大阪娘さんへの新たな回答

今回のご質問は私のブログ上に載っている「連載認知症小説『霜月の夕暮れ』全100話をお読み頂くと、その小説の中に貴女の回答の殆んどが書かれています。
先ず、認知症の介護とはどの様なものであるかを、その小説を通じてお考え頂ければ幸いです。
その上でのご質問をお待ちしています。
【ご質問】
成川先生
わたしの身勝手なお願いに、毎回、真心を寄せてくださる先生に、どのように感謝申し上げても、し足りません。
先生、心から、心から、ありがとうございます。
厚かましさを承知の上で、さらにご指導いただけますなら、幸いに存じます。
以下の点に関して、先生の御見解をいただけますなら、ありがたく思います。
①今後の母の診察には、本人の受診が不可欠でしょうか。母が拒否した場合には、どうしたらよろしいでしょうか。
②現在、母はデイケアに週1回参加しておりますが、週何回がベストとお考えでしょうか。
③アルツハイマーは、他の認知症よりも難治性がある、と考えたほうがよいでしょうか。
④母の余命を考慮して、介護をしてゆくことが大切かと思えてきました。これは、決してネガティブな意味ではなく、これからの母の人生とわたしの人生をポジティブに捉えてゆくためです。先生にお話しさせていただいた情報のみでは、甚だ不充分とは思いますが、一般論として、先生は母の余命をあと何年くらいと、推察なされますか。
先生のお手透きの折り、ご指導いただけますなら、身に余る光栄でございます。

想い出は風の彼方に(7)

父親の話はさらに続く。
「中学校に入って今度は、剣道をやりたいとお前は言い出した。映画で『宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘』を見て、剣こそ人の道…とか言い出して剣道部に入ったが、これも1年と続かなかった。それからしばらくして空手だったかな、あれは半年ぐらいで断念しただろう。そんなお前に医者など出来るものか、今度は何にかぶれたのだ」
私は消え入りそうな顔で、
「でも、お父さん。それは子供時代の話でしょう、この1年間の努力の成果を見て下さい。劣等生だった僕が今回の校内模試では1番になったんですよ」
「確かに、お前の顔つきが変わって来た事はお母さん共々気付いてはいた。学校での成績が飛躍的に上昇したのも喜んでいる。だからと言って、お前が考えるほど医者になるのは簡単ではない。基本的にお前は昔から懲りやすく、飽きやすいのだ。そんな性格を知り抜いているから医者などになるのは辞めた方が良いと言うのだ」
「しかし、お父さん」
「お父さんも糞もない。医者になどなりたいと言うのは、お前の一時の気まぐれだ」
「それは言い過ぎでは…!」
「黙れ、これ以上の口答えは許さない。お前は大学の商学部でも行って、家の帳簿でもつけていれば良いのだ」
そう言うなり父親は立ち上がって外に出てしまった。
私は一人戦慄(わなな)いて、屈辱感に震えていた。しかし、このまま黙って引き下がるつもりはなかった。
「一度家を出て、父親との距離を置くべきではないか。このままでは故なき力の行使に負けてしまうかもしれない」
そう考えた私は、家出の決意をする。ボストンバックに2、3日分の着替えを詰め込み、細やかな預金通帳を持ち出し、行く宛てのないまま冬の夕暮れにもかかわらず家を出てしまった。
始めは親戚の家にでも行くつもりでいたが、それだと直ぐに居場所が分かってしまう。あれやこれやと悩んだ末、酒屋の吉村の家に向かった。吉村の家に着いたのは7時過ぎで、彼の母親と妹の綾子さんが夕食の準備に追われているところだった。
突然の珍客に、皆んなは驚いて一斉に私の顔を見た。吉村が、
「どうした、こんな時間に…」
と、訝(いぶか)し気に尋ねて来た。
「すまない、家出をして来たんだ」
「家出…まあ、どうしたの!」
吉村の母親が心配そうに声をかけて来た。
「はい、父が私の話をまるで聞いてくれないもので仕方なく実力行使に出た訳ですが、ご迷惑とは思いますが一晩だけ泊めて頂けませんでしょうか」
「その事は構わないけど、お父さんやお母さんがご心配なさるでしょう」
「良いんです、少しぐらい心配をかけた方が…父は一方的で話にも全くならないんです」
「まあ、その辺の事情はゆっくり聞くとして飯でも食っていけや」
吉村はぶっきらぼうではあるが、優しく受けとめてくれた。
「そうね、何もないけど一緒に食事をしながら話を聞きましょうか」
彼の母親も気持ち良く同意してくれた。
次回に続く

