想い出は風の彼方に(66)

「初めての時は、そんな物は付けたくないと言ったじゃあないか?」
と、やや不満気に浩司が尋ねた。
綾子は愛(あや)す様に言った。
「それはね、浩ちゃんも私も未だ純潔だったでしょう。だから赤ちゃんが生まれる危険性があっても、あの時は何も付けない素肌で向かい合いたかったの。私の中では純粋なセレモニーだったのよ。でも日常的な生活の中では、お帽子くんは必要でしょう」
そんなものかと思ってみたが、彼女の言葉には従った。確かに学生の分際で、赤ん坊など育てられる訳がない。部活は愚か、医師の国家試験だって合格出来なくなるかもしれない。
そんな事を曖昧に考えながらも、強い欲望は抑え難かった。綾子も、その行為自体を否定している訳ではなかった。ともかく思考より行為が優先した。こんな所まで来て唇を合わせるぐらいで帰れる訳がない。そして本能の赴くままに二人は抱き合った。一度、肌を許し合った若い男女と云うものは、それ以降は会う度に欲望に任せたまま身を燃やし続けるしかない。
特に男はその傾向が強い。数度その様な行為が続くと、後は自分の所有物の様に錯覚する事が多かった。少なくても1970年代前半までは、その様な思考形態が許された。つまり男尊女卑の残り火が微かに存在していたのである。処女性や貞操観念と云う言葉も未だ生きていた。
新学期が始まり、浩司は大学4年に、綾子は入学式を迎えた。医学部も専門課程2年となると解剖学や生化学は終了し、薬理学や内科診断学などが入って来る。医学部の専門課程は何もかも暗記して行くばかりだ。通常の大学と比べ、思考形態を育成して行くと云うよりは、ともかく暗記から始まって暗記に終わる。だから記憶力の弱い者は医学部では脱落して行くケースが多い。
5年生の夏休み、浩司は部活の友人の父親が経営する精神病院に案内された。初めて訪れる精神病院に彼は前日から興奮しきっていた。夏合宿が終わった8月下旬の事である。
期待に胸を弾ませながら、精神分析や催眠療法が実際にはどの様に行なわれるのかを夢見ていた。当日の午後2時、福生駅の改札口で友人と待ち合わせをする。駅からバスで15分程の所に、その病院はあった。木造2階建の安普請であったが、ドアだけは鉄格子だった。
妙に違和感のある建物の外見だけで、浩司は早くも尻込みをした。何か収容所を想像させる様な建物だ。
「これが病院か?」
浩司は胸の中で思わず叫んだ。
この当時、日本全体が未だ貧しかった。産院なども掘建て小屋に毛の生えたような施設が多かった。エアコンが置いである家庭も少なかった。大学病院でも特室以外はエアコンがなく、夏場には暑さの中で亡くなる患者さんも数多くいた。看護勤務室も扇風機が一般的だった。そんな時代の話である。
次回に続く

想い出は風の彼方に(65)

