昨晩の事は篠木にもお母さんにも僕からお詫びしなければ…」
「何を詫びるの?」
「だって未成年の君と一晩も一緒に過ごしたんだぜ、やはり一言詫びる必要があるだろう」
「浩ちゃんって、妙に型苦しいのね」
「だって篠木家の一人娘なんだぜ、それを一晩かっさらったんだ。お詫びに行くのは当然だろう」
「かっさらっただなんて、私から進んで浩ちゃんに纏(まと)わりついていたのよ」
「まあ、そう云う事にして、やはりお詫びに行くよ。僕の気がすまないから…」
「分かったわ、浩ちゃんの好きにして。でも二人で朝帰りと云うのも少し恥ずかしい気がするけどね…」
「確かに、だからこそ僕がちゃんと謝りに行かなければならないんだ」
「そうかもしれない!」
綾子も素直に頷いた。
二人が綾子の家に着いたのは12時を回っていた。家に戻り綾子が、
「お母さん、ただ今」
と、声をかけた。
「まあ随分とゆっくりだった事、浩司さんとずっと一緒だったの?」
そう言って母親は訝(いぶか)し気な顔を綾子に向けた。
そこに浩司が顔を出して、
「おばさん、すみません。綾子さんを遅くまで引き留めてしまって、僕が悪いのです」
彼女の母親は急に笑顔になって、
「浩司さんが、ちゃんと監視して下さるなら構わないのよ。若い娘が一人で夜の街をぶらぶらしていたら怒りますけどね」
「おばさん、それは無いですよ。綾子さんに限って…」
「そう、それなら良いんだけど。それより浩司さんはお昼は未だなんでしょう、何か食べて行きます?」
「折角ですけど、これから寄る所があるので今日はこれで失礼します」
「そう、それは残念ね。じゃあ又、遊びに来てね」
「はい、有難うございます。では、これで失礼します」
こうして、浩司は自宅に戻った。何処に行く宛てもなかったが、ともかく眠りたかった。綾子の家で昼食を頂くよりも自分のベッドで眠りにつきたかった。まさに精も根も尽き果てた感じだ。
自宅に帰り着くや、母が作ってくれたラーメンを食べた。後は自分のベッドに潜りこみ深い眠りに入ってしまう。
目を覚ますと、時計の針は8時を指していた。7時間近くも寝ていた事になる。父親は未だ帰っていなかった。ともかく空腹感に襲われた。母の用意してくれた野菜炒めとご飯を食べる。人心地着いてから綾子の所に電話をかける。さっそく彼女からクレームを受けた。
「何時まで待っても電話が掛かって来ないから、どうしたのかと思っていたわ。綾子の事、嫌いになったの?」
「まさか、嫌いになる訳なんかないだろう。家に帰ってから7時間近くも眠ってしまったんだ」
次回に続く
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