想い出は風の彼方に(79)

こうして和也くんの厳しい闘病生活が始まった。2度にわたる開腹手術、抗癌剤治療など、ただの延命治療に過ぎないが医師たちの闘いも過酷であった。まだ延命治療と云う概念も乏しい時代であった。「生命の尊厳」こそが、医療の最大目的であった。抗生剤の開発、ステロイド剤の発見により、20世紀の医学は驚異的に人間の生命を伸ばしていた。天然痘、癩病、結核などの感染症は次から次へと克服されて行った。しかし、新しい病気も生み出されていた。花粉症、ウィルス性肝障害、医原性疾患(医師の薬剤投与などにより引き起こされた疾患)、神経系統の難病、そして各種の癌病変など、どんなに医学が進歩しても常に無限の課題が医療の前には横たわっている。
「生命の尊厳」と、「人間性の尊厳」との何(いず)れかが重要であるのか?
そう問われ出したのは、20世紀も後半になってからだ。日本では欧米に比べ少し遅れ、21世紀になって「延命治療」の見直しが議論される様になって来た。それは欧米の宗教感に基づく「人間性の尊厳」と云うよりは、医療経済による「延命治療」に疑問が出て来たと言うべきだろう。少子高齢化が加速する日本では膨大な医療費の増大により、国家予算が悲鳴を上げ出した。その対策として、国は無料だった老人医療費の自己負担額を年々増加させ出した。患者並びに家族も、その負担額の厳しさに「延命治療」を経済的理由を基に考え直している。さらに、我が国では戦後の道徳教育の衰退により
「武士道」から派生したと言われる「死生観」の意識構造が薄弱化している。
「何の為に生きるのか?」
と云う、問いかけさえ出て来る事は稀である。ましてや、
「誰の為に生きるのか?」
と云う問いかけは、皆無に近いのではないだろうか?
それでも浩司が医学生の時代は、医療費の差額もまだ無償化に近かったし、使命感の中で日々切磋琢磨していた医師は数多くいた。患者も医師も経済的な問題に神経を使う事はなかったのだ。そんな時代では一人前の医師になるまで、国家試験合格後も無給に近い待遇で甘んじていた若い医師は幾らでもいた。一人前の医師になれば報われる日が来る事を信じていたからに違いない。新人の看護婦の1/3にも満たない薄給で何年も昼夜を分かたず医療活動に専念していたのである。むしろ、そんな薄給にプライドさえ持っていた。
医師が過労で倒れるのは常識でさえあった。この時代、医師は他の職種に比べかなり短命であったのだ。おそらく医療活動にロマンを感じていたのだろう。
その様な時代に浩司は、医師を目指していた。医学部6年生、国家試験前の病棟実習が続いていた。小児科病棟での実習は精神的な疲労が多かった。同じ医学生の中でも感じ方は、人それぞれであった。文学青年的な鋭い感性を持った浩司には、辛い実習である。
受け持ちの和也くんには、最期の時が迫っていた。和也くんの担当になって10日目、彼はベッド脇のママの前で何かを囁いていた。その囁きが浩司の耳にも入ってしまった。
「本当に正義の味方っているの?」
そんな質問を彼は、ママに投げかけていた。
「仮面ライダーがいるじゃない…!」
そうママが答える。
次回に続く
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