長嶋さんへの回答

78歳のお父様のレビー小体型認知症は何時頃から病状が明らかになったのでしょうか?
肘や膝が曲がって一歩が出づらいと仰るのは、パーキンソン症候群に基づくものなのでしょうか、あるいは関節の拘縮によるものなのでしょうか?
変形性膝関節によるものであれば、ヒアルロン酸の関節腔内注入で、ある程度は軽減するかもしれません。しかし、パーキンソン症候群(レビー小体型認知症に伴う)によるものであれば、抗パーキンソン薬の適切な服用とリハビリが重要です。また飲水量が少ないと、ご心配ならば嚥下機能の向上に努めるべきでしょう。ポイントはなるべく大きな声を出す事で嚥下機能は向上しますが、病状の経過が長いと困難かもしれません。
「あ~ん」、「あ~ん」を
3~4回から10回程度まで大声で繰り返す事によりレビー小体型認知症の初期から中期までの病状であれば、嚥下機能はそれなりに改善します。
また排便、排尿の問題は認知機能と密接な関係にあります。脳トレを通じて如何に認知機能を落とさないかが重要です。長谷川式認知検査で10点以下(30点満点で20点以下は認知症と判断されます)ですと、脳トレの実施もかなり困難を極めます。私の認知症外来で14点の方を23点まで、1年がかりで向上させたケースはありますが、10点以下では脳トレの効果は上がっていません。いずれにしても介護のポイントは、ご本人に精神的な不安を与えない事です。どの様な失策があっても感情的に叱ると云うのは厳禁です。さらに付け加えればレビー小体型認知症には、自律神経失調症による排便排尿のコントロール障害もありますので、各個人の適切な排便排尿のリハビリも必要です。おむつの交換時間とタイミングなど生活のリズムに合わせた習慣を考えて行かねばならないのです。
それに認知症の方は、叱れば叱るほど認知機能は確実に悪化します。ご質問の内容が、もう少し具体的ですと私も答えやすいのですが…
何かご参考になりましたでしょうか?
【ご質問】
はじめまして
介護5の父78歳はレビー小体型認知症で71歳の母が一人で介護しています
私は週2度程少し手伝うことができるくらいです。
父は寝たきりではないのですが、
食事は離床させトイレや食事はさせるのですが、どうしても肘や膝が曲がって一歩が出づらいようです。
歩いていけずその場所で固まっているときがあります
便秘もあり、尿は夜(おむつの中でして)までなかったりして心配です
母が曰く水分はできてると、言うのですが、飲み方もちょろちょろと飲むので少ないような気がしています
歩行させるコツやレビー小体型認知症の介護でもっともっと知識が必要だと思います

診察室からコンニチハ(6)

