診察室からコンニチハ(31)

また知り合いの老人ホームから、「認知症の講演」を頼まれました。私は色々な施設から年に5~6度は「認知症の講演」を頼まれます。その為に年に数度は講演の原稿を少しずつ書き直して行きます。常に最先端の知識をお伝えしなければならないと云う義務感に襲われるからです。この講演も「認知症ブログ」と合わさって、常に私を勉強にと駆り立てる大きな要因になっています。
「睡眠時無呼吸症候群」や「認知症講演」を幾度ともなく熟(こな)していますと、多くは50~100人程度の参加者ですが、舞台度胸がついて来ます。「ブログ」からの難解な質問も多いものですから、講演での質問にたじろぐ事は先ずありません。
如何にも認知症専門医みたいな顔をして堂々と、どのような質問にも答えています。しかし、正直に言えば私は認知症専門医という資格は持っていません。専門医になる為の論文や試験も受けてはいません。全ては独学です。そして多くの方の質問と、講演による修練が私を鍛え上げているに過ぎません。それに日々の外来診療が私の知識の源となっているのです。
次回に続く

診察室からコンニチハ(30)

認知症患者さんの新患が徐々に増えています。増え方は月に数例ですが、それでも私の認知症ブログを見てやって来たと言われますと、心から嬉しくなります。普段以上に緊張します。やはり私のブログ・ファンを裏切りたくないと云う思いが強くなります。ご家族の方のこれまでのご苦労を考えますと30分以上はお話を伺う事になります。原則的に私の認知症外来は予約制なのですが、新患で飛び込みでお出でになる方は予約なしの方も多いのです。もちろん予約なしでも受付けています。
ブログでは一流の専門医みたいな態度で回答していますので、ブログから来た患者さんに失望感を与えたくないと云う思いが先行して普通以上に力が入ってしまうのかもしれません。
それ以外には睡眠時無呼吸症候群にも力を入れています。なぜ睡眠時無呼吸症候群に関心を持ったかと言いますと、10数年前に私自身が睡眠時無呼吸症候群(SAS : Sleep Apnea Syndrome)の診断を受けたからです。医師自身が糖尿病や高血圧症になりますと、当然ながら普通以上にその疾患に格別の興味を抱くものです。自分自身がCPAP ( continuous positive airway pressure : 持続陽圧呼吸療法)を付けるようになってから睡眠時無呼吸症候群の本もずいぶんと読みました。医学書を読みながら、患者は自分自身ですからSASの医学情報の吸収は比較的に楽でした。一昨年前頃からタクシー会社、バス会社にSASの無料講演にも10数回以上は出かけました。国土交通省から、これらの会社にSASの健康診断をする様に指示が出ているのです。SASによる重大な交通事故が後を絶たないからです。この情報を手にしてから私は無料講演に出かける様になったのです。
この講演によっても患者さんは少しずつ増えています。
私の外来は原則的には予約制ですが、一般内科の患者さんも多く飛び込みの認知症患者さんがお出でになると予約制であるにもかかわらず、1時間近くもそれ以外の患者さんをお待たせしてしまう事があります。お待ち頂いている数は5~6名にもかかわらず時計の針だけがどんどん進んで、患者さん方からお叱りを受ける事もあります。
私は待つ事が苦手ですが、他人を待たせる事も好きではありません。それにも関わらず、長い時間お待たせしてしまう事を、ここで改めてお詫び申し上げます。
次回に続く

診察室からコンニチハ(29)

そろそろ私の診察室から生の話をして行きます。外来は週に3回です。
今のところは火曜の午前、木曜の午後、金曜の午前です。それ以外は入院患者さんを診たり、このブログを書いたりしています。このブログは平成27年6月12日から始まり3年以上続いています。多くの認知症患者さんを診ながら、公開質問を受ける事により自らを叱咤激励して、まともな回答をする為にずいぶんと勉強をさせられました。生来が怠惰な私は、この様に自分を外部から逃げられない様にして「認知症」という学問の世界に突き進んで行ったのです。患者さん方から寄せられるご質問も段々とレベルアップして、その度に認知症の専門誌をあっちこっち探し回りました。患者家族の方から寄せられる多くのご質問に答える事は、かなり過酷な時もありました。24時間以内に回答すると云う自分への約束も、それを守り抜く為の苦痛に悲鳴を上げそうな時もありました。そういった試練を受けて普通の一般内科医でしかなかった私も、少しずつ認知症の医学の深さの中でスキルアップして行けたと思います。その意味では多くのご質問を投げかけて下さった皆様には、心から感謝しております。
次回に続く

診察室からコンニチハ(28)