浩司は綾子と話す事は止めて、彼女の手を優しく握った。そのまま近くの公園に連れ出し、人目の付かないベンチを探して座った。そして何も語らず、彼女の唇に自分の唇を重ねた。耳たぶを甘かじりして、
「俺だって、合宿中はずっと綾子の夢を見ていたんだ。どれだけお前の事が好きなのか分からない程だ。そんな俺でもやっぱり許せないのか?」
そう言いつつ、綾子の小さく開けた口に舌を入れて絡ませた。彼女は全てを忘れて浩司の成すがままに身を任せていた。二人はしばらく唇を重ねながら抱き合っていた。
「浩ちゃん、浩ちゃん寂しかったの。でも今は浩ちゃんの全てが好き。さつきはイジワル言ってご免ね。何時だって浩ちゃんの事ばかり考えているんだから…」
二人はそうやって一時間近くも公園で過ごした。
「もう昼だな、何か食べに行くか?」
浩司は綾子に、そう声をかけた。
「うん、そうだね。何を食べようか。でも、浩ちゃんの好きな物なら何でも良いや」
「何だかラーメンを食べたくなったな、それでも良いかい」
「良いわよ、浩ちゃんと一緒なら」
二人は、駅近くのラーメン屋に入り昼食を取る。浩司は昨日から食べ通しだが、それでも不思議に満腹感は得られなかった。
食事が終わって、二人は上野に出かけ動物園に入った。平日にもかかわらず未だ春休み中なので、親子連れも多かった。サル山で15分ほど過ごした。浩司には人間社会の縮図を見ている様な気分に駆られた。そこでは力のバランスが全てを支配していた。
我々の社会も似たり寄ったりだなと、考えざるを得なかったのだ。綾子は、ただ浩司と手を握り合い身体を寄せ合っているだけで幸せだった。
動物園を出た後は鶯谷から少し離れた旅館に二人は入って行った。綾子は何も言わず、当然の如く付いて来た。入口で中年女性から、
「お泊まりですか、休憩ですか?」
と聞かれたので、浩司は少しムッとした顔で…
「休憩です」
と、答えた。綾子は黙って下を向いていた。部屋にはWベッドと小さなソファが置かれているだけだった。風呂はなくシャワールームだけが付いていた。箱根の旅館と比べると、何か貧弱な感じだ。二人はそのままベッドに倒れる様にして抱き合った。
浩司は彼女の唇を求め、乳房を愛撫した。
「何か随分と久しぶりみたいな気がするね」
「気がするねじゃあなくて、本当に久しぶりなんだから」
と、綾子が言い返した。
「寂しい思いをさせて、ご免ね!」
「その分、思い切り抱いて。優しくしてくれなきゃ嫌よ」
言われるまでもない。浩司も綾子が欲しくて仕方がない。
彼は逸(はや)る心を抑えて、彼女の首筋から足の先まで愛しみながら幾度と無く慈しんだ。彼の男性自身の限界が来た時に、綾子はベッドの脇に置いてあった小さな紙包みをそっと破いた。
「浩ちゃん、お願い。今日は、お帽子くんを付けて…このまま赤ちゃんでも出来たら困るでしょう。それとも23才のパパになりたい?」
次回に続く

想い出は風の彼方に(64)

翌日、浩司は9時に目を覚ました。14時間も寝た事になる。朝の第一声が、
「お母さん、お腹が空いたけど何か食べさせてくれる…」
だった。母の鈴子は呆れ顔で
「まあ、この子は起きた早々に…まるで子供みたいね」
そう笑いながら、直ぐに朝食の準備をしてくれた。味噌汁に焼き魚、納豆に豆腐と出された物は全て食べ尽くし、ご飯は3杯もお代わりをした。
「本当によく食べるわね。合宿中は、そんなひもじい思いをしていたの?」
「そんな事もないけど、やっぱりお母さんのご飯は美味しいよ」
「そう、どうも有り難う。あっ、そうだ。昨夜綾ちゃんから電話があったわよ。直ぐにかけて上げたら!」
「何だって?」
「そんな事をお母さんは知りませんよ。自分で確かめたら」
「そうだね、そうする」
浩司は食後のお茶を一杯飲んで、綾子の所に電話を入れた。直ぐに彼女が出た。
「もう、ずっと電話を待っているのに…」
「ご免、合宿から帰って来たら風呂に入ってそのまま寝てしまったんだ」
「うそ…!」
「別に嘘なんかついてないよ」
「じゃあ、すき焼きの肉を500gも食べたのは誰なの?」
「何で、そんな事を知っているの?」
「おばさまが言っていたわよ。すき焼きもお刺身も腹一杯食べて、直ぐに寝てしまったって。すき焼きを食べる時間があっても綾子に電話をする時間はなかったの…!」
「そう言われると、返す言葉もないが…」
「じゃあ、その事は許して上げるから今日一日は私と付き合って」
「分かった、そうする」
「あら、義務的に言っているの。別に迷惑なら会わなくても良いのよ」
「そうは言っていないよ。どうしたの、今日はいやに絡むね。何か嫌な事でもあったの?」
「別に…ともかく私に会いたいなら直ぐに来て!」
「何か恐そうだな、取り敢えず11時までには行くよ」
「きっとよ…」
「はい、分かりました」
「もう、私の気持ちなんか何も知らないで」
「何を怒っているのか分からないけど、ともかく約束通りに行くよ」
電話の向こうで、綾子の機嫌は少し直った感じに聞こえた。
浩司は急ぎ着替えて、綾子の家に向かった。11時前には何とか着いた。玄関前では綾子がすでに立っていた。
「綾ちゃん、こんな所で待っていたの?」
「知らない、浩ちゃんの馬鹿!」
そう言って彼女は浩司に抱きついて来た。そんな彼女を受け止めながら、
「綾ちゃん、どうしたの?」
「私達、2週間も会っていないのよ。それなのに電話もしないでお肉を腹一杯食べて寝てしまうなんて…あんまりじゃあない」
「そうか、それで怒っていたのか!」
「そりゃそうよ、綾子の事が本当に好きなのかって疑ってしまうわ」
次回に続く