私たちが認知症患者さんを診る上で、最も注意しなければならないのは、高齢に伴う多くの疾患です。食欲不振で認知症が悪化して来院した90歳の女性に、大きな胃潰瘍を内視鏡で見つけた事もありました。この女性は胃潰瘍の治療で、食欲も改善し認知機能も著しく向上しました。認知症がある程度進行しますと、胃痛や腰痛などの自覚症状を明瞭に訴えられない事が多いのです。さらに痛みに対する感覚も鈍麻するようです。この為に多くの疾患が見落とされやすくなります。レビー小体型認知症と診断された81歳の男性で、甲状腺機能低下症が見つかったケースもあります。この患者さんの奥様は75歳で心身共に健康的な人で、私の診断に不信感を強くしていました。ご主人の診断は著名な大病院での診断でしたから、名もない小さな病院の医師ごときが何を言っているんだとの苦言を呈されました。もちろん直接的にこう云う表現をなさった訳ではありませんが…しかし、そのお顔にはその様な不信感が満ち満ちていました。ともかく私は根気良く、甲状腺機能低下症の治療をさせて欲しいと説得しました。
私の強い説得が何とか功を奏し、奥様の了解の下で甲状腺剤の服用が開始されました。効果は1ヶ月もしないうちに出て来ました。手の振るえは収まり、顔に生気が戻り認知機能は大幅に改善しました。これは正に「怪我の功名」とも言えるケースだと思います。その大病院の医師が、甲状腺機能の検査を怠っていたなんて事は通常あり得ないのですが、「弘法も筆の誤り」だったのでしょうね。いずれにしても、医師と雖(いえど)も人間ですから間違いはあるのでしょう。かく云う私も、過去には色々と苦い経験はあります。
それ以外にも慢性心不全や呼吸不全などに起因する息苦しさ、さらに変形性膝関節症による疼痛、前立腺肥大による乏尿もしくは頻尿(その結果としての尿失禁)、数えあげたら切りが無い程の疾患を抱えているのも高齢者の特徴です。それら高齢者の息苦しさや疼痛を理解せずに、何でも認知症のせいにされては堪りません。
また各種癌の発生頻度も加齢と共に増加します。加齢による癌の発生頻度も参考までに記述します。
55~64歳 : 8~25%
65~74歳 :25~55%
75歳以上 :55~75%
との報告もあります。
次回に続く

断章(24)

(24)日々の思い
昭和の時代を考える(その17)
「昭和の四連続超巨大地震」の続き
*3)1945年の三河地震
1月13日 三河地震(M6.8*M7.1という説もある)が発生
地震によって、延長20kmの大規模な地震断層「深溝断層」が出現した。
東南海地震のわずか37日後の午前3時に内陸直下型の三河地震が発生したので、この地震は昭和東南海地震の余震だとも言われている。
三河地震については死者2652人と報告。未明の発生で「人的被害が非常に大きかった」とされている。
その他、負傷者3866名、住家全壊7221戸に上ったと言われる。死者が多数に上ったのは、全壊家屋の多さに加え、被災時が夜半で、ほとんど就寝中であったからと思われる。
軍需産業地域直下の地震であったため、特に”ナゾ”の多い地震とされている。そんな影響もあってか、規模の割に大きな被害を出したとも言われている。
また、この地震が敗戦を早めたとの説もある。(中部工業地帯の軍需産業の拠点が壊滅状態に陥ったため)
この地震では、最大震度7の局地的な大被害をもたらしたが、東南海地震と同様、「隠された地震」である。
*4)1946(昭和21)年12月21日 南海道地震(マグニチュード8.1)
「南海地震」と呼ばれる海溝型の巨大地震の、その最古の記録は、「日本書紀」に記された684年の「白鳳南海地震」であるが、それ以来1946(昭和21)年の「昭和21年南海地震」まで、8回の南海地震の記録が残っている。このうち一番新しい時代に起きた三度の南海地震、すなわち昭和21年南海地震(1946)、安政南海地震(1854)、宝永地震(1707)を比較すると、それらの間にはかなりの規模の差があって、昭和南海地震が一番小さく、安政南海地震が中程度、宝永地震が大型の南海地震であったことが知られている。
この南海地震は紀伊半島南方から四国沖に起こった巨大地震で、マグニチュードは8.1に達した。
この地震は、奥羽地方の北部と北海道を除くほとんどの地域で有感観測され、関東大震災を上回る規模のものであった。
とくに強震であったのは、和歌山・徳島・高知・三重・愛知・岐阜の各県で、被害は全体で、死傷者・行方不明6603人、全半壊家屋3万5105戸、焼失家屋2598戸であった。
この地震で最も大きな被害をこうむったのは四国地方で、なかでも高知県西部は、音信不通でしばらく消息がつかめなかった。24日の「朝日新聞」は、第一報として「土佐中村、瞬時に八割全壊」「惨状は言語に絶す」と報じている。また、徳島県の被害については「最もひどかったのは浅川で、満足な家は一軒もない。田畑はすべて砂河原と化し、町の道路という道路は、家のかけらで足の踏み場もない。人々はなべ一つぶらさげて、たき出し米にありつこうと右往左往している状況だ。沖には数千の屋根が、破船の材木などとともにプカリプカリと浮いている」と惨状を報じた。
この地震による津波は静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で高さ4~6mに達した。
室戸・紀伊半島では南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下、高知付近で田園15平方キロメートルが海面下に没した。
このため家屋流失1451、浸水3万3093、船舶破損流失2991の被害が生じた。
また高知市付近は、地震発生と同時に地盤が1m位沈下したため、完全に海水がなくなるのに1ケ月位かかったという。
「4大地震」の2年後に発生した
*福井地震(マグニチュード7.3)は、
1948年6月28日福井平野に起こった大地震で、死者3895人、負傷者2万2203人という大きな被害が出た。正に地震列島の我が国である。
次回に続く

