診察室からコンニチハ(116)

☆アメリカ精神医学会(APA)のECTガイドラインでは、精神病、躁せん妄、緊張病の伴う深刻な抑うつについて早期のECTを実施する明確なコンセンサスがあるとしています。APAの2009年ガイドラインでは予防段階でのECT使用を支持しています。
☆2003年の英国国立医療技術評価機構(NICE)のECTガイドラインでは、重症のうつ病、継続する重症の躁エピソード、緊張病のみに用いられるべき(英語: should only be used)だとしています。
☆2009年(英)のガイドラインは以下の通りです。成人の抑うつに対しては、急性期の深刻な抑うつであり、生命危機に迫った救急状況、もしくはその他の治療手法が失敗した場合に検討するとしています。標準的なうつ病に対しては、繰り返しECTを行ってはならないが、だが複数の薬物治療と心理療法に効果を示さない場合は検討出来るとしています。
NICE(英)は、再発性うつ病の予防のため長期のECTを行ってはならず、統合失調症の一般的管理にECTを用いてはならないと勧告しております。NICEの成人の抑うつ治療ガイドラインでも同じ立場です。
【ECT副作用】
2001年より、APAは永続的な逆行性(術前の)健忘症に関しての説明を含んだ同意書を強く推奨しています。混乱はよくあり問題を生じさせず、順行性(術後の)健忘症は数週間から数か月続くことがあり、自伝的な記憶に関する永続的な逆行性健忘は、1/3の人々に生じうる頻繁かつ重篤な副作用のひとつであるとしています。
また以下のような副作用も十分に考慮すべきです。
①心血管系の障害:筋はけいれんしなくても、通電直後数秒間に迷走神経を介した副交感神経系の興奮が生じ、徐脈や心拍停止、血圧の低下を生じることがあります。またカテコールアミン放出を伴う交感神経系の興奮が惹起され、頻脈や血圧上昇、不整脈などが起こることもあります。
②認知障害:通電直後に生じ、見当識障害、前向性健忘(以前の記憶はあるが、ECT後の出来事などが覚えられなくなる)や逆行性健忘(新しいことは覚えられるが、以前の記憶、特にECT施行直前の記憶がなくなっている)が見られることがあり、老人に頻度が高いと言われています。多くは時間とともに回復します。失見当識・前向性健忘は比較的短時間に回復し、逆行性健忘は回復が緩徐です。また、そのまま認知機能の低下が遷延するという例も少数だが報告されています。なおオウム真理教の修行の一つであるニューナルコはこの副作用を応用したものでした。
③躁転:時に多幸的・脱抑制・易刺激性を伴い、双極性障害患者において特に躁転する頻度が高いと言われています。
④頭痛:45%程度の患者が自覚するとされています。拍動を伴う前頭部痛を示す事が多く、電極配置や刺激強度などとは関連しません。
NICEは、妊娠女性、高齢者、若年者については、合併症リスクがより高い(英語: higher risk of complications)ため、注意深くECTを実施すべきだとしています。
【安全性】
死亡または重度障害の危険は、5万回に1回程度であり、出産に伴う危険よりもはるかに低いと報告されています。
アメリカ精神医学会タスクフォースレポートによれば、絶対的な医学的禁忌といったものも存在しないとされています。
ドイツのゲルト・フーバーによると、器質性の脳傷害と重傷の一般的な身体疾患(とりわけ心臓-循環器疾患)を禁忌としています。水野昭夫によれば、絶対的禁忌として頭蓋内圧亢進症を挙げております。
☆独シーメンス社が1960年に製造したECT装置で2001年には、年間およそ1000万人がECTを受けたと推測されています。
☆事前に処方薬の調整を行う。リチウムは脳内濃度が上昇する可能性があるので中止、抗てんかん薬はけいれんを生じにくくするので中止、ベンゾジアゼピン系薬物もけいれんを生じにくくさせるので減量、抗うつ薬は術中不整脈を起こす危険性を高める可能性があるので中止。なお抗精神病薬は原則として中止する必要はないとされています。
患者が短時間麻酔剤の注射により入眠すると、筋弛緩剤が注射され、約30秒~1分後に900mA、パルス幅0.25~1.5msecのパルス波電流を1~8秒間こめかみまたは前額部などに通電します。通電条件は、従来までは投与電気量を指定する以外は装置の内蔵プログラムに従っていましたが、最近では患者個々の生物物理学的な特性にあわせて設定を変更する試みもなされるようになって来ました。なお、一般にECTを繰り返し行うとけいれん波は生じにくくなり(しばしば「けいれん閾値が上昇した」と表現され)、投与電気量を多くしなければならないと考えられています。
少数の患者は6セッション以下でも治療に反応しますが、大部分の患者は6-12セッションの範囲である事が多いと言われています。頻度は週に2セッション実施される例が殆どです。
各セッションの終了後には、毎回必ず再アセスメントを実施すべきですが、副作用が発生した場合、または患者が治療離脱を申し出た場合には、ただちに治療を中止すべきです。
イギリスにおいて、ECTの6セッションに要する費用は、*2,475スターリング・ポンドです。(入院費用は含まない)
1ポンド=145円の計算で(145円×2475=358,875)ですので、約36万円となります。
次回に続く

