診察室からコンニチハ(25)

ある認知症患者さんは、顔を覚えたケアスタッフが行くと素直に口を開き、自分で薬を進んで飲んでくれる様になりました。そして暴れることもなくなり、両手の拘束が不要になります。そして次の段階では、患者さんの好物であるバナナを用意しました。自分で皮をむいて食べる事さえ出来る様になりました。その5日後には車いすに座って箸を使い、食事を取れるまでに改善したのです。
「ユマニチユード」を発案したジネスト氏は、こう述べています。
「ケアしてくれる人を友達と認識し、人間同士の絆を感じたことで意欲が沸いたのです。私も、友達と一緒に食事をすると食べ過ぎるし飲み過ぎてしまいます。人間の食事とはそういうものです」と…
さらにこの認知症患者(女性)は、歩行のトレーニングをすることになりました。最初は大変でしたが、補助しながらゆっくり歩を進めます。
「立位を取ることで、人間の尊厳を取り戻してもらいます」(ジネスト氏)。
そして迎えた退院の日、女性は鏡を見ながら髪の毛をくしでとかし、自分で選んだアイシャドーでお化粧をして病院を後にしました。このような変化が、ユマニチュードを「魔法」と評する人がいるゆえんでしょう。
どうせ認知症患者なんだから何も分からないと云う偏見が、人間性の尊厳を蔑(ないがし)ろにして来たのです。これまでの介護現場では…
我が国でもフランスから伝わって来た「ユマニチユード」の理論を頭で理解する人は増えています。しかし人手が足りないとか、介護にそんな多くの時間をかけられないとかいった幾つもの言い訳で、真にこの理論を学び実践しようとする施設や病院は極めて少ないのが現状です。安易な薬剤投与が未だ多くの現場では横行しています。それは経済的効率を優先しているからでしょうか、いいえ人間性の尊厳を置き忘れているからではないでしょうか。
私も医師として、反省すべき点は多々あります。それでもなるべく多くの時間をカウンセリングや脳トレに費やしています。「ユマニチユード」の理論を知る前から、この姿勢は変わりません。それでも現場の介護をするスタッフの大変さと、苦労の訴えに負けてしまう事があります。
「ともかく精神科医に任せるべきだ」
と云う介護者の偏見が未だ余りに強いのです。つまり薬剤投与に頼るべきだと云う声に繋がる思考形態です。医師一人の力では、多くの介護者の抵抗に負けてしまう事もあるのです。
どれだけ多くの介護者に、この「ユマニチユード」の理論を理解し、実践してもらうかが今後の大きな課題です。
しかし、一方では日本の国民医療費が、国際的に見てかなりバランスが悪いと云う事情もあります。患者さんに対する医師や看護師の配置数が少な過ぎるのです。医薬品や高度の医療機器の使用に支出を多く割かれているからです。良質な医療環境には、それなりのマンパワーがどうしても必要です。こんな事情にも「ユマニチユード」の実践を阻害している現実があります。日本ではCTやMRIが世界的に見ても多すぎると云う指摘や医薬品の使用量が多すぎる現実があるのです。
次回に続く

診察室からコンニチハ(24)