診察室からコンニチハ(5)

ピック病について
ピック病とは前頭側頭型認知症の一つで、前頭側頭型認知症の約8割は、ピック病だと言われています。
前頭側頭型認知症とは、主に前頭葉、側頭葉前方に委縮が見られる認知症ですが、その中でも脳の神経細胞に「Pick球」が見られるものを、ピック病とよぶことが多いのです。
一方で「Pick球を認めたものすべてを同じピック病として扱うべきか」については、現在でも議論が尽きません。
以前は、前頭側頭型認知症は全て「Pick球」があると考えられており、前頭側頭型認知症そのものを別名:ピック病としていました。
しかし、研究が進むにつれ、「Pick球」が見られなくても前頭葉や側頭葉前方に委縮が見られる認知症があることがわかり、現在では「ピック病は前頭側頭型認知症の一つ」として、分類されるようになりました。
ピック病は40~60代と比較的若い世代が発症する「初老期認知症」の代表的疾患であり、若年性アルツハイマー病とよく比較されます。
そして、本人は全く病識がありません。
ピック病にみられる特徴的な症状として、以下の症状があげられます。
・情緒障害
さっきまで笑っていた方が突然泣き出してしまうなど、情緒が病的に不安定となります。
・人格障害
温和だった方が怒りっぽくなるなど、今までみられなかったような人格になります。この人格症状はピック病以外の認知症でも見られますが、ピック病で特に強くみられる傾向にあります。
・自制力低下
相手の話は聞かずに一方的にしゃべる、短絡的な行動をとるなど、自制することが難しくなります。
・異常行動
万引きを繰り返す、他人の家に勝手にあがるなど、社会生活を送るうえで逸脱した行動をとるようになります。
・対人的態度の変化
人を無視・馬鹿にしたような態度をとる、ひねくれた態度をとるなど、相手に対しての態度が病的に悪くなります。診察に協力を依頼しても拒否したり、不真面目に答えたりもします。
・滞続症状
意味もなく同じ内容の言葉や行動を繰り返します。
「治療方針」
多くの場合は、その対応だけで治療方針についての詳細は記載されておりません。ですから、ここから先は私の個人的な治療体験です。少量のウィンタミン散を徐々に増やしながら、後は患者さんのプライドを重んじながら「脳トレ」を併用して行くと、思った以上の効果が見られたりします。どの様な認知症であろうとも、最後まで「感情は残る」と、言われています。その感情の良い部分を引き出しながら脳神経細胞の活性化につながる対応を色々と試みています。一口に認知症と言っても、やはり患者さん特有の個性もあるのです。絶対なる正解はないのです。
全ての鍵は患者さんの問いかけの中に隠されているのです。
次回に続く