診察室からコンニチハ(115)

1938年 - ウーゴ・チェルレッティとルチオ・ビーニ (Lucio Bini) が、精神病の*電気ショック療法を提唱しました。
*電気けいれん療法(でんきけいれんりょうほう、電気痙攣療法)は、頭部(両前頭葉上の皮膚)に電極をあてて通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法です。ECT(英語: electroconvulsive therapy)、電撃療法(英語: electroshock theraphy: EST)、電気ショック療法(ES)とも言われています。
Electroconvulsive therapy
ECTには大きく分けて、四肢や体幹の筋にけいれんを実際に起こすもの(有けいれんECT)と、筋弛緩剤を用いて筋のけいれんを起こさせないもの(修正型ECT、無けいれんECT)に分類され、用いる電流も「サイン波」型と「パルス波」型に分類されています。
1938年、イタリア・ローマのウーゴ・チェルレッティとルシオ・ビニ(英語版)によって創始され、元は精神分裂病(現在の統合失調症)に対する特殊療法として考案されたものでした。日本では1939年(昭和14年)に、九州大学の安河内五郎と向笠広次によって創始されました。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法ですが、作用機序は不明です。
多くの場合、ECTはインフォームド・コンセントを得たうえで、大うつ病・躁病・緊張病の治療手段として用いられています。
日本では、うつ病・躁うつ病・統合失調症などの精神障害(まれにパーキンソン病などにも)の治療に用いられています。
うつ病では、重症で自殺の危険が高く緊急を要する場合や、薬物療法を充分行っても症状が改善しない場合、薬物療法の副作用が強い場合などに適用されます。
また躁状態で興奮が強く緊急を要する場合などにもECTは使用されます。
統合失調症では、難治性の場合や、抑うつを伴い自殺の危険が強い場合、緊張型の昏迷状態などが適用となります。
パーキンソン病の場合は、気分症状と運動症状の両方にしばしば効果が認められます。薬物抵抗性がある場合、あるいは抗パーキンソン病薬が副作用により使えない場合など、疾患の末期に用いられるのが典型的です。
1961年当時の厚生省保険局通知「精神科の治療指針」によると適応症として『精神分裂病、躁うつ病、心因反応、反応性精神病。神経症、神経衰弱、麻薬中毒、覚せい剤中毒、酒精中毒性、精神病等』があげられています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(114)