大阪娘さんへの回答(再々)

そもそも認知症とは何なのですか?…先ずは基本から考えて行きましょう。一般的な分類で言うなら【脳血管性の認知症】
       脳出血、脳梗塞、頭部外傷
【神経細胞変性による認知症】
     変性と云う意味は、顔で言うならばシミ、ソバカス、ホクロ、化粧品による慢性的な皮膚の変化、それ以外にも紫外線による皮膚の炎症なども考えられます。
     これと同じ変化が脳神経細胞に生じた現象を神経細胞変性疾患と言うのです。妙に難しく聞こえますが、頭の中に出来たシミ、ソバカスだと思えば良いのです。
     これらのシミ、ソバカスの出来た場所で、アルツハイマー型認知症とか、レビー小体型認知症とか言われているのです。
     さて、問題はここからです。年齢とともにシミやソバカスは顔のあちらこちらに出来る可能性が強く出ます。それと同じ事が脳神経細胞にも起こりえます。
     それなると単純なアルツハイマー型認知症とか、レビー小体型認知症、ピック病さらに動脈硬化性の認知症など存在しにくいのです。多くの認知症は複雑に混じり合っている事が多いのです。
     この複雑な認知症と云う学問を研究すればする程、認知症専門医は毎日が苦悶の日々なのです。
     不勉強で医学雑誌の一部だけを読んでいる医者だけが、平気でアルツハイマー型認知症だから、この薬を飲んでいれば良いなどと単純に言い切れるのです。何百と云う認知症患者さんと接していると、個々の患者さんにどの様な治療法が適切なのか迷いの中で苦悶しているのが、現在の私の憐れな姿です。それでも時に、私自身のアイディアで認知機能が向上した時などは無上の幸福を感じる事まあります。レビー小体型認知症の患者さんが全く口を開けくれず脱水症で幾日も点滴を続けていて胃瘻にでもするしかないと思われた患者さんが、私の試行錯誤の処方(点滴内容: 誰も考え付かなかった薬)で、摂食機能がどんどん良くなり、しっかりとご自身の口でお食事を召し上がり元気な姿で退院する姿を見る時などは目頭が熱くなります。
話がかなり脱線している様です。本筋に戻ります。
「MCIとアルツハイマーに境界はない。アルツハイマーであることは、結果的に、完治するMCIではなかったことを意味する」
先ず、この項目に疑問を感じます。ご存知とは思いますが
MCIの定義は通常「軽度認知障害」と解釈されており長谷川スケールでは21点以上とされております。さらにMCIを放置すると、認知機能の低下が続き、5年間で約50%の人は本格的な認知症へ進行すると言われています。
ここで必要なのが生活療法と脳トレーニングさらに生活習慣病(糖尿病、高血圧、高脂血症、慢性飲酒や喫煙『受動喫煙も含みます』抗精神病薬の服用)の改善です。
ここで、考えるべきはお母様のHDSーRが13点であると云う事ですから少なくてもMCIの定義には当てはまらないと云う事です。
しかし、このドクターの重大な判断ミスはアルツハイマーとMCIに境界はないと言っている事です。境界はあるのです。MCIでは可逆的で認知機能の改善する余地が大きいと云う事です。
一方HDSーRが13点であると云う事は認知機能の改善にかなりの努力が必要になって来るのです。だからと言って、認知機能の改善が不可能だとは言っておりません。ただMCIの患者さんよりは大きな努力が要すると言っているのです。
ただし、アルツハイマーであるかどうかは別の問題です。
さらに
「リバスタッチは、必ず使うように。エビデンスはある」
と言う発言も根拠がありません。
このドクターを何を見てエビデンスがあるなどと言っているのでしょうか?
製薬会社の誇大広告の文献なのでしょうか?
あるいは一部学会の部分的な論文なのでしょうか?
「リバスタッチ」の効果に疑問を投げかけている学者も多いというのに…
また「施設に入所させたほうがよい。お母さんが嫌がっても、お母さんに合う施設があるから」
と云う説明にも疑問が残ります。
私は、これまで10数ヶ所の施設で認知症の講演を行っていますが、かなり問題の多い施設を目にする事が多く、安易な施設入所は反対です。
以上の理由から主治医は変えるべきでしょう。
【ご質問】
成川先生
先生の親身のご指導に、熱い涙が溢れます。先生、本当に、本当に、ありがとうございます。
たいへん恐縮ではございますが、先生のご誠意に甘えさせていただき、もう少々、ご指導いただけますなら、幸いに存じます。
母を主治医の診察に連れていきました。
問診の後、母を退席させて、主治医に、母の容態を訊ねたところ以下の指摘をされました。
①母のアルツハイマーは中等度の後期にある。発症して5年は経っている。
②MCIとアルツハイマーに境界はない。アルツハイマーであることは、結果的に、完治するMCIではなかったことを意味する。
③今後、服薬をしても、確実にアルツハイマーは亢進する。薬はそのうち効かなくなる。
④施設に入所させたほうがよい。お母さんが嫌がっても、お母さんに合う施設があるから。施設に入れば、あなたも(わたし)楽になる。
⑤リバスタッチは、必ず使うように。エビデンスはある。少しでも使わないと、悪化する。
以上の指摘がありました。
率直に言いますと、主治医の指摘に、わたしは不信感を持ちました。
主治医をかえたい、と思いました。
ただ、主治医のいる病院は地元の中核病院ですので、今後を考えると、主治医をかえることは、母にとって不利益になるのではないか、と考えてしまいます。
成川先生に、主治医の指摘に関するご意見と、主治医変更に対するご指導をいただけますなら、たいへん光栄です。
身勝手なお願いばかりしてしまい、誠に申し訳ございません。

