診察室からコンニチハ(188)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅷ)
これまで一般の内科医であれば、患者さんの「お薬手帳」を見せて頂ければ、その薬の内容から病気の内容そのものも多くは推定できたものですが、多数のジェネリック医薬品の登場で、薬品内容を検討するにも多大な時間を費やす事が稀ではありません。もちろん自院で出した薬であれば、容易に判断はつくのですが、他院で処方されたものでは戸惑う事が多いのです。また患者さんによっては、どのジェネリック医薬品が一番安いのかと質問して来たりする事も多くなります。高齢者では服薬ミスも多く、服み残しの薬もかなり認められます。この為に血圧や糖尿病の調整に手こずったりもします。
ジェネリック医薬品の競争原理も必要だとは思うのですが、やはり安全体制(精度管理)を考慮した上で、同一医薬品は、信頼できるメーカーに絞って行くべきではないでしょうか。少なくても、アメリカの例でみても、国外で製造するメーカーでは精度管理の監視強化に無理があるような気がしてなりません。真に医療費抑制政策を目指すのであれば、家庭医の普及や軽度な疾患での大病院への外来抑制(大病院では過度な検査が多い)など、考えるべき課題は他に幾らでもあると思うのですが。以上、私見をのべれば限りないのですが、ジェネリック医薬品への疑問、問題提起は今回で終わりにします。
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診察室からコンニチハ(187)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅶ)
ですから、ジェネリック医薬品の根本問題は医療費の効率化を含めた社会保障費全体をどうするか、それに伴う少子高齢化にどう対応していくかを徹底的に議論する必要があるのです。極論すれば、高負担・高福祉を取るのか、低負担・低福祉の二大選択肢しか残されていないといっても過言ではないのです。北欧諸国のように、貧富の格差を少しでも縮小させて国全体が中等度の豊かさを目指すのか、あるいは米国のように貧富の格差を増大させて、市場経済に敗北した者は最貧層の世界に突き落とされていくかの縮図です。
現在アメリカの人口は3億3千万人と言われていますが、最も裕福な3名(ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット、ジェフ・ベゾス)の合計の資産額が、下位50%の米国人(約1億6000万人)の合計資産額を超えているのです。さらに、「米国人のおよそ5人に1人は資産額がゼロ、もしくはマイナスとなっている」とのレポートもあります。
一方で、上位3名の総資産額2019年9月中旬の時点で2485億ドル(約28兆円)となっています。
この富の極端な集中により、下位5千万人以上のアメリカ人が明日の衣食住にも困窮し、まともな医療にもかかれていないのです。これがアメリカの主張する市場経済です。
もちろんアメリカの上位何%かは、ジェネリック医薬品など使用する訳はないのです。
このアメリカ市場経済に日本も何とか追従して行こうとして、徐々に貧富の格差を拡げています。
しかし、アメリカの様に多くの移民を受け入れ先進諸国の中で人口が増大している国に比べ、少子高齢化で人口ピラミッドが歪んでしまった日本では、アメリカ型の経済発展の貧富を格差も大きく増大して行ける訳はなく、健全な社会保障費の議論も常に問題を先送りしているのです。
だれも責任を取ろうとしない政治システムとマスメディア(オピニオン・リーダーというのは幻想でしかなく)、ただ官民一体となって延命処置をこうじているだけです。
出生率の一つを見ても、ヨーロッパでは 特に、フランスやスウェーデンでは、出生率が1.5~1.6台まで低下した後、回復傾向となり、直近ではフランスが1.92(2016年)、スウェーデンが1.85(2016年)となっています。これらの国の家族政策の特徴をみると、フランスでは、かつては家族手当等の経済的支援が中心でしたが、1990年代以降、保育の充実へシフトし、その後さらに出産・子育てと就労に関して幅広い選択ができるような環境整備、すなわち「両立支援」を強める方向で政策が進められました。スウェーデンでは、比較的早い時期から、経済的支援と併せ、保育や育児休業制度といった「両立支援」の施策が進められています。ドイツでは、依然として経済的支援が中心となっていますが、近年、「両立支援」へと転換を図り、育児休業制度や保育の充実等を相次いで打ち出しています。
一方わが国の出生率は低下するばかりで、1.3前後(2020年推定)が目前に迫っています。
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診察室からコンニチハ(186)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅵ)
それでは、どの様にすればジェネリック医薬品の安全性と薬価の値下げが可能になるのでしょうか?
基本的に医薬品とか食の安全性を考える時、私は経済の自由競争は適切でないと思います。やはり何かしらの規制が必要だと思うのです。交通規則のような「飲酒厳禁」のルール作りがなければ、安全性の確保は困難だと思います。自由な市場原理というのは、弱肉強食の論理です。それは寡占化に繋がっていく危険性が大きいのです。大きな資本が小さな企業を食いつぶしていく過程でもあります。
実例をあげましょう。国内の製薬企業数の推移をみてみます。
1975年の製薬企業数は1359社で、ピークは1995年の1512社でした。
2005年は972社(内ジェネリックは72社)、2014年は310社(ジェネリック34社)と激減しています。
厚労省の医薬品の徹底的な値下げ指導で、多くの製薬企業が淘汰されてしまったのです。
過剰な製薬企業の乱立で、薬価が適正基準を超えた値段で医療機関や製薬企業が潤っていた時代は過去の話となっています。
かつては乱診乱療と言われた時代もありました。ともかく多くの検査をして、薬を沢山出してより多くのを利益を求めていた時代があったのです。
1961(昭和36)年の国民皆保険実施当時は、我が国で100歳以上の高齢者は100人足らずでした。平均寿命も68~70歳ぐらいだったのです。労働年齢人口比も高く、日本経済も右肩上がりで、国民所得の上昇率もうなぎ上りでした。それが2019年現在では、100歳以上の高齢者は7万人で、実に700倍にもなっているのです。平均寿命は男女平均で85歳となっています。労働年齢人口は減少し、日本経済は長期的な停滞時期から抜け出せずにいます。その結果、社会保障費は上がる一方です。
1970年のGDP(国内総生産)対社会保障費は4.8%でした。1980年で9.5%、1990年は11.6%、2000年17%、2010年21.4%、2019年(推定)で22.9%と年間の国民総税収額を大幅に超えているのです。
それらを補う不足額は、国民一人当たりの医療費負担額や介護費負担額の増大、さらに年金支給額の減少などで何とか凌(しの)いでいるのです。
そんなやり繰りの結果として、ジェネリック医薬品の推奨も医療費抑制政策の大きな目玉になっているのです。
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2020年新年号(臨時:後編)