*ロボトミー手術【日本】 
日本では1942年(昭和17年)、新潟医科大学(後の新潟大学医学部)の中田瑞穂によって初めて行われ、第二次世界大戦中および戦後しばらく、主に統合失調症患者を対象として各地で施行されていました。
また1975年(昭和50年)には、「精神外科を否定する決議」が日本精神神経学会で可決され、それ以降は行われていません。日本では、このロボトミー手術を受けた患者が、インフォームド・コンセントのないまま手術を行なった精神科医の家族を、復讐として殺害した事件にまで発展しています(*ロボトミー殺人事件)。
*ロボトミー殺人事件 : 1979年9月、元スポーツライターだったS(当時50歳)が、精神外科手術を受けたことで人間性を奪われたとして、執刀医の殺害と自殺を目論み医師の自宅に押し入り、医師の母親と妻を拘束し本人の帰宅を待つが、予想時刻を過ぎても帰宅しなかったことから2人を殺害し金品を奪って逃走してしまった。池袋駅で職務質問した警察官に、銃刀法違反の現行犯で逮捕されています。
1993年、東京地裁で無期懲役の判決が下りますが、検察側・S側双方が控訴、1995年に東京高裁が控訴を棄却したため、S側が上告するも1996年に最高裁で無期懲役が確定しました。
【犯人の人物像 】
犯人のSは家計を助けるため働きながら勉強しており、正義感の強い真面目な青年として知られていました。20歳にして通訳となるも、親の看病のため帰郷し土木作業員として働き出しました。しかし、関連会社に仕事上の不正を抗議した際、貧しい経済状況から、出された口止め料を受け取ってしまい、これを会社は恐喝行為として訴え、Sは刑務所に収監されました。…会社側の偽証の疑いも拭いきれません。
出所後は翻訳の仕事から、海外スポーツライターとして活動を始め、事務所を開いて実績を積んで行きました。
しかし1964年3月、妹夫婦と親の介護について口論になり家具を壊して、駆けつけた警官により逮捕、精神鑑定にかけられました。精神病質と鑑定されたSは精神科病院に措置入院となり、病院内で知り合った女性がロボトミー手術により人格が変わってしまい、その後自殺したことに激怒、執刀医に詰め寄ったことで危険だとしてロボトミーの一種、チングレクトミー手術を強行されました。この医師は、Sの母親に詳しく説明せずに手術の承諾書にサインをさせたといわれています。
☆名古屋大学医学部精神医学教室で、ロボトミーを受けた患者の病理解剖では、前頭葉全体が空洞化されており、スカスカだったと言われていました。当時解剖した患者で一番多かったのはアルコール依存症でした。なお、同教室の医師が他の医師と手術の統計をまとめようとしたところ、手術記録や診療録が、何処にも見当たらなかったと言われました。これは前出のロボトミー否定の学会決議を受け、病院側が資料を破棄したものと見られています。
日本精神神経学会の1975年(昭和50年)の精神外科を否定する決議でロボトミー手術の廃止を宣言したことから、日本の精神科において、精神疾患に対してロボトミー手術を行うことは、精神医学上禁忌となっています。しかし、精神障害者患者会の一つ、全国「精神病」者集団の声明(2002年9月1日)では『厚生省の「精神科の治療指針」(昭和42年改定)はロボトミーなど精神外科手術を掲げており、この通知はいまだ廃止されていません。』と主張しています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(113)