【お詫び】

6月10日の大阪娘さんへの回答(再)に文章上の混乱がありましたので、深くお詫び申し上げます。
プレタールのご質問に関して、何故か私の意図とはまるで関係のない文章が混入していました。私自身が非常に驚いていますので、文章を改めて訂正しました。
ご容赦の程お願い申し上げます。
    6月12日 陳謝

想い出は風の彼方に(6)

まさに寝る間も惜しんで勉強した。幾つかの予備校で行なわれている公開模試にも積極的に参加した。段々と数学と云う数の定理にも魅力を感じ始めた。そこには紛れもない人類の叡智と真実が隠されている。ピタゴラスの定理を遅ればせながら(中学3年の過程)知り得た時は感動で心が振るえた。三角関数、統計、無限の数式には汲めども尽きない知識の泉が内蔵されているではないか?
解けぬ方程式の前で5時間も6時間も問題用紙を睨み続けながら、それでも飽きらめず解き明かした時の全身を貫く戦慄。また化学方程式の謎、芳香族化合物の囁き、これらの何も知らず生きて来た事への屈辱感、17才にして、こんなにも知らない事が多かったのか、改めてショックを覚える。しかし、一年間の死にものぐるいの勉強で高3秋の校内模試では、一躍学年トップに踊り出ていた。
わずか1年でも若い力には、無限の可能性が隠されていた。1年前の担任教師は何も言わなかった。
ただ同僚の教師に職員室で、
「自分も教員生活を30年以上もやっているが、若い人間の常軌を逸した爆発力が存在する事を始めて身近に見た」
と話していたとか、そんな噂を誰からともなく聞かされた。
その年の12月、学期末試験も終え一段落した日の夕方に私は始めて父親に医学部への志望を伝えた。
「医学部?」
父親は驚いた顔で、私を穴の空くほど見つめた。そして、
「医学部に行って、どうする…!」
と、尋ねて来た。私にとって父親は余りに恐い存在だった。高校に入っても未だ往復ピンタなどの制裁を、時に加えられたりしていた。夜遅くまでテレビを見ていたぐらいの事でだ。この1年はひたすら勉強ばかりしていたので、その様なパンチを浴びる事もなかったが。
しかし、幼い時からの癖で父親に真っ正面から話を切り出す時は常に緊張感を強いられた。
「お父さん、僕は医学部に入って人の心の病を治す医者になりたいのです」
と、恐る恐る答えた。
「ほう、人の心を治す医者にね…お前が何にかぶれて、そんな大それた考えを持つ様になったかは知らないが、辞めとけ。お前には無理だ。大体、医者なんてのは人が寝ている時間にも働かなきゃならないし、一時の気まぐれなんかで務まる仕事じゃあないんだ」
「でも、お父さん。僕は医者の仕事が自分の天職であると思うのです」
「天職…ね!」
やや下げすんだ視線で、父親は話を続けた。
「お前は小学5年になったばかりの時、泣きながら柔道をやらせて欲しいと言って、後楽園にある講道館に通い始めたよな。確か10ヶ月間ぐらいは毎日の様に都電に乗って練習に励んでいたみたいだった。ある日、お前は興奮して俺にこう言ったんだ。『僕は今日、三船十段に始めて稽古をつけてもらい、見どころのある少年だと褒められました。僕は講道館の鬼になって三船十段の薫陶(くんとう)を受けついで行きます』とか、言わなかったか?」
私は黙って話を聞いていた。
「それから半年もしない内に、昇級試合で1年下の5年生に投げ飛ばされ…お前はそれきり講道館に行かなくなってしまったな」
私は返す言葉もなく下を向いたままだった。
次回に続く

