想い出は風の彼方に(74)

それでも人格破壊に繋がる治療の歴史が続いていた。
1938(昭.13)・メタンフェタミン、ドイツでぺルビチンの商品名で発売。
1939   (昭.14)・電撃痙攣療法
  * 電気痙攣療法は、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法であり、元々精神分裂病(現在のほぼ統合失調症に当たる)に対する特殊療法として考案されたものである。日本では1939年に九州大学の安河内五郎と向笠広次によって創始された。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法であるが、作用機序は不明である。
1940   (昭.15)  ・日本ではメタンフェタミンはヒロポン・ホスピタンの商品名で発売。
  *日本での精神科病院と病床数の推移
(精神病院165・精神科病床24000床)
1941(昭.16)・ぺルビチンは軍隊で多用・習慣性が問題となり麻薬と同じ法規制となる。
1942  (昭.17)  ・ロボトミー(前頭葉切除術)導入。
この野蛮な治療行為が一時は世界的に受け入れられた事自体が驚きを通りこしていた。
1943(昭.18)・古くは漢方薬の製造販売には殆ど何の規制もなかったが、西洋医学の導入と医制の発布を契機として、これまでの薬事・売薬法・薬剤司法を統一して(旧々)薬事法制定。
1946(昭.21)・GHQ指導の下(旧)薬事法制定(不良医薬品を取り締まる衛生警察法規色彩が強)
・医師国家試験制度採用
・生活保護法公布
1948  (昭.23)年7月・『精神医学教科書』内村祐之によって著された。その中に
「強い運動興奮には、ヒオスチンやスコポラミンの皮下注射、躁病には鎮静剤・睡眠薬スコポラミンの皮下注射、鬱病には精神的対処療法と自殺予防の注意及び痙攣療法、持続催眠療法が詳しく記載され、阿片定式療法、コレステリン・ポルフィリン・覚醒アミンなどについて触れている」
また覚せい剤は薬事法により劇薬に指定、それ以前は新薬として医師向けに販売されていた。
1949(昭.24)・リチュウム塩の躁効果オーストラリアで発表
・覚せい剤(メタンフェタミンなど)製造自粛と製造と製造中止勧告
1950(昭.25)・薬価基準制度制定(健康保険制度の普及に伴う)
当時は医薬品や売薬の輸入販売などの規制は少なく医師の責任で自由に輸入、患者に使用できた。厚生省の薬品製造・販売への認可は簡単であった
1952・フランスでクロールプロマジン(CPZ)の精神病への効果発見、臨床に用いられ有効性が確認される。その後レセルピン・メプロバメートなども有効性確認
1954(昭.29)・『常用新薬集』15版出版される。
その中に催眠剤として、ブロムワレル尿素(ブロバリン)、バルビツール系製剤(バルビタール・イソミタール・ラボナ・チクロパン)、鎮静剤はブロムカルシュウム注、抗痙攣剤としてフェノバルビタール製剤、ヒダントイン製剤(アレビアチン・コミタールなど)その他アーテン、自律神経興奮剤としてヒロポン、アルコール中毒治療剤にアンタブース、後に向精神薬として用いるレセルピンを含むインド蛇木根アルカロイド製剤のエガリンが血圧降下剤としての記載が認められた。
1955(昭.30)・輸入されたCPZを使用し、1955年頃から症例報告される。
・コントミン(吉富製薬)、ウインタミン(塩野義製薬)の製法特許、独自のCPZ製剤発売:一般精神病院でCPZが本格的に使用され出したのは昭和31~32年頃からであった。
  *日本での精神科病院と病床数は拡大し続けて    いた。
(1955年時、260病院・精神病床44、250で人口1万対4.96)
1956(昭.31)・1950年代初期、精神症状に治療効果のある薬物をトランキライザーとよび、抗精神作用のあるものをメジャートランキライザー・神経症性不安に有効なものをマイナーランキライザーと称した。現在は「抗不安薬」に相当する薬物を指す。
ここまで調べ上げて、浩司は改めて自分の進む道は精神科医ではないと確信した。
次回に続く
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