ケア中は、触覚や視覚、聴覚の全てにポジティブなメッセージ(人間として支え合うことの喜び、金銭ではなく奉仕出来る事への感謝、誰かの役に立っていると云う充実感、人格の尊重)を伝える「知覚の連結」を行います。
認知症患者さんであってもケアしている人の心は伝わっているのです。仕事だから、嫌々行っているオムツ交換、効率化を優先する食事介助などにはへきへきしながら患者さん達は我慢しているのです。オムツ交換をして清潔になったと云うメッセージより、強引な体位にさせられた屈辱的な思いだけが印象として強く残っているかもしれません。そんなマイナスイメージの中では「知覚の連結」は生まれません。優しい言葉を掛けていてもアイコンタクトが成立していなかったり、腕をつかんでしまっていては、「あなたを大切に思っている」というメッセージは認知症患者さんには伝わりません。認知症患者さんの目を見ながら、
「オムツ交換をして身体を綺麗にしましょうね。少し体を横にして頂いても良いですか?大丈夫、痛くはないですか…もし宜しければ私の左腕を支えにしても良いのよ」
この様な声かけとアイコンタクトが「知覚の連結」の基本なのです。そこには患者さんの意志を優先したオムツ交換があるのです。
「どうですか、身体が綺麗になったら気持ちもスッキリしたでしょう。これでお食事はもっと美味しくなると思うわ」
と云う発言に「知覚の連結」が生まれるのです。
人は金銭なくしては何も買えません。しかし、金銭で全てが買えるのではないのです。心の絆で人間同士を支え合う事も出来るのです。
この様にして「知覚の連結」が一歩前進すると、食事の介助もスムーズになって行きます。この介助にも相当のテクニックが必要です。テーブルの上に置いある皿からスプーンで直接的に口まで運び入れる作業は考えものです。それだと単なる作業です。声かけはもちろんですが、何が口に入れられるかの認識が必要なのです。皿の上に盛られたカレーライスを患者さんの目線にまで上げ、
「今日はとても美味しいカレーライスが出来たのよ。ほら見て、美味しそうでしょう。食べてみる?」
と云う、声かけと食べ物がカレーライスであると認識してもらう必要があるのです。より快適な状態で食事を楽しんもらう感性が介護者に求められるのです。
ケア終了後に行うのが、「感情の固定」です。認知機能が低下し、3分前の出来事を覚えていなかったとしても、感情記憶は残ります。ケアしてくれた人の名前は分からなくても、私はこの人が好き、嫌いということは覚えているものなのです。
「この人は優しい人だ」
という感情を覚えておいてもらうのが、「感情の固定」です。
具体的には、ケア後に患者さんをなでながら「さっぱりしたね」「気持ちいいね」とポジティブな言葉を掛け、「また来るね」と「次回の約束」をします。
このなでるというテクニックも正確な技術が必要です。指を開いて肩のあたりをなでます。顔と顔を20cmまで近づけ、目と目をずっと合わせて前向きな言葉を発し続けます。
すると、次に会ったときもケアした人の顔を覚えており、スムーズにケアを行うことができるようになると言います。
次回に続く

診察室からコンニチハ(23)

さて、「ユマニチユード」の実践編です。テクニックは見る、話す、触れる、立つという4つの柱を基本とし、150を超える技術で構成されています。そして全てのケアは、5つのステップを経て行います。
• [1]「出会いの準備」
• [2]「ケアの準備」
• [3]「知覚の連結」
• [4]「感情の固定」
• [5]「次回の約束」
 まずは「出会いの準備」というステップで声かけをしながら、患者さんのプライベートな領域に入る許可を得ます。それは他人の家に訪問した時、玄関のドアをノックするのと同様の行為です。それが4人部屋などの空間であっても、そこは患者さんのプライベートな領域なのです。当然のごとく
「こんにちは」とか、
「いま失礼しても良いですか?」
とかの許可を得る必要があります。
しかし、病院や施設ですと患者さんのベッドルームがプライベートな領域であるとの認識が乏しくなっている傾向が強いのではないでしょうか。何の断りもなく、さあオムツ交換の時間だからとかってにベッドルームへ近寄り、機械的に身体の清拭をしたりしていた例が、これまでは多かったでしょう。これでは人間同士の温かい介護の手とは言えないと思います。ですから先ずは「出会いの準備」から始めなければならないのです。そして患者さんの了解を得て次に入るのが「ケアの準備」です。このポイントは相手とともにいる時間が心地よいものであることを表出しながらケアの導入へと進めます。実際にケアをする際は、清拭する部位の順番にも心を配ります。清拭する部位の順番にも根拠があります。例えば認知症女性の場合、感覚が比較的鈍い足から拭き始めるのです。次に背中、そして前面へと拭いていきます。最も敏感な顔と手は最後に行います。車を洗うように、ただ患者を洗えばいいというものではないのですから。この清拭の場合も常に声かけが必要です。
「どう、気持ち良いですか?
タオルの温かさは大丈夫ですか?
どこか痒い所はない…汚れの気になる所はどうですか?」
通常の美容院で洗髪する場合、美容師は何時だってこの様な声かけをしながらお客様の洗髪をしていますよね。これが病院や施設だと、相手が認知症患者だと思ってしまうせいか、この様な声かけの少ないのが気になります。認知症患者さんだって感情は持っているのですから、少しでも気持ちの良い状態で清拭や洗髪をしてもらえる方が、心は開いてくれるでしょう。互いに心の接点を大切にする事が、この「ユマニチュード」の基本理念です。
次回に続く

診察室からコンニチハ(22)