ママレッドさんへの追伸

リスパダール液(0.5ml)の注入についてのお答えです。自分の体調が良くないと、肝心の質問さえ見落として自分勝手な見解をただ記述しているのに過ぎない自分が恥ずかしく思います。現在お母様に使用されているリスパダール液の量は問題ないと思います。毎夕に一回程度の服用量ならば、パーキンソン病に似た錐体外路症状が出現する危険も心配はないでしょう。
またデパケン100mg(H27.12/26)
コントミンは12.5mg(H28.1/30)
の服用経験があるようですが、どれも適切な使用量とはならず薬剤としての効果を判断する基準とはなっておりません。以前にも記述しましたようにコントミンなら単独で3錠(12.5mg×3)までは試みています。多くは1.5~2錠で十分ですが…精神科領域の薬を恐れる気持ちは分かりますが、患者さん方の脳内ホルモンのバランスを補正する為には、自ずから必要量と云うものは個人差があるのです。何時も舌足らずな説明内容で申し訳ありません。

断章(23)

(23)日々の思い
昭和の時代を考える(その16)
戦中戦後の歴史に埋もれた「昭和の四連続超巨大地震」
第二次世界大戦中と大戦後に起きた四大地震は、戦中戦後の国民の士気を下げない為に、殆どの記録が闇に葬り去られてしまったと言われており、現在僅かに残されている資料の数字もかなりの修正を掛けられている可能性が高い。
*1)1943年の鳥取地震、*2)1944年の東南海地震、*3)1945年の三河地震、*4)1946年の南海地震が、「戦中戦後の4大地震」と言われている。
*1)1943(昭和18)年9月10日 鳥取大震災(マグニチュード7.2)
激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われた。木造家屋のほぼ全てが倒壊した一方で、五臓円薬局ビルなど鉄筋コンクリートの建物は比較的持ちこたえた。総被害は、死者1083人、家屋全壊7485戸、半壊6185戸、焼失251戸、被害総額は1億6000万円(当時)で、現在の貨幣価値なら数千億円とも言われている。
この地震は、鳥取平野付近を震源域として発生した陸域の浅い地震で、鳥取市で震度6、岡山市で震度5が観測された。
また、地震の影響による液状化現象も見られた地域も存在し、山陰本線や因美線といった鉄道もこの被害を受けたため、長期間にわたって鉄道が不通になった。
さらに時間帯が夕食前だった事も災いし、市内数か所にて火災の発生をみるが、市民による必死のバケツリレーにより大火にならずに済んだという。
*2)1944年12月7日 東南海地震(マグニチュード8.0)
現在の三重県紀勢町錦支所に残されている『昭和大海嘯記録』という記録によると、「午後1時40分前後に遠州灘を中心とする一大地震が突如として起こり1分8秒に及んだ。錦地区の町民一同は驚き戸外に飛出、津波の襲来を心配したが、10 数分にして大津波が押寄せた」「大半の民家は見る見るうちに将棋倒しとなり、間もなく津波はひき始め、倒壊家屋の古材が浦に充満した。」と書かれている。
九州から東北・北海道の一部でも揺れが観測されるほどの強い揺れだったとも言われている。別に昭和東南海地震とも言う。
海洋プレートの沈み込みに伴い発生した地震で、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人の被害が発生した。
建物の被害としては、橋梁172カ所、道路773カ所、堤防351カ所の損壊に加え、工場全壊1731棟、同半壊1281棟、流失81棟があったと報告されている。
特に三重県では、地震後に発生した津波による被害が大きく、志摩半島以南熊野灘沿岸の町村では、多くの死者・行方不明者が出た
『出典 : 戦時下の三重県に大きな被害、東南海地震』
三重県での被害は、死者・行方不明者 406人、負傷者 607人、家屋の倒壊 11,558戸にも達した。
しかし、同地震の被災記録は戦時中の報道管制でほとんど残っておらず、詳細ははっきりしていない
発生時が戦時中であったため、軍需産業の拠点が壊滅的被害を受けていると海外に知らせないために軍部が情報統制を行っていた。
次回に続く
 

ママレッドさんへの回答(再)