大阪娘さんへの回答(再)

先ず一番目に重要な事は、認知症患者さんに拒否的な対応を、ご家族の方がしてしまうと、その怒っている意味が理解出来ず、その否定された事実のみが残ってしまうのです。認知症患者さんにとって、自分の行為が拒否されれば脳神経細胞の活性はより劣化して行く傾向が強いと言われています。ですから患者さんが間違った行為をした時は、その間違いを指摘するのではなく鷹揚に受け止めるのです。
「あれ、お母さん今日は少し体調が悪いのかな?…いつものお母さんとは違うみたい」
とか云った様にです。そして更に重要な事は褒め上げる事を忘れない事です。
「あれお母さん、今日のお味噌汁は美味しいわね。魚の焼き方が良いわ」など、
どんな事でも良いから褒め上げる訓練を貴女自身がして下さい。
さらにHDSーR13点と云うのは中等度の認知症であると云う事ですから、ここが大きな分岐点です。少しでも改善させられるか、更に悪化させてしまうのか!
そこには医師の治療より、ご家族の対応が大きく作用します。私が日頃外来で口にしているのは、認知症の最大治療法は「患者家族の大きな愛」であると…
それにより認知症患者は心の安定が得られるのです。不安定な精神状況では認知症の治療は何をやっても無意味です。心優しく、手を握り肉親の情愛を精一杯注ぐのです。その上で焦らずに、ゆっくりと脳トレや音楽療法(懐メロや童謡)、オシャレ感覚を常に忘れずネイルアートをやったり、見出しなみに注意を払うのです。人間が人間らしく生きて行く方法を模索するのです。オシャレ感覚を呼び戻す事で認知症状が改善したとの報告は幾つもなされています。
もう一つのご質問、母は興奮性のアルツハイマーなのか、アルツハイマーのピック化なのかと云う問いかけですが、興奮性のアルツハイマーと云う病名は発展途上の医学が誤解した概念です。アルツハイマーのピック化と云う考え方が一般的です。その様な患者さんにアリセプトとメマリを処方していた医師が数多くいましたが、全くの投薬ミスです。アリセプトの重大な副作用の一つである易興奮性に、それを抑制するメマリを同時に投与する愚は程度を超えています。またリバスタッチはアリセプトと同様にアセチルコリンコリンエステラーゼ阻害作用を示す中枢移行性の高い物質として使用されていますが、このパップ剤のカブレ症状は深刻です。アリセプトと比べ易興奮性は少ないのですが、稀に奇異現象を認めます。つまり脳神経細胞を活性化する目的で使用しているにもかかわらず、突然に逆作用を呈し、意識がモウロウとしてしまうのです。私も数例しか経験しておりませんので、認知症専門医でないと恐らく気づく事はないかもしれません。
リバスタッチを中止すると1~2日で意識は正常に戻るので、因果関は明らかであると思います。
リバスタッチの製薬メーカーに、その奇異現象について尋ねてみましたが納得の出来る回答は得られませんでした。
基本的にアルツハイマーのピック化にアリセプトやリバスタッチの使用は、かなり慎重に行なわなければならないのです。多くの医師が安易に使い過ぎていますから。その意味で貴女がリバスタッチの使用を中止したのは正しい判断だと思います。
将来的には分かりませんが、現時点の医療水準では意味不明の認知症薬よりは生活療法と脳トレにまさる治療法はないと思います。ただピック化の強い患者さんでは精神安定剤などの薬が必要な時もありますが。その精神安定剤の投与方法にしても、かなりの熟練度が必要で精神科医の失敗例を余りに見ている私には不安です。その意味では納得が行くまで医者を探し続ける努力は必要かもしれません。
さらにMRIなどの画像診断も、一つの参考所見であって、正確な認知症の診断を下すには至っておりません。認知症と云う医学自体が余りに未発達なのです。大学の医者なども当てにはなりません。
この様に悲観的な事ばかりを書きますと、じゃあどうすれば良いのだとのお叱りを受けそうですが、やはり現時点では脳トレと生活療法が基本です。脳トレの私なりの資料を追記しますので、ご参考になれば幸いです。
『脳トレーニング』
初級コース(記憶力のアップ)
2文字の単語を10個並べる。
くり、いす、はな、かき、なし
さる、とり、うみ、とら、うで
以上を2分間、音読で暗記する
そして次の2分間で書いてみる
8個以上暗記出来たら次に行く
初級中級コース
2文字と3文字の混合
すずめ、くま、かもめ、りす、さくら、かみ、とけい、ほん、さとう、ねこ
同じ様に2分間の音読で暗記
次の2分間で書いてみる
8個以上暗記出来たら次に行く
中級コース
3文字の単語を10個並べる
かめら、みみず、みかん、
いちご、つみき、からす、
ばなな、さくら、うちわ、
とんぼ
 
