想い出は風の彼方に(72)

大学病院の図書館で浩司は、精神医学史を調べて見た。大学に入って5年目、部活と日々の学習それに綾子とのデートで浩司は忙しく過ごしていた。
本来の志望動機である、精神医学の現状については何も考えていなかった。
何と無くフロイト理論を追求して行けば良いくらいの気持ちでいた。
しかし自分の志望動機が、現実の医療現場と照らし合わせ如何に甘いものであるかを思い知らされた。
その為に子供じみた夢を追い駆けるのではなく、近代から現代にかけての精神医学史を、じっくりと学んでみるべきだと自己反省をしたのである。
近代日本の精神医学・医療の事実上の創設者は呉秀三(1865年3月14日~1932年3月26日 )と言って良いだろう。彼の有名な言葉に、
「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」
と、ある。彼の悲憤慷慨の弁であった。精神病に罹っただけでも充分に悲劇的なのに、この国では精神疾患に対する差別的な視線が厳しいと嘆いたのだ。呉は、1890年(明治23)に、帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業、1891年に医科大学精神病学教室(榊俶教授)助手、東京府巣鴨病院医員、1896年に医科大学助教授となり、1897~1901年の間、オーストラリア・ドイツに留学し、1901年(明治34年)帰国と同時に医科大学教授、巣鴨病院医長(制度が変わって1904に院長)になった。翌1902年(明治35年)に三浦謹之助(内科教授)とともに日本神経学会(現在の日本精神神経学会)を創設、「神経学雑誌」を創刊する。
以後、呉秀三はドイツ精神医学に倣った治療を開始した。
1902(明.35)東京府巣鴨病院年報によれば、「薬剤としてタカジアスターゼ・ヲイカジン・ソマトーゼ・沃剥・満俺鐵・ペプトーン・沃度チリン・石炭酸・臭素カリ・臭素ソーダ、臭素カリ・臭素ソーダなどが使用されていた」
1919(大.8)・緒方彰がメタンフェタミンを合成、欧州に紹介する。
*メタンフェタミン
(英語: methamphetamine, methylamphetamine)は、間接型アドレナリン受容体刺激薬としてアンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもち、依存性薬物である。日本では商品名ヒロポンとして販売されているが「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されている。
第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍(日本、ドイツ、イタリア)の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、士気向上や疲労回復の目的で用いられた。
近年、世界各国において、その蔓延の急速な進行が確認されており、一例としてアメリカ合衆国では「最も危険なドラッグ」として、語られるものとなっている。
主な作用は中枢神経を刺激して覚醒させる作用があるため、医療用途としてはうつ病・精神病などの虚脱状態や各種の昏睡・嗜眠状態などの改善・回復に用いられている。
1922 (大.11)・未成年者飲酒禁止法公布
・健康保険法公布(実施は1926年)
1924 (大.13)・マラリア発熱療法導入(進行麻痺の三分の一が治療可能となった)
*マラリア発熱療法
   毒性の比較的弱い三日熱マラリア病原虫を接種して行う発熱療法。梅毒治療などに用いられた。
次回に続く
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