話が少し脱線しているかもしれません。「ユマニチユード」優しさを伝える介護の基礎に戻りましょう。
根本は認知症患者さんの視点にどうすれば立てるかと云う発想にあります。視野狭窄や聴力障害、記銘力障害(もの忘れ) 、行動異常(普通の人にとって)そして味覚障害、自律神経障害(排便、排尿コントロールの困難さ)、そして睡眠障害など認知症患者さんの多彩な症状を介護者が充分に理解する事から全ては始まります。これらの充分な理解がない限り、優しさを伝える介護(ユマニチユード)の基礎は出て来ません。
無知や偏見からは介護の基礎が出て来るはずもないのです。
しかし、健康な人間が認知症患者さんの思考回路をどこまで共有出来るかが 問題です。
簡単に、この思考回路を共有出来るとは思えませんが、それでも疑似体験をする事は出来ます。例えば、紙に鉛筆で穴を開けてそこから自分の目で覗いて見て下さい。上下左右の視野が狭まり、周囲の状況がほとんど見えなくなってしまうでしょう。それが視野狭窄と云う意味です。これでは道路を歩いていても信号の点滅が分かりません。さらに車の動きさえ判断がつかないでしょう。だから認知症患者さんは交通事故に遭いやすいのです。一方の聴力障害は、認知症でなくても補聴器を付けている人は幾らでもいますから容易に想像はつきますよね。それでも難聴の人との会話は疲れます。微妙な言葉の意味合いを理解してもらうのに困難さを感じる事もあります。そんな困難さから、心の繋がりを深める努力を怠る場合があるかもしれません。さらに物忘れから、幾度も同じ質問が繰り返される事も多いでしょう。そんな時、介護者の疲労は増すばかりになるかもしれません。そして徘徊を含めた行動障害(異常)や、排便排尿の問題など介護者が理解しなければならない事は山ほどあります。それらの一つ一つを乗り越えるには介護者の大きな愛情と、よく訓練された学習能力が必要となります。ここまで、くどくど述べて来ますと、読者の多くは、余りに難解な話と感じるかもしれません。
しかし、それは一つの病気に対する知識であり日々の介護には慣れの部分も大きいですから、それほど尻込みする事はないと思うのです。
例えば育児で考えてみますと、新生児の不眠不休の哺乳やオムツ交換などは2時間に一度のペースですが、それも慣れてしまえば多くの人たちが普通にこなしている事です。
介護も同じで、苦痛と考えれば苦痛の部分も確かにあるでしょうが、慣れと知識の部分で乗り越えられるかもしれません。それに多くの福祉の利用の仕方もありますし…
次回に続く

診察室からコンニチハ(21)

今回は認知症に対する介護について考えて行きたいと思っています。
先ず注目すべきは数年前にフランスから伝えられて来ました「ユマニチユード」です。
優しさを伝える介護の基礎と解釈されている手法です。つまり「認知症」への純医学的な解明に糸口を見出せぬまま、今度は社会心理学的なアプローチを求め出したのです。
それは、かつての精神医学が医学的な解明が出来ぬまま、フロイトやユングに社会心理学的な解釈を試みさせたのと似ているかもしれません。
しかし、その後クロルプロマジン系薬剤の発見で精神医学は飛躍的に治療効果を上げて行きました。それに伴いフロイトやユング的な解明方法は下火になって来ました。
だからと言って、心理学的な効果が全く否定出来るものではありません。現にプラセボ(偽薬)効果と言って、薬として本来の作用が全くないにもかかわらず、臨床実験では何十%かの患者さんは
「とても良く効く薬でした」
と語っている事実もあるのです。
格言に
*「鰯の頭も信心から(いわしのあたまもシンジンから」*
と言われる様に…
*一旦信じてしまえば、どんなものでもありがたく思えるということ。江戸期、節分に鬼除けのため、玄関先に鰯の頭を吊るす習慣があり、それに由来するという説が有力。*
つまり人間の心理学的な側面は、完璧な医療体制が出来上がるまでは(完璧な医療体制などあり得ないのですが、旧い病気の克服と新しい病名の出現が永遠のテーマなので…)、それなりに有効的な部分もあるのです。
また心理学的な側面は、脳内ホルモンの分析によっても説明は可能です。心のバランスをプラス志向に持って行く事でエンケファリン(脳のほか脳下垂体・脊髄・副腎髄質などに分布し、モルヒネ受容体と結合して鎮静作用を生じるペプチド)やβ-エンドルフィン(中枢性にも末梢性にも存在し、鈍い痛みに対する鎮痛作用がありヒトが受傷した時、まだ傷が残っているにも関わらず、すぐに痛みが引き始める根拠)はその為です。痛みが鈍くなる理由は、この物質がオピオイド受容体(モルヒネ様物質の作用発現に関与する細胞表面受容体タンパク質)と結合して、活性化するためなのです。モルヒネと比べて、鎮痛剤としての作用が約80倍強いと実証されている脳内ホルモンです。
つまり心の問題は脳内ホルモンのバランスを保つ上でも重要なのです。
また飲酒により鎮静作用が認められたり、覚醒あるいは興奮作用が増強されたりする事実は昔から知られています。もっとも飲酒量によっては逆の面が強く出る事もあります。常習性の飲酒癖は脳内ホルモンのバランスを乱しやすいと云うのは、医学的にもすでに実証されています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(20)