伊藤さんへの回答(再)

伊藤さんへの回答(再)現在の医療システムでは、急性期病棟と療養病棟に分類されています。産婦人科や精神科、結核専門病棟は除外しますが。急性期病棟にも幾つかの種類があり、概ね18~26日までが入院限度期間となっています。全急性期病棟の平均在院日数ですので、急性期病棟でも1ヶ月以上も入院する患者さんもいます。私どもの急性期病棟は34床ですが、平均在院日数は16~18日ぐらいです。療養病棟が111床ありますが、病院長の私の意志で急性期病棟と一切の区別は付けず、必要な検査、リハビリ等に手を抜く事はありません。入院患者さんの回診も週に何回かは必ず行っています。
ご存知かとも思うのですが、療養病棟は定額制ですので濃厚な医療行為を実施すると、それらは病院の持ち出し、つまり赤字化に拍車をかける事になります。従って多くの療養病棟を抱える病院は、極力医療行為を抑制する傾向が強くなります。
保険医療の中で、どれだけ経営効率の良い診療体制を作り出して行くかに頭を悩ませている病院長が、殆んどです。そんな中で私達は、ギリギリの採算で患者さん本位の治療行為が成り立つかを工夫しています。
「先に適切な医療行為があるべきで、経営効率はその後で考えるべきだ」
と云うのが、私の自論です。
しかし、現実に私と同じ考えをする医師は、どれ程いるのかは分かりません。
それなりに良質の医療をして行こうと思えば、工夫の仕方はあるものです。
もちろん私のこの様な考えが、病院の経営効率を悪くしているのは事実です。
それでも私は、自分の医療の質を落とす事には我慢が出来ません。認知床専門外来では、一人の患者さんに1時間近くもかかってしまう事も稀ではありません。患者さん家族の悩みを聞き、在宅ケアの辛さを共に感じ、どの様にしたら少しでも患者さんと、ご家族に安心出来る医療を提供出来るのかは、永遠のテーマです。何の回答にもなっていないのは百も承知です。
それでも伊藤さん、希望を捨てずに頑張って下さい。こんな事しか言えない自分を恥じています。
【ご質問】
成川先生
ご多忙でいらっしゃいます中、お読みくださり、ご返信くださいまして本当にありがとうございます。
ご回答いただいた通りだと確信しております。
できますならば、よろしければ今すぐにでも成川先生のいらっしゃいます病院へ妹を連れて行きたい気持ちです。
現在の状態では、悲しいですが叶えることはできません。
大変、厚かましく恐縮ですが
成川先生と同じお考えをされている広島在住の先生がいらっしゃいませんでしょうか。
妹のような完全介護が必要で寝たきりの状態では、語弊があるかもしれませんが、長期入院をさせていただける病院は、リハビリもなく、残念なことに、主治医の先生も滅多に診察してくださらないような病院になるのでしょうか。
昨日、痰が肺に溜まって息をするのも辛い状態になり「これまで良く頑張ったよね。」と優しい看護師さんに声をかけられましたが、両親も私もまだまだ、これから先、少しの希望でも持てることを信じておりますので諦めたくありません。
昨日は先生に看護師さんが先生に診察をお願いしてくださり軽い肺炎にかかっていることがわかりました。
これから先、どんなにか医学も進歩して例えばiPS細胞も認知症に治験されたりする日まで妹の生命力を信じたいと思います。
それまでも成川先生の診察を受けさせていただくまで体力が回復することをいのるばかりです。
昨日に続き、本当にお忙しい中
お時間いただきましてありがとうございます。
感謝の気持ちで、いっぱいです。
どうぞ成川先生、たくさんの悩める患者、家族のためにも、お身体ご自愛くださいませ。
いつか、お目にかかれますよう心から願っております。