 中級上級コース
3文字の単語と4文字の混合
うちわ、すずむし、すいか、
よこはま、まくら、にんじん、ばなな、たけのこ、こりす、
しまうま、
上級コース
4文字の単語を10個並べる
まつたけ、やまいも、
かきのき、しんぞう、
ほんばこ、すいしゃ、
のこぎり、だいこん、
あおぞら、さざんか
 
初級コース(計算力のアップ)
12問を1分以内での練習
3+5=、8+9=、7+6=、4+8=
12+6=、17+9=、25+8=
7+13=、42+5=、8+16=
19+5=、6+23=
初級中級コース
12問を1分以内での練習
39+17=、21+18=、45+18=
52+14=、34+13=、61+42=
76+21=、46+17=、19+15=
43+18=、13+42=、56+37=
中級コース
12問を100秒以内での練習
57-6=、23-8=、45-7=
42+26=、36-9=、38+45=
65-11=、48+15=、37+61=
84-13=、72+13=、69-21=
中級上級コース
12問を100秒以内での練習
13×3=、16×4=、18×3=
21×2=、17×3=、22×4=
31×3=、15×4=、12×5=
8×11=、19×2=、23×3=
上級コース
12問を100秒以内での練習
33÷3=、21÷7=、45÷9=
44÷4=、63÷9=、18÷9=
55÷11=、81÷9=、15÷5=
72÷8=、48÷4=、66÷3=
この脳トレも決して強制せずに、ゲーム感覚でやるのがポイントです。出来れば貴女も一緒に褒め合いながら1日に2回、朝と夕方に実施出来れば3ヶ月程で、それなりの効果が期待出来ると思います。
もし、ピック化が進んでいて脳トレが不可能であると言うのなら、やはり軽い精神安定剤が必要となるかもしれません。参考薬としては、抑肝散7.5gの漢方薬が一番安全性が高いと思います。次にお勧めはウインタミン散10mg(朝、夕)が選択肢となります。グラマリールを使いたがる医師が多いのですが、脳トレには適しません。また認知症患者さんのお母様を見て行く上で、これからも多くの疑問が出で来ると思いますが、私でよければ、何時でもご質問は受けつけます。
またプレタール(シロスタゾール)がアルツハイマーに奏効するかのご質問ですが、この薬は血小板が集まって血栓(けっせん)(血液のかたまり)ができるのを防ぎ、血液の流れを改善する血栓症の専門薬ですので動脈硬化性の認知症には多少の効果が期待出来るのかもしれませんが、多くの専門医は否定的です。以前にTV番組(NHKスペシャル)でシロスタゾールやインスリン点鼻薬の認知症予防効果について取り上げられました。結果は明らかな優位差は認められませんでした。
認知症の進行を抑えるには、まず薬物療法もありますが、そのほかにも心理学的なのもの、認知訓練的なもの、運動他音楽芸術的なものなど薬によらない治療法などさまざまなものがありますので、納得の行く治療を検討して行くべきでしょう。
【ご質問】
成川先生
ご多忙中にもかかわらず、懇切丁寧なご指導を賜り、ただただ感謝しかございません。
先生、本当に、本当に、ありがとうございます。
母に関して、もう少々お話しを聴いていただければ幸いです。
母は、アルツハイマーの要介護1で、HDSーR13点となっております。中核症状の亢進が著明で、陽性症状が強く、陰性症状はありません。
母は独居しておりますが、わたしが頻繁に様子を見に行っています。
ADLは正常域で、IADLは多少問題はあるものの、買い物など日常行為は独力でこなしております。迷子、徘徊はございません。
以上の状況から、以下の点について、ご指導いただけますなら、ありがたく存じます。
①母の言動がもとで、怒鳴りあってしまうことがあります。怒鳴ってはいけないことは重々承知しているにもかかわらず、怒鳴ってしまいます。また、ネガティブな発言もしてしまいます。このようなわたしの態度は、母の病状を悪化させるでしょうか。悪化させるとすれば、それは病理学的にみて、脳の萎縮の拡大を意味するのでしょうか。
②今年の2月まで、リバスタッチを使用しておりましたが、陽性症状など副作用を懸念して、わたしの判断で中止いたしました。わたしの判断に問題はありますでしょうか。
③プレタールがアルツハイマーに奏効するとの記述を目にしました。服用させたほうが良いでしょうか。
④母の病態から、母は興奮性のアルツハイマーなのか、アルツハイマーのピック化なのか峻別できません。峻別することが、今後の母の治療や介護に影響すると考えますが、如何でしょうか。
以上、お見苦しい文面でたいへん申し訳ございません。先生がお手透きの折りにでも、ご指導いただけますなら、身に余る光栄に存じます。