☆1935年-ラディスラス・J・メドゥナ (Ladislas J. Meduna) が、精神病治療に*メトラゾール・ショック療法を提唱しました。
*メトラゾールmetrazol
カルジアゾール,ペンテトラゾールとも言います。シクロヘキサノンからつくる無色の単斜針状の結晶で,水,有機溶剤によく溶けます。中枢興奮薬剤に用いられていました。
このメドゥナ(ハンガリー)が1937年に薬物(メトラゾール)を用いて人工的にけいれん発作を作ることで統合失調症患者の治療に成功しました (カルジアゾール・ショック療法ともいう)。
☆ウェンデル・スタンリーが*タバコモザイクウイルスの結晶化に成功しました。
*タバコモザイクウイルス
tobacco mosaic virus
植物ウイルスの一種で,タバコやトマトなどの葉に濃淡緑色の斑点を生じさせたり,ちぢれさせたりします。 TMVと略記しています。 1935年にウェンデル・スタンレーがこのウイルスを結晶として単離することに成功しました。RNAウイルスであってデオキシリボ核酸 DNAは含まず,リボ核酸 RNAの細長い芯を蛋白質サブユニットが多数囲んで筒状となり,全体は長さ 280nm,径 15nmの六角棒状をなしています。 (→モザイク病 )
☆黄熱病の最初の*ワクチンが開発されました。
*このワクチンの歴史は、キューバで開業した医師カルロス・フィンレーが蚊による媒介と伝染を提唱し、アメリカ軍の軍医だったウォルター・リードがパナマ運河建設に際し蚊の駆除を中心とした防疫対策を行い効果を挙げたことから、フィンレーの蚊媒介説の正しさが証明され、更に野口英世によって黄熱の研究が手がけられるものの、その中途で野口は感染し死亡してしまいました。その後、南アフリカ出身のアメリカの微生物学者マックス・タイラー(Max Theiler、サイラーとも)が黄熱ワクチンを開発。このワクチン開発の功績によりタイラーは、1951年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。
☆1936年 - エガス・モニスが、精神病治療に*ロボトミー手術を提唱しました。
*ロボトミー手術【欧米】
1935年、ジョン・フルトン(John Fulton)とカーライル・ヤコブセン(Carlyle Jacobsen)が、チンパンジーにおいて前頭葉切断を行ったところ、性格が穏やかになったと、ロンドンで行われた国際神経学会で発表したのを受け、同年、ポルトガルの神経科医エガス・モニスが、リスボンのサンタマルタ病院で外科医のペドロ・アルメイダ・リマ(Pedro Almeida Lima)と組んで、初めてヒトにおいて前頭葉切截術(前頭葉を大脳のその他の部分から切り離す手術)が行われました。
その後1936年9月14日、ワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学でも、ウォルター・フリーマン (Walter Jackson Freeman II) 博士の手によって、アメリカ合衆国で初めてのロボトミー手術が、激越性うつ病患者(63歳の女性)に行われています。
当時に於いて、治療が不可能と思われた精神疾病が、外科手術である程度は抑制できるという結果は、注目に値するものであって、世界各地で追試され、成功例も含まれたものの、特にうつ病の患者の6%は手術から生還することがありませんでした。また生還したとしても、しばしばてんかん発作・人格変化・無気力・抑制の欠如・衝動性など、重大かつ不可逆的な副作用が起こっていました。
しかし、フリーマンとジェームズ・ワッツ (James W. Watts) により術式が「発展」されたこともあり、難治性の精神疾患患者に対して、熱心に施術されました。1949年にはモニスにノーベル生理学・医学賞が与えられました。しかし、その後、抗精神病薬の発明とクロルプロマジンが発見されたことと、ロボトミーの予測不可能な副作用の大きさと人権蹂躙批判が相まって規模は縮小し、精神医学ではエビデンスが無い禁忌と看做され、廃止に追い込まれています。
また、モニス自身もロボトミー手術を行った患者に銃撃され重傷を負い、諸々の施術が(当時としては)人体実験に近かった事も含め、医学倫理上の槍玉に挙げられ、外科手術が廃れる事になりました。
次回に続く

医師募集

【共に医療を切磋琢磨できる医師を希求します】

志とは自らの人間性への問いかけではないでしょうか。
患者さんサイドの目線で、わかりやすく丁寧な説明をしてくれる医師を待ち望んでいます。
またチーム医療を目指し、パラメディカルや医師同士の積極的な意見交換が出来る人が志しの高い良医であると思うのですが。
当院の常勤医の待遇は年収で1600万円〜2000万円を考えています。もちろん残業代や当直手当を除いて、週4.5日〜5日の勤務です。
診療科目は「内科」です。

関心のある方は緑協和病院の総務課長 : 井上迄ご連絡ください。
Tel 045-962-6666
メールはこちらへ

診察室からコンニチハ(112)

☆1927年 - 結核の最初の*ワクチンが開発されました。
* ワクチン
1940年代後半から BCG の結核予防効果に関する 野外調査の報告がみられます。とくに10万人を超す 南インド農民を対象として実施された大規模な controlled trial (Chingleput study)では,全く有効 性が否定される結果となりました。この結果を元に WHO は BCG ワクチンは成人の結核に無効である と世界中に勧告されました。日本も WHO の勧告に従いました。その一方,小児における結核性髄膜炎や粟粒結核など播種性のものには BCG は十分な予防効果があるとの報告も多かったのです。
☆1927年 - 破傷風の最初のワクチンが開発されました。
☆1928年 - アレクサンダー・フレミング(英)が*ペニシリンを発見。
*ペニシリンの発見(1928年)
ブドウ球菌を培養中にカビの胞子がペトリ皿に落ち、カビの周囲のブドウ球菌が溶解しているのにフレミングが気づきました。
このことにヒントを得て、彼はアオカビを液体培地に培養し、その培養液を濾過した濾液に、この抗菌物質が含まれていることをin vitroの実験で確認し、アオカビの属名であるPenicilliumにちなんで、「ペニシリン」と名付けました。この後の動物実験によりin vivoでの抗菌作用を1940年に発表しました。
この結果、第二次大戦で多くの戦傷兵が命を救われました。
1945年にノーベル生理学医学賞受賞(*フローリー、*チェーンとともに)
*ハワード・フローリー(オーストラリア)
*エルンスト・ボリス・チェーン−(英)
フローリーとチェーンはペニシリンを精製し、その治療効果を再発見すると医薬品として実用化しました。
☆1929年 - ハンス・ベルガーが人の脳波診断(electroencephalography)を確立しました。
☆1932年 - ゲルハルト・ドーマクが、連鎖球菌に対する化学療法を発見。
☆1933年 - マンフレート・ザーケル (Manfred Sakel) が、精神病治療に*インスリン・ショック療法を提唱しました。
*インスリン・ショック療法(いんすりんしょっくりょうほう)とは、かつて行われていた統合失調症の治療法の一つです。オーストリア出身のアメリカ合衆国の医師マンフレート・ザーケルが、1933年に提唱しました。
精神病患者に対し、空腹時にインスリンを皮下注射し、強制的低血糖によりショック状態と昏睡を起こし、1時間後にグルコースを注射し覚醒させていました。その後は医療事故の危険性が多く報告され、また抗精神病薬の開発が進み薬物治療が出来る様になったため、1950年代以降は廃れる様になっています。その後も中国やソビエトなどで1970年代まで行われていました。
次回に続く