伊藤さんへの回答

若年性レビー小体型認知症は、かなり稀な病気で現在の所で遺伝的要因も確認されていません。2009年の厚労省の報告によりますと、39才までに発症する若年性認知症は人口10万人当たり20.7人(0.02%)となっています。この内でレビー小体型認知症DLBに限れば5人ぐらいでしょう。未だ正確な統計データがありませんので、私の臨床経験による推測です。私自身が若年性レビー小体型認知症の診断経験がありませんので自信はないのですが…
ただ通常(65才以上)のレビー小体型認知症DLBを多数診ている経験からのみ判断しますと、単純なDLBとは考えにくいと思います。如何に若年性といえども…前頭葉の機能低下が著しいとの事ですが、これはDLBの所見とは一致しにくいのです。多くの医師が頭を悩ませている事は事実でしょう。現時点では原因不明の認知症としか言いようがありません。アルツハイマー型認知症の部分も含まれた混合性認知症も否定出来ないと思います。36才で発症して11年、胃瘻も付け会話も不能との事ですが、病状はかなり深刻です。
一般的にDLBの特徴として、薬剤過敏症状が大きいのですが、安易にパーキンソン病の治療薬や、うつ病の薬などが投与されますとDLBは急激に悪化する事が知られています。幾つもの病院を回って正確な診断もつかないまま色々な薬剤が服用されていたとなると、病状の悪化は元より、薬剤の副作用により病気の本態が見えなくなってしまったと云う危険性が強いかもしれません。非常に稀な病気では、多くの医師が加わる程に病気が複雑化(誤診もあったりして)する傾向が強いのです。
もし、本当に若年性のレビー小体型認知症だったとしたら、やはり私でも誤診してしまうかもしれません。
認知症は、未だ発展途上の学問なのです。大きな総合病院でもかなりの誤診が指摘されていますし、専門医が極端に少ないのも認知症の分野なのです。
47才の妹さんを直接に入院治療出来るのであれば、私なりの工夫もありますが、現実に拝見もしていない妹さんへのアドバイスは困難です。若年性のアルツハイマー型認知症で、幾つかの治療効果を上げた経験は持っていますが、メールでのアドバイスには自信が持てません。どうか、お許し下さい。