想い出は風の彼方に(5)

そんなイラ立ちを発散させる為に、何となく私の足が吉村の家に向いただけである。吉村は高2の1学期を最後にして正式に退学届を出していた。
吉村の家に行くのも4ヶ月ぶりぐらいになる。11月も中旬になって秋風もかなり冷たくなっているのに、彼は半ズボンにランニングシャツと云う格好で汗だくになって働いていた。とても自分の下らない愚痴を聞いてもらえる雰囲気ではなかった。
しかし、吉村の方から私を眼ざとく見つけ…
「おや、浩司じゃあないか?
学校はどうした、休みなのか」
と、懐かしげに声をかけて来た。
「うん、ちょっとお前に話がしたくなってな。でも、忙しそうだから帰るわ」
「あと少ししたら仕事が一段落するから、それまで待ってろよ。俺も久しぶりに話もしたいし…どうだ、コーラでも飲むか」
そう言って吉村は、私にコーラ一本を差し出した。
「悪いな、じゃあ遠慮なく…」
私はそう礼を言って、彼から受け取ったコーラを一気に飲み干した。喉の渇きが鎮まると共に私の興奮も少し覚めて来た。問屋から仕入れて来たアルコール類を倉庫に運び終えて、吉村もコーラを飲み出した。
「ところで、俺に話って何だい?」
「別にそんな大げさな内容でもないんだ。お前が汗水を流して働いている姿を見たら、とても俺の下らない話なんか恥ずかしくて出来なくなったよ」
「そうか、お前がそれで良いと言うなら無理に聞く事もないが…まあ、こんな俺で良ければ愚痴の一つや二つなら話してくれても構わないぜ」
「うん、有難う。お前の顔を見ただけで気がおさまったから、今日はこれで帰るよ。仕事の邪魔をして悪かったな」
「別にどうって事もないさ。気が向いたら何時でも来いよ」
「じゃあ、また来るよ。お前も頑張り過ぎないようにな」
そう言って、私は胸の鬱積を十分に晴らせないまま吉村と別れた。
同じ年頃の彼が汗水を流している姿を目の当たりにしては、私の夢想とも云える愚痴など話す勇気はなかった。後は家に帰って6畳間に所狭しと積み重ねられている本の山の中に寝るしかなかった。そんな寝具と乱雑な本の中で、私は男泣きをしていた。
「今に見ていろ、男がこうと決めたからには絶対にやり抜いてみせる。たかだか医学部じゃあないか、何も天下を取ろうとか云った大それた事でもあるまい。ひたすら勉強をすれば良いだけではないか…」
そう決意を決めると、後は何冊かの受験参考書を買い求めてガムシャラに勉強するばかりだ。自分の弱点を克明に分析して、同じ数学でも代数の方が多少なりとも理解しやすかったので、先ずは代数の攻略を…英語は英文法から先に手をつけて行くと云った具合に、夫々の学習方法を自分なりに考案して行った。ともかくは得意科目を少しでも多くして行く事が重要である。それが又、次の自信に繋がって行くからだ。
次回に続く