抗アミロイドベータ治療法がアルツハイマー型認知症の抜本的解決に結びつくかとの期待感を、世界中の認知症専門医が抱いた時期もありました。しかし未だ成功例の報告は何も聞かれません。ワクチン療法への期待も萎んだままです。
アミロイドベータやタウ蛋白の蓄積がアルツハイマー型認知症の原因だと多くの医学者は考えていましたが、これも仮説に過ぎないとの議論が出始めています。つまりアルツハイマー型認知症の根本原因は、未だ闇の中にあると言えるかのもしれません。
そうなると認知症専門医は何をすれば良いのかとの、疑問に突き当たります。
ドネペジルやメマリチンの治療効果に疑いを抱く専門医が多くなっている現状では、生活療法や食事療法さらに脳トレなどに主眼を置いた治療効果を確かめて行くしかないのが、現状です。
検査的にはMRIで見る画像診断やドパミン神経の状態を見るSPECT(スペクト)検査、遺伝子検査さらにアミロイドPET(自費で10万円以上)の検査が最先端の技術と言えますが、それらの高度医療機器を使った検査が、未だ根本治療に生かされないのは残念です。末期癌の検査は出来ても治療と結びつかないのと同様かもしれません。また現状では最先端の医療機器で適切な診断が付いたとしても、多くの場合は認知障害が手遅れになっているとの文献もあります。
つまりは、生活療法や脳トレに重きを置いた治療や予防対策しかない訳です。私の認知症外来でも「脳トレ」を中心とした治療に励んでいます。またご家族の方への精神ケアにも、かなりの時間を費やしています。介護疲れのストレスを少しでも楽にして頂きたいと願うばかりです。その為にはご家族の愚痴を聞くのも重要な仕事なのです。そして何か少しでも役に立つと思われる介護上のアドバイスが出来たらと考えています。非常に熱心な家族には、医師サイドも押される感じで真剣になります。一方どこか投げやりなご家族には医師サイドも幾らか力の抜けた対応になる傾向があります。医師と患者家族の関係と雖(いえど)も、感情を持った人間同士の付き合いですから、その様な対応の変化にも止むを得ない所があると思います。
結局のところ、現在における認知症治療は、患者、家族、医師の三本の矢があってこそ何とか悪化を防ぐのが精一杯なのです。その中で一番重要なのは、ご家族の方の熱い思いです。このご家族の熱い支えがない限り、認知症の病状は悪化するばかりです。
そう考えるのは、私の偏見なのでしょうか?
次回に続く

診察室からコンニチハ(19)