【認知症に関する昨今の知見】
認知症といえばアルツハイマー型認知症という考え方が2010年ぐらいまでは、神経内科・精神科では支配的でありました。MRIにおける所見、遺伝子検査、家族性アルツハイマー病の存在、アミロイドβ蓄積の学説、タウ淡白犯人説それぞれが主張を譲らず認知症学会でも多くの意見が分かれていました。電子顕微鏡を使った脳内蓄積物質の解明に、世界中の医学者や生理学者が血まなこになっていたのです。
しかし、いずれの学説にも確たる軍配は上がりませんでした。当然の如く、真の病因が判明しない以上根本的な治療法が出て来るはずもありません。
脳血管性認知症(脳梗塞・脳出血など)と脳神経細胞変性疾患(多くはアルツハイマー型認知症)と云う単純な図式が崩れつつあります。レビー小体型認知症の存在が大きくなって来たのです。これまで、何故レビー小体型認知症が見過ごされて来たのでしょうか?…最大の原因はMRIなどの画像診断で細胞変性が最も遅れて出て来るからです。アルツハイマー型認知症の方が比較的に早い時期からMRIなどによる画像診断が容易だったのです。
レビー小体型認知症では臨床的な病状がかなり進行してから、画像診断で頭頂葉や後頭葉にレビー小体の変性像を見つける事が出来たのです。
少し大げさな言い方をすれば、助けようもない癌末期をCTやMRIで発見しても仕方がなかった様に、画像診断でレビー小体型認知症が見つかったとしても手遅れであったのです。しかし、医学の進歩によりレビー小体型認知症の診断技術も昨今では上がっています。
従来の検査では調べられなかったドパミン神経の状態を、画像で確認するSPECT(スペクト)検査などが早期診断を容易にしています。
これらの早期診断技術の進歩により、レビー小体型認知症が意外にも多いという認識が認知症専門医の間でも拡がっています。
ともかくレビー小体型認知症は、主症状が認知機能障害だけではなく、睡眠障害、運動障害、自律神経障害、うつ症状を含めた精神障害さらに薬剤過敏症状と症状が余りに多彩な為、精神科領域なのか神経内科領域なのか判然としない時代が長く続き診断基準も混乱していたのです。
ですから「認知症・パーキンソン症候群」などと並列した病名が平気で付けられていたのです。2017年にレビー小体型認知症の改訂・診断基準が出来あがり、この混乱にも幾らか統一の動きが出ています。
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診察室からコンニチハ(27)

江戸時代には認知症患者に対する行動制限や身体抑制は、どの様になされていたかを記載します。
「妄言(もうげん)・妄走(現在で言う徘徊)・夜不寝(よるもねじ)」に対しては繋置(けいち : ひもで縛る)・桎梏(しっこく : 手枷足枷)、座敷牢もやむを得ないと考えられていた様です。しかし、これらの身体拘束にはそれなりの手続きが必要で安易な拘束には一定の制限が加えられていました。つまり拘束を行う為には提出書類があったのです。親族・名主らの連署、番所・奉行所への願書、医師の口上書(こうじょうしょ)、役人の検分書などの複雑な手続きありました。この時代には、すでに行動制限に対する懸念が芽生えいた事が理解されます。
Ⅴ : 認知症の病態に関する考え方の変遷
古代唐代の医書「備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)」によると、偏枯(片マヒ)、恍惚、狂言妄語は「風」(ふう : 外因の邪気)が皮膚から侵入することにより生じると信じられていた様です。
中世元代の医書「格至余論(かくちよろん)」では、老年期の精血減少(虚)が健忘、難聴、視力低下などを生じる原因であり、老耄は老化に伴う自然現象であるという考え方に進化しています。
江戸時代に書かれた「病因精義」1827年では、
「脳内障害・粘凝汚液・血性不良・老衰病損」が「脳髄」と霊液の路である「白脈」(神経)を侵すと記載されています。さらに明治時代に発刊された「老人病学」1914年では、老年性器質的精神障害の原因として、老耄、進行麻痺(現在の脳梅毒)、動脈硬化性精神病・アルツハイメル氏病と分類され現在の考え方に一歩近づいています。
Ⅵ. 認知(痴呆)疫学の芽生え
1960年代から、「痴呆」が「ほけ、老耄、老碌」などの用語に代わって用いられています。本邦における痴呆学(認知症学)は、「老年痴呆に関するアルツハイマー病変化が多い」ことを主題とする病理学的研究から始まりました。
昭和30年代には、「白痴脳におけるアルツハイメル原線維変化の研究」(林 道倫 : 岡山医大精神科教授)1955年、さらに「老人脳の病理」(猪瀬 正 : 東京都立神経病院)1957年、「老人性病変の組織化学」(石井 毅(たけし) : 東京都精神医学総合研究所)1958年などの論文が発表されました。
一方、本邦で臨床研究が増加して来たのは1980年になってからであり、20世紀当初から臨床研究が認知症発見の手かがりとなった欧州とは認知症学の生い立ちが異なる印象が歪めません。また2004年に痴呆が認知症に用語変更された記憶は新しいところです。
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診察室からコンニチハ(26)