診察室からコンニチハ(111)

☆1921年 - エドワード・メランビー(Edward Mellanby、イギリス)が、ビタミンDを発見し、その欠乏がくる病の原因であることを示しました。
☆1922年 - バートラム・コリップが糖尿病患者に*インスリン投与を行いました。
*インスリンは血糖値の恒常性維持に重要なホルモンです。血糖値を低下させるため、糖尿病の治療にも用いられています。逆にインスリンの分泌は血糖値の上昇に依存します。
従前は「インシュリン」という表記が医学や生物学などの専門分野でも正式なものとして採用されていましたが、2006年現在はこれらの専門分野においては「インスリン」という表記が用いられています。一般にはインスリンとインシュリンの両方の表記がともに頻用されているのが実情です。
☆1923年 - *ジフテリアの最初のワクチンが開発されました。
*ジフテリア菌の感染はヒトのみに生じる上気道の疾患で、鼻ジフテリア、咽頭ジフテリア、喉頭ジフテリアなどの病型があります。日本におけるジフテリア患者の届出数は、1945 年には約8万6 千人(うち約10%が死亡)でしたが、ワクチン接種普及と共に減少し、1991-2000 年の10年間では、21人の届け出(うち死亡が2人)でした。
☆1926年 - 百日咳の最初のワクチンが開発されました。
『百日咳ワクチンの歴史」
(1)1948年(昭和23年) *ジフテリア単体トキソイドが開始
(2)1950年(昭和25年) 百日咳ワクチン 開始
(3)1958年(昭和33年) *DPワクチン開始 
ジフテリアトキソイドの歴史は古く、1921年Glennyらにより、予防のために毒素を無毒化し1948年に予防接種法が制定されるとともに、液状ジフテリアトキソイド(D)が導入されました。以来、1958年に百日咳ジフテリア混合ワクチン(DP)、その後、液状ジフテリア破傷風混合トキソイド(DT)、沈降DTさらに1964年に百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DPT)等、様々なワクチン剤型が接種対象者の目的ごとに製造され使用されています。1980年からはDPTのP(百日咳)が成分ワクチンとなり、幼児期の基礎免疫用に適した沈降精製百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DTaP、aP:acelullar vaccine)として世界に先駆けた改良ワクチンが市販され、ジフテリアの予防に効果を挙げています。
その後、1994年10月1日付けで予防接種法が改正になり、旧法(1976-1994)と基本的な接種方法には大きな変更はありませんでしたが、以下の点に注意を要します。初回接種が生後3ヶ月に引き下げられ、接種時期の名称(旧法: I 期、II 期およびIII 期、改正法:I 期(初回3回および追加)、II 期(ジフテリア破傷風2種混合)が変更され、接種対象年齢幅が総じて広げられました。対象年齢はI 期初回が生後3-90ヶ月ですが、標準的な年令は、同じく生後3-12ヶ月とされています。I 期追加は、通常はI 期初回接種(3回)後12-18ヶ月、II 期はジフテリア・破傷風のDT2種混合ワクチンで11-12歳に行われます。さらに、接種方式が義務接種、集団接種から勧奨・個別接種へと移行しています。
WHO基準ではジフテリアトキソイドの力価を国内基準より2倍高く設定し、抗原量や添加剤を調製することを求めています。従って、国内のDT*aP製剤は諸外国の製剤に比べて副反応を最小限に抑えるために、また過剰免疫に注意して抗原や*アジュバント量を調整しています。
*アジュバント (Adjuvant) とは、広義には主剤に対する補助剤を意味しますが、一般的には主剤の有効成分がもつ本来の作用を補助したり増強したり改良する目的で併用される物質を言います。ラテン語の adjuvare(助ける)に由来しています。抗原性補強剤とも呼ばれ、抗原と一緒に注射され、その抗原性を増強するために用いる物質です。予防医学の分野では、ワクチンと併用することにより、その効果を増強するために使用されています。、
*a P : 成分ワクチン非細胞性百日咳。 さらに、DTaP中に含まれるゼラチンによる副反応の問題が議論されましたが、我が国で現行のDTaPワクチンからは、ゼラチンは除去されています。ワクチンには限られた免疫物質だけを含むことが望まれ、単純で安全性の高い、より有効性の優れた製剤の開発と品質保証体制が進められています。
日本ではここ数年来、海外渡航者が増加し、海外で感染し発症した事例も伝わっています。国内はもとより、感染の危険性は現在もなお続いています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(110)