穏やかな環境であれば、心に波風の立つ事も少ないでしょう。それには認知症者の間違いや失策を責めたりしない事です。認知症者の場合は故意に間違いを犯している訳ではないですから…それは幻覚だったり、記憶違いだったり、または老化に伴う身体機能の衰えだったりする事が多いのです。前立肥大症があれば夜間頻尿も多くなります。高齢者によっては一晩に10回以上もトイレに行く人だっているのです。当然尿失禁も起こるでしょう。女性だって膀胱の収容能力が落ちて夜間に尿漏れを起こす人だっているのです。さらに中高年に多い「睡眠時無呼吸症候群」での夜間頻尿もあるのです。何でもかんでも認知症の所為(せい)にして欲しくはないのです。
また排便コントロールにしても、高齢化による肛門括約筋の弛緩により便失禁や所構わずのオナラも出てしまうのです。私たちは高齢者の生理機能についても深い理解が必要なのです。精神機能と身体機能の衰えの両面から探って行かねばならないのです。身体面からのみ考えても、心肺機能の低下、慢性腎不全、骨粗鬆症、慢性肝炎などがありますが、眼科的には緑内障や白内障による障害、そして耳鼻科的な難聴問題と多方面に多彩な疾患を抱えているのが高齢者の常です。口腔外科の問題だってあるのです。生涯にわたって自分の歯で何処まで咀嚼出来るが大きな課題にもなっています。それらの多くは生活習慣病も関わっているのです。
生活習慣病とは、言い換えるならばその人間の過ごして来た歴史、身体に刻み込まれ足跡(そくせき)なのです。もちろん本人がどの様に健康的な生活を営んで来たとしても、遺伝的な要因や生活環境の劣悪により健康被害に見舞われてしまう事もあるでしょう。しかし、その多くは文字通り本人の生活習慣に根ざしている事が大半でなのです。
一方、認知症になりやすい性格も考察されていました。生活習慣病に比べると、やや関連性に乏しいとの指摘もあり、未だ明確な意義づけはなされていません。「ピック病」は発病以前から感情コントロールの苦手な人が多いとも言われていましたが、医学上の証明はなされていません。それ以外の認知症患者でも発病以前の性格がかつては相当に議論されていましたが、昨今はそんな因果関係の論調も下火になっています。
つまり「認知症」と云う学問の解明と謎が深まる程に、風評的な憶測が影を潜(ひそ)めて来たのでしょう。別の言い方をすれば「分からないと云う事が分かって来たのです」
もっと辛辣な言い方をすれば、医師と云う立場から「分からない」とは言いにくいので、「認知症」と言えば、「アルツハイマー型認知症」と診断して取り繕っていたのかもしれません。事実は、そんな単純な話ではないのに…しかし、医学の進歩過程ではよくある事です。所詮、科学の進歩とは試行錯誤の繰り返しですから。
次回に続く

診察室からコンニチハ(18)

しかし一般的に言って、臨床の現場は地道な所です。脳トレにしても在宅での習慣化に辿(たど)り着くだけでも大変な努力を必要とします。訪れる外来患者さんの3割は、全く自宅で脳トレが出来ていません。ご家族の支えがないのが大きい理由です。月に一回訪れる外来で私一人が、患者さんへの脳トレを頑張ってみても効果は期待出来ません。脳トレと云うのは日々の積み重ねですから、患者さん自身の意図よりはご家族の励ましと褒め言葉が重要なのです。誰しも褒められて不快な思いをする人はいません。ただ一口に褒めると云っても、あまり態(わざ)とらしい褒め方は嫌味にも響きますから、それは赤ん坊がハイハイから掴まり立ち出来る様になった時の様な真の喜びが必要です。口先だけの褒め言葉では意味をなさない事が多いかもしれません。80歳を過ぎた親の認知機能が少しずつ向上して行く姿は、時に感動的ですらあります。それを当たり前と考えるようでは身も蓋もありません。
その一方で、あまりに生真面目で「こだわり」が強く逆に神経過敏になっているご家族もいます。
「3ヶ月も毎日、脳トレをやって来たのに全く進歩する気配がみられない」
と、焦りを感じて脳トレに不信感を持ち出すのです。受験勉強ではないのですから、結果を急ぐ必要はないのです。それよりは親子の絆を少しでも固くする事が重要なのです。その絆によりお互いの心が開け、脳細胞の動きも徐々に活性化して来るのです。リラックスした心のゆとりが脳細胞に良い刺激となるのです。認知機能の低下が進む程に脳細胞の再生も悪くなると言われています。つまり、それだけ脳細胞の鈍化が進んでしまっているからです。その意味では認知症の早期診断が必要になって来ます。脳細胞の鈍化が進まない前に、少しでも脳細胞に刺激を与える事が出来ますから…
現実には、初診時の長谷川スケールが10点以下の認知症患者さんですと認知機能を上げるのは容易ではありませんが、15点以上だと半年ぐらいで3~4点ぐらいは上げる事も夢ではありません。さらに18点以上だと半年ぐらいで4~6点ぐらいは上げる事も可能です。これらはアルツハイマー型認知症の場合です。ビック病で向精神薬を使用している方ですと、認知機能の改善は落ちます。やはり抑制系の精神薬は、脳トレの改善にはマイナスとなります。レビーで幻覚が強くなると、やはり抑制系の薬剤が必要になり、脳トレの効果は半減します。この様に認知症のそれぞれの病態により認知機能の改善にも差は出て来ます。ですから、どの様な病態でも出来る限り抑制系の薬剤は使わずに済ませる事が出来るなら、それが最良の治療法に繋がります。では、どうすれば抑制系の薬剤を少量で済ませる事が出来るかです。その第一歩は穏やかな生活環境を整える努力なのです。
次回に続く