お母様の現在の精神状況を如何に宥めるかの一点に絞ればコントミン(ウィンタミン散)の増量でしょう。出来れば単独で行って欲しいです。10mgから始まって15mg→20mg→25mg→30mg→35mg→40mgと上げて行きます。私の臨床経験から申し上げますと50mgの上限で、精神状況は頗(すこぶ)る穏やかなる事が多いのですが、これで精神緩和が出来ないとなるとクエチアピンの併用療法に踏み切ります。ただ糖尿病を悪化させるので、要注意です。さらにアリセプトやレメニール、パキシル、トレドミンなどは、お母様にとっては百害あって一利なしです。いずれも興奮系もしくは覚醒系の薬だからです。パキシルやデパケンは使用方法によって有効な事もあります。いずれにしても何か統一性の取れない服用方法ではないでしょうか?コントミン(ウィンタミン散)一つを例にしても、中途で辞めている。肝障害がどの程度に悪化したから中止したと云う根拠が示されたのでしょうか?
失礼を顧みず申し上げれば、小さな子どもたちが、チョコレートも食べたいし、アイスも欲しいそしてラーメンも食べたいと云う処方に見えて仕方がないのです。専門医としての一貫した処方の態度が見えて来ません。自分でもかなり大それた発言をしているのは承知しています。ともかく肝障害を念頭に入れながらもウィンタミン散の単独療法を私ならします。その上でクエチアピンを併用するか迷います。
あまり参考にならない話ばかりで申し訳ありません。
【ご質問】
現在本当にに困ってまして、厚かましくもまた質問させていただきます。(本来受診してお伺いしないといけないところ、遠方で申し訳ございません)
母の不安症状についてですが、とにかく誰か側にいないと、それも手を握っていないと、寂しようで、不穏になり、手を離すと1分もたたないうちに、車椅子の手すりをバンバン叩いたり、大声(誰か呼ぶ、早よう!等)で呼びます。
また、ベッドに横になっても、一人で静かに横になってることはほぼありません。最初はしばらくは大人しくても、数分で、手足がバタバタ動きだし(時にはベッド柵を指が切れて出血するまで叩き続けます)、声出が続き、一人で静かに寝ることがほとんどありません。(マッサージすると、静かになり、寝ることあり。なので、ほぼ毎日マッサージします)
「コマニチュード」も数年前に知り、色々やったりしましたが、優しくいったり、本人の良い所褒めたり、撫でたり、マッサージや添寝等したりしますが、その時は静かなのですが、とにかく側を離れるとたちまち不穏になり、ひとりの時間がさらに延びると、更にだんだん興奮してきます。(全身が前後に動きだし、じっとせず、物叩いたり、絶叫のような大声になります)
こちら側が怒ったり、偉そうに言っても何の効果もない、かえって倍返しになる事はよくわかっています。
(施設でも他の利用者から、うるさいと言われれば、暴言を言うようです。さらに不穏時には物投げたり、他人を叩いたり、髪を引っ張ったりで困ってます。)
とにかく、我慢が全くできなくなってしまってる状態です。落ち着きが常にありません。
それと気になるのが、手を握っていても、握ってない手で、握っている私の手をつねったり、爪を立ててつかみ続けたりするのです。完全には落ち着かないのです。手が動き続ける行動が見られることが多いです。
家族としては、本人も楽なように、少し落ち着かせてあげたいのです。
頓服で貰っている、リスパダール液(0.5ml)を非常時(喘鳴のある興奮時等)に注入すると、翌日くらいまで落ち着いた状態になります。よく効くように思います。ただ、常に使うことに抵抗があって、またにしか(月1回)使っていません。
そこで質問です。
①母の場合リスパダールは使用していいのか。また、どの程度で使用続けていいのか(副作用との兼ね合い)がよくわかりません。
②ご回答にありました、コントミンは下記のとおり、使用していた時期があるますが、効果があったような記憶があまりありません。効かない場合もあるのでしょうか?
それと、肝臓悪い(自己免疫肝炎)場合は、コントミンは不向きと何かで読んだ記憶ありますが、大丈夫でしょうか?
過去の精神科での処方。色々処方が変わったが、あまり落ち着いた状態はなかったような記憶です。逆に所構わず奇声を発してた時期もありました。
アリセプト3mg(H27.2/21)
レミニール4mg(H27.3/7)
レミニール8mg(H27.4/29)
トレドミン15mg( 同上 )
レミニール8mgx2(H27.7/25)
パキシル12.5mg( 同上 )
レミニール8mg(H27.9/26)
デパケン100mg(H27.12/26)
コントミンは12.5mg(H28.1/30)
パキシル5mg(H28.4/7)
H28年5月喉に食べ物詰めて入院。胃瘻となる。
これ以降、精神科に通わず。
内科で抑肝散処方も効果無しで止める。頓服でリスパダール液を処方のみ。
以上よろしくお願いいたします。