☆1895年 - ヴィルヘルム・レントゲンが、X線を発見。これにより放射線診断、放射線療法の歴史が始まりました。
☆1897年 - ドイツのバイエルのフェリックス・ホフマンによりアセチルサリチル酸(アスピリン)が合成されました。世界で初めて人工的に合成された医薬品です。
☆1901年 - カール・ランドシュタイナーが、人に異なる血液型が存在することを発見し、輸血への道が開かれました。
☆1905年-ロシアの軍医ニコライ・コロトコフがコロトコフ音を発見し、聴診器と血圧計を組み合わせた血圧の測定方式の基礎理論(コロトコフ音法)を提起しました。それより100年以上前から血圧の概念は分かっていましたが、人体で安全に測定出来るようになったのは、これが初めてです。
☆1906年 - フレデリック・ホプキンズが、ビタミンの存在を示唆し、そしてビタミンの不足が壊血病とくる病を引き起こすことを示唆しました。
☆1907年 - パウル・エールリヒが、*眠り病に対する*化学療法を発見。
*眠り病はアフリカ睡眠病(アフリカすいみんびょう、sleeping sickness)とも呼ばれて、ツェツェバエが媒介する寄生性原虫トリパノソーマによって引き起こされる人獣共通感染症です。病状が進行すると睡眠周期が乱れ朦朧とした状態になります。さらには昏睡して死に至る疾患であり、これが名前の由来となっています。アフリカのサハラ以南36か国6千万人の居住する領域における風土病で、感染者は5万人から7万人と推計されています。催眠病、眠り病、アフリカトリパノソーマ症とも呼ばれていました。
*化学療法(エールリヒが研究した、眠り病への特効薬はアトキシルの構造式を発見した事ですが、今日その治療効果には疑問が大です)
☆1908年 - ヴィクター・ホースリー(Victor Horsley, イギリス)とR・クラークが、*脳手術の定位固定法を確立しました。
*穿頭あるいは小開頭を行って、脳の表面から細い穿刺針を脳深部の病変部に正確に進めて治療や検査を行う方法です。この固定法により脳外科の手術成績が大きく向上しました。
☆1910年 - パウル・エールリヒと秦佐八郎が*サルバルサン合成に成功しました。
*サルバンサンは梅毒などの治療薬に用いられた砒素(ひそ)化合物で、化学療法剤の最初のものですが、毒性を持つヒ素の副作用が強いため、今日では医療用としては使用されていません。
☆1917年 - ユリウス・ワーグナー=ヤウレックが、 *麻痺性痴呆のマラリア熱ショック療法を提唱しました。
*このマラリア熱ショック療法は治療を受けた人の半分を治りましたが、15パーセントの患者は梅毒の代わりにマラリアで死んだと推測されています。
そして1927年、彼の非倫理的な実験にも関わらず、ワーグナー・ヤウレックは、この発見によって薬学のノーベル賞を獲得しています。その後の医学界では、このノーベル賞に批判が続出しています。
次回に続く