ここで認知症の概念の変遷(へんせん)と医学的・社会的な考え方の歴史を振り返ってみたいと思います。以下の文章の多くは「認知神経科学 Vol.17 No.3~4 2015 福井俊哉の論文」より引用しています。
Ⅰ. 本邦古代における認知症
神話の世界では認知症や精神病を有する者は畏敬と脅威の対象であったらしいのです。これらの人たちの言動や行為が全く理解出来ず、ただ崇(あが)めるしかなかったのでしょう。7世紀後半の万葉集では、鷹を逃した鷹師を
「狂(たぶ)れたる醜(しこ)つ翁(おきな)」と称しています。
この当時から認知症が「狂・醜」などの文字を用いて考えられていたようです。
Ⅱ. 中世における認知症
この頃から認知症を「ほけ」と表現していて、現在の「ぼけ」の語源と思われます。源氏物語(11世紀)では、明石の君の母は
「こよなき ほけびと」
と、その認知症の程度が表現されています。さらに源平盛衰記(鎌倉時代12世紀)では、源頼朝に反逆した伊東入道祐親(すけちか)法師のことを、その子の祐清(すけきよ)が
「父入道老狂の余り、便なき(びんなき : けしからぬ)事をのみ振舞い候」と表現しています。
「便なき」とは排便の事ではなく、立ち振舞いの異常さを表していますので誤解の無いように願います。
また「老狂」とは、老年期認知症に相当すると思われますが、社会的には何を仕出かすか分からない厄介なもの、というニュアンスが込められているようです。
Ⅲ. 近世における認知症
江戸時代の根岸鎮衛(やすもり)の雑談集「耳嚢(みみぶくろ)」1814年の中に「老人へ教訓の歌」が収録されていますが、一部を紹介します。
「皺(しわ)よる、背はかがむ、頭ははげる、手は震ふ、足はよろつく、耳聞こえず、目はうとい…同じ噂を繰り返し、物わすれ多し」
などが記されています。そして老耄(ろうもう)は老いの不可避的現象なので逆らわず自然体でふるまう様にと諭しています。
Ⅳ. 近世の認知症予防・治療に関する考え方
近世畸人伝(1709年)では、養生は老耄(ろうもう)を遅らせるとし、具体的には食生活を見直し、精神的なストレスを少なくするのが良いと、現代でも通用する記載がみられます。また患者介護に関しては、患者は他界後に祖霊に昇格し子孫の守護神となるので、介護は家族が行うべきものであると書かれています。
また認知症治療に関しては、同じく近世畸人伝によりますと、老耄を含む心の病に対しては
「神医(かむい)といえども術無し」
と、諦めています。
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診察室からコンニチハ(25)