伊藤さんへの回答

若年性レビー小体型認知症は、かなり稀な病気で現在の所で遺伝的要因も確認されていません。2009年の厚労省の報告によりますと、39才までに発症する若年性認知症は人口10万人当たり20.7人(0.02%)となっています。この内でレビー小体型認知症DLBに限れば5人ぐらいでしょう。未だ正確な統計データがありませんので、私の臨床経験による推測です。私自身が若年性レビー小体型認知症の診断経験がありませんので自信はないのですが…
ただ通常(65才以上)のレビー小体型認知症DLBを多数診ている経験からのみ判断しますと、単純なDLBとは考えにくいと思います。如何に若年性といえども…前頭葉の機能低下が著しいとの事ですが、これはDLBの所見とは一致しにくいのです。多くの医師が頭を悩ませている事は事実でしょう。現時点では原因不明の認知症としか言いようがありません。アルツハイマー型認知症の部分も含まれた混合性認知症も否定出来ないと思います。36才で発症して11年、胃瘻も付け会話も不能との事ですが、病状はかなり深刻です。
一般的にDLBの特徴として、薬剤過敏症状が大きいのですが、安易にパーキンソン病の治療薬や、うつ病の薬などが投与されますとDLBは急激に悪化する事が知られています。幾つもの病院を回って正確な診断もつかないまま色々な薬剤が服用されていたとなると、病状の悪化は元より、薬剤の副作用により病気の本態が見えなくなってしまったと云う危険性が強いかもしれません。非常に稀な病気では、多くの医師が加わる程に病気が複雑化(誤診もあったりして)する傾向が強いのです。
もし、本当に若年性のレビー小体型認知症だったとしたら、やはり私でも誤診してしまうかもしれません。
認知症は、未だ発展途上の学問なのです。大きな総合病院でもかなりの誤診が指摘されていますし、専門医が極端に少ないのも認知症の分野なのです。
47才の妹さんを直接に入院治療出来るのであれば、私なりの工夫もありますが、現実に拝見もしていない妹さんへのアドバイスは困難です。若年性のアルツハイマー型認知症で、幾つかの治療効果を上げた経験は持っていますが、メールでのアドバイスには自信が持てません。どうか、お許し下さい。
【ご質問】
初めまして。お忙しい中申し訳ございません。広島市在住の伊藤裕子と申します。私の妹は今から11年半前、36歳の時急に動作が緩慢になり近所の整形外科で診ていただいたところ、総合病院を紹介されて初めてパーキンソン病と診断されました。(妹にはまだ幼い子供も2人おり、妹の夫は治療に何故か消極的で、協力的ではなく、今も私や両親にとって残念に思うところであります。)あまりにも予想もしていなかった病名にショックを受けセカンドオピニオン、サードオピニオンと広島にある総合病院を巡りました。パーキンソン病、統合失調症と色々診断されましたがはっきりとした診断はつかない状態で2年経過しました。症状はどんどん悪くなる一方で、パーキンソン病の薬も効いている状態ではなく、岡山県の旭東病院の柏原先生に検査をしていただき、パーキンソン病ではなくレビー小体型認知症であると診断をして頂きました。現在47歳の妹は寝たきりで舌も下がっており、会話もできなく2年前のから胃瘻で、長期入院させてもらえるだけでありがたいのですが、看護師さんのケアもなかなか受けれず、痰が絡んで苦しくても涙を流していることもしばしばです。広島大学病院、脳神経内科でこの春までは定期的に診察を受けていましたがレビー小体型認知症ではないとの事で、担当の先生も頭をひねっていらっしゃいます。この何ヶ月かは妹の体調が悪く大学病院へ行けておりません。妹の様な症例は稀だと思うのですが、妹にとって少しでも快適な環境で過ごさせて欲しいと願っております。両親も妹の状態に一喜一憂しております。原因不明、病名不明ですがただ脳の前頭葉の働きは機能していない事は確かです。体調の良い時は笑顔を何度も見せてくれます。何かアドバイスがございましたらどうかよろしくお願い致します。拙い文章で申し訳ございません。お読みいただきましてありがとうございます。

想い出は風の彼方に(63)

結局その小学校には2日間、お世話になった。沢田は平熱になり、食欲も回復して来た。その間、浩司は暇を持て余したが、身体が楽な分となっただけ食欲は旺盛になった。極度の疲労感は空腹感さえ消し去ってしまうのかもしれない。他の部員も浩司と同じ様に、この2日間はよく食べた。
この予期せぬ休みで、合宿のスケジュールは大幅に短縮せざるを得なかった。数年前に大学の山岳部で無理な行程から、死者を一人出している。
その教訓からスケジュールには余裕を持たせ、決して部員に過度な疲労を与えてはならないと、大学当局から訓辞を幾度となく聞かされていた。
「部活も大いに結構だが、君達は医師を目指している人達なんだから、そこの所をよく弁えて行動して下さい」
とは、学長の言葉であった。
そんな事もあって、今回の春合宿は随分と緩やかな日程となってしまった。その結果、浩司が大学に入って最も楽な合宿となった。
4月3日には合宿を終えて東京に帰った。久しぶりに浩司の顔を見た母親は、
「相変わらず汚ないね、何処の乞食かと間違えてしまうよ。ともかく風呂に入って、着替えをしてちょうだい」
母親に言われるまでもなく、浩司も先ずは風呂に入って、ゆっくりと寛ぎたかった。風呂から出ると、母親が浩司の好きな食事を山ほどテーブルの上に並べていた。未だ5時半と、夕食の時間には少し早かったが浩司は物も言わず夢中で食べた。すき焼きの肉だけで500gはあったが、一人で瞬く間に食べてしまった。冷蔵庫から勝手にビールまで持ち出して、ぐいぐいと飲んでいた。刺身の盛り合わせも、アッと言う間に平らげてしまった。母親は呆れて、ただ笑顔で見ていた。
「いやぁ食った、食った」
浩司は満足そうであった。食べるだけ食べると、後は睡魔が強烈に襲って来た。
「お母さん、どうもご馳走さまでした。食べた後で直ぐに寝るのも行儀悪いが、もう眠くて仕方がない。先に寝かせてもらうよ」
そう言うなり、浩司は2階の自分の寝室に戻ってしまった。しばらくすると、浩司のイビキが聞こえて来た。まだ7時過ぎである。
8時頃、綾子から電話が入った。母親は浩司が死んだ様に寝ていると話す。彼女はがっかりして、
「私から電話があった事を伝えて頂けますか。それと出来たら明日、少し会って話がしたいともお伝え下さい」
「綾子ちゃん、ご免なさいね。あなたからの電話は必ずお伝えするわ。でも、今は梃子(てこ)でも動きそうにないのよ。すき焼きの肉を一人で500gも食べてしまったの、呆れるでしょう?」
「500gもですか?」
「そうなのよ、主人と私の分まで食べてしまったのよ」
「そうなんですか、それは困りましたね」
と言いつつも、電話の向こうでは綾子の笑う声が聞こえた。
「それで仕方がないから、今から主人と私は寿司でも注文する事にしたのよ」
「合宿でよほど疲れていたのですね」
そう言って、綾子は浩司の肩を持った。
次回に続く