診察室からコンニチハ(4)

「レビー小体型認知症(DLB)」続き
長い間DLBは認知症+パーキンソン症候群との診断で処理されていました。現在の神経内科では、レビー小体型認知症とパーキンソン病は同一疾患もしくは類縁疾患と云う認識が定着しています。
レビー小体とは、神経細胞の内部に見られる異常な円形状の構造物(封入体)で、ドイツ生まれの神経学者であるフレデリック・レビーによって初めて発見されています。
このレビー小体が頭頂葉から後頭葉に出来たのがDLBで、脳幹部に出来たのがパーキンソン病と言われており、病理学的には同一視されております。
レビー小体という神経細胞に出来る特殊なたんぱく質が増加し、神経伝達が障害されるために起こります。原因となります。病気の発症率はやや男性に多いです。
症状が出るかなり前から脳の異変は起きています。
初期の段階で物忘れより幻視が見られ、間違った認識をしてしまう事があります。
パーキンソン病のような症状が出ますと、頭がはっきりしている時と、そうでない時があり、それを繰り返しながら進行します。
うつ症状が出たり、レム睡眠行動障害もみられます。
レビー小体型の方への対応の仕方は、嘘ではなく本人には見えているため、否定してはいけません。
話を合わせて安心させる事が重要です。また動作が緩慢でも急かさないで、出来ない時は出来ないのだと周囲の人たちが理解しましょう。
さらに日中は疲れ過ぎない程度に身体を動かして下さい。
そしてレム睡眠行動障害(睡眠中の異常行動で寝ぼけや寝言、寝ている間に歩行したり物を食べるなど、夢の中での異常行動)がありますのでベッドからの転落を防ぎ、ケガをしない工夫も必要となります。
そして、「うつ症状」や「自律神経失調症」に伴う睡眠障害(強い不眠の訴え)や排便コントロール(難治性の便秘)にも相当の注意を要します。
さらに繰り返される転倒や失神(一過性の意識障害)などは、特にパーキンソン症候群(手の振るえ、小刻みに歩行)の強いDLB患者で起こりやすく、失神に関しては脳幹部や自律神経系の機能異常によって生じる迷走神経反射障害によって生じる可能性も示唆されています。
この様にDLBは、余りに多彩な症状を呈する為に、長い間その診断が困難で多くの臨床医はアルツハイマー型認知症の進行した病態であると考えていました。これから記述するピック病もそうですが、これらの病気は単独ではなく、複雑に絡み合っている事が多いのです。ただアルツハイマー型認知症が単独で発症したと云うよりは、脳血管性認知症とアルツハイマーの合併とか、レビーとピックの合併と云った具合にです。
ですから、アルツハイマーの進行パータンはこうだとか、レビーの進行パータンはああだとかの単純な説明は難しいのです。これまで繰り返し効果が疑問視されて来た認知症治療薬の出没の歴史は、そんな所に原因があったのかもしれません。
次回に続く