ある認知症患者さんは、顔を覚えたケアスタッフが行くと素直に口を開き、自分で薬を進んで飲んでくれる様になりました。そして暴れることもなくなり、両手の拘束が不要になります。そして次の段階では、患者さんの好物であるバナナを用意しました。自分で皮をむいて食べる事さえ出来る様になりました。その5日後には車いすに座って箸を使い、食事を取れるまでに改善したのです。
「ユマニチユード」を発案したジネスト氏は、こう述べています。
「ケアしてくれる人を友達と認識し、人間同士の絆を感じたことで意欲が沸いたのです。私も、友達と一緒に食事をすると食べ過ぎるし飲み過ぎてしまいます。人間の食事とはそういうものです」と…
さらにこの認知症患者(女性)は、歩行のトレーニングをすることになりました。最初は大変でしたが、補助しながらゆっくり歩を進めます。
「立位を取ることで、人間の尊厳を取り戻してもらいます」(ジネスト氏)。
そして迎えた退院の日、女性は鏡を見ながら髪の毛をくしでとかし、自分で選んだアイシャドーでお化粧をして病院を後にしました。このような変化が、ユマニチュードを「魔法」と評する人がいるゆえんでしょう。
どうせ認知症患者なんだから何も分からないと云う偏見が、人間性の尊厳を蔑(ないがし)ろにして来たのです。これまでの介護現場では…
我が国でもフランスから伝わって来た「ユマニチユード」の理論を頭で理解する人は増えています。しかし人手が足りないとか、介護にそんな多くの時間をかけられないとかいった幾つもの言い訳で、真にこの理論を学び実践しようとする施設や病院は極めて少ないのが現状です。安易な薬剤投与が未だ多くの現場では横行しています。それは経済的効率を優先しているからでしょうか、いいえ人間性の尊厳を置き忘れているからではないでしょうか。
私も医師として、反省すべき点は多々あります。それでもなるべく多くの時間をカウンセリングや脳トレに費やしています。「ユマニチユード」の理論を知る前から、この姿勢は変わりません。それでも現場の介護をするスタッフの大変さと、苦労の訴えに負けてしまう事があります。
「ともかく精神科医に任せるべきだ」
と云う介護者の偏見が未だ余りに強いのです。つまり薬剤投与に頼るべきだと云う声に繋がる思考形態です。医師一人の力では、多くの介護者の抵抗に負けてしまう事もあるのです。
どれだけ多くの介護者に、この「ユマニチユード」の理論を理解し、実践してもらうかが今後の大きな課題です。
しかし、一方では日本の国民医療費が、国際的に見てかなりバランスが悪いと云う事情もあります。患者さんに対する医師や看護師の配置数が少な過ぎるのです。医薬品や高度の医療機器の使用に支出を多く割かれているからです。良質な医療環境には、それなりのマンパワーがどうしても必要です。こんな事情にも「ユマニチユード」の実践を阻害している現実があります。日本ではCTやMRIが世界的に見ても多すぎると云う指摘や医薬品の使用量が多すぎる現実があるのです。
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診察室からコンニチハ(24)

ケア中は、触覚や視覚、聴覚の全てにポジティブなメッセージ(人間として支え合うことの喜び、金銭ではなく奉仕出来る事への感謝、誰かの役に立っていると云う充実感、人格の尊重)を伝える「知覚の連結」を行います。
認知症患者さんであってもケアしている人の心は伝わっているのです。仕事だから、嫌々行っているオムツ交換、効率化を優先する食事介助などにはへきへきしながら患者さん達は我慢しているのです。オムツ交換をして清潔になったと云うメッセージより、強引な体位にさせられた屈辱的な思いだけが印象として強く残っているかもしれません。そんなマイナスイメージの中では「知覚の連結」は生まれません。優しい言葉を掛けていてもアイコンタクトが成立していなかったり、腕をつかんでしまっていては、「あなたを大切に思っている」というメッセージは認知症患者さんには伝わりません。認知症患者さんの目を見ながら、
「オムツ交換をして身体を綺麗にしましょうね。少し体を横にして頂いても良いですか?大丈夫、痛くはないですか…もし宜しければ私の左腕を支えにしても良いのよ」
この様な声かけとアイコンタクトが「知覚の連結」の基本なのです。そこには患者さんの意志を優先したオムツ交換があるのです。
「どうですか、身体が綺麗になったら気持ちもスッキリしたでしょう。これでお食事はもっと美味しくなると思うわ」
と云う発言に「知覚の連結」が生まれるのです。
人は金銭なくしては何も買えません。しかし、金銭で全てが買えるのではないのです。心の絆で人間同士を支え合う事も出来るのです。
この様にして「知覚の連結」が一歩前進すると、食事の介助もスムーズになって行きます。この介助にも相当のテクニックが必要です。テーブルの上に置いある皿からスプーンで直接的に口まで運び入れる作業は考えものです。それだと単なる作業です。声かけはもちろんですが、何が口に入れられるかの認識が必要なのです。皿の上に盛られたカレーライスを患者さんの目線にまで上げ、
「今日はとても美味しいカレーライスが出来たのよ。ほら見て、美味しそうでしょう。食べてみる?」
と云う、声かけと食べ物がカレーライスであると認識してもらう必要があるのです。より快適な状態で食事を楽しんもらう感性が介護者に求められるのです。
ケア終了後に行うのが、「感情の固定」です。認知機能が低下し、3分前の出来事を覚えていなかったとしても、感情記憶は残ります。ケアしてくれた人の名前は分からなくても、私はこの人が好き、嫌いということは覚えているものなのです。
「この人は優しい人だ」
という感情を覚えておいてもらうのが、「感情の固定」です。
具体的には、ケア後に患者さんをなでながら「さっぱりしたね」「気持ちいいね」とポジティブな言葉を掛け、「また来るね」と「次回の約束」をします。
このなでるというテクニックも正確な技術が必要です。指を開いて肩のあたりをなでます。顔と顔を20cmまで近づけ、目と目をずっと合わせて前向きな言葉を発し続けます。
すると、次に会ったときもケアした人の顔を覚えており、スムーズにケアを行うことができるようになると言います。
次回に続く