想い出は風の彼方に(62)

箱根旅行から帰った翌日から浩司は大学に行き、春合宿の準備に取りかかった。この合宿からサブリーダーになる。
合宿中のチーム順列はサブリーダーが先頭で、皆んなをリードして歩く。その後は足腰の弱い新人から歩き、リーダーは最後尾を歩くのが原則である。サブリーダーの任務は新人の体力をある程度は考慮に入れながら歩調のリズムを合わせて行く。さらにルートから外れた時は全員を待機させ、サブリーダーが走ってルートの点検に行く。なかなか骨の折れる仕事だ。
今度の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)は、吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県までの大峡谷である。この四国の大峡谷は、北海道の層雲峡の雄大さに勝るとも劣らない。ただ行程自体は北海道よりは四国の方が楽だ。登山道より眼下に見える大峡谷の自然を見ながらの行程は命の洗濯とも言えた。日本の自然の美しさに改めて驚嘆する日々だ。合宿中も綾子の夢はよく見たが、朝は5時には起き出し、冷たい川の水で朝食を作り、テントを撤収し7時にはラジオ体操を熟(こな)してスタートする。朝起き出した瞬間から綾子の事は完全に忘れている。サブリーダーと云う役目が、そんな甘い夢の続きを追いかける事は許さない。行程中は9時10分と16時00分にNHK第二放送の気象通報で部員の全員が、その日の天気図を作成する。これがかなりの修錬を必要とする。新人ではラジオ放送のスピードに付いて行けず、正確な天気図を作り上げる事が出来ない。新入部員が何とか書き上げた天気図をチェックするのも、サブリーダーの務めであった。それまでの平部員と比べ浩司の仕事は、かなり忙しい。それでも蟻の様にただ歩き続ける平部員よりは、全体像が見えて来たし、大自然の風景を楽しむ余裕もあった。古い軍隊用語を使うなら「将校」と「兵隊」ほどの違いがある。大学3年生は下士官ぐらいの地位かもしれない。
合宿4日目は大雨だった。2年生の沢田が体調不良を訴え、歩行が困難そうだった。チームリーダーが医療担当で、仮テントを張って沢田の体温を測る。39°Cもある。こう云う場合はサブリーダーの浩司が、公民館なり、小学校なりの体育館での雨宿り場所を探すのが任務となっている。浩司はザックを雨の当たらない場所に置いて、沢田が休める場所探しに奔走する。幸い春休みの小学校体育館が空いているので、使用しても良いとの許可が得られた。目的地まで20分程、沢田の荷物は部員全員で分散して担ぎ小学校に向かった。
この時ほど雨風の当たらない場所で休める事が有り難いと感じた事はなかった。リーダーが沢田に抗生物質を服用させ、彼の同級生が濡れた下着を着替えさせてシュラフの中に寝かせた。その汚れた下着は同級生2人で洗っていた。何しろ他に着替えはないのだ。
宿直の教師が、石油ストーブを貸してくれたのには涙が出る程うれしかった。人の世の情けをしみじみと感じた。
次回に続く