明治時代の新渡戸稲造が著した「武士道の精神」。その後は昭和の小説家、三島由紀夫が提唱した男の美学「自己犠牲」それらから派生する人間としての倫理感や道徳律などは、昭和元禄の申し子と言われた植木等などに代表される軽佻浮薄な「サラリーマン人生」の流行語に踏みにじられ、それまでの日本文化とはかけ離れた次元の違った世界へと突き進んでいったのです。そんな無責任体質の「ノリ」の文化が蔓延していき、さらに1980年、日本では「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉が流行語となったて行きます。当時活躍していたツービート(映画監督としても有名になったビートたけしが流行らせた懐かしいギャグです。頂上から転落して行く国では、この様な流行語が蔓延して行くのでしょう。国民各自の自己の思考は凍結され、ただ万人向けの奇想天外なアドリブ的な言語のみが大衆に受け入れられて行くのです。自分たちの精神が徐々にに蝕まれて行くのも知らずに…。口に馴染みやすい享楽的な言語「のみ」が流行し、自分では思考しない、マスメディアを通じた報道番組に一喜一憂するか、ときにはそれにさえ無関心になってこの国は衰退して行くのでしょうか。

第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの名言にある様、
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」
これが働きかた改革の基本ではないでしょうか?
明治時代、日清、日露の戦争を通して、我が国が何とか近代国家の仲間入りが出来たのは、国民一人一人が国から少しでも援助を求めるのではなく、国や家族の為に自分たちがどのような奉仕が出来るのかを問い続けていたからだと思うのです。
そのような奉仕精神の上に、日本という国は豊かになって行けたのです。それが21世紀の今日は真逆の発想になっています。自分たちが払う税金より、もっと多くの福祉政策を求め続けて行けば、日本という国は世界でも最貧国の国へと転落して行くしかないでしょう。
事実この国の一人当たりの生産性は先進諸国中で21位と、最下位に近いのです。国会における野党勢力のように批判ばかりを言っていても、私たちの生活は一向に改善しないのです。家族という単位、職場という単位、地域社会の単位の中で、批判ではなく、前向きに自分たち自身が努力して行くしかないのです。

2020年新年号(臨時:前編)

これからの日本人はどうなるのでしょうか?
昭和から平成、そして令和と年号は変わり人の価値観も変わって来ています。昭和的な考え方は、つまり会社的な発想の人間は過去の遺物と嘲笑される時代になっているのかもしれません。インターネットやSNSの利用拡大により、誰でも世界中から、より多くの情報収集が可能になっています。しかし、それら膨大な情報を自分自身の意義ある生活の為に有効利用出来ている人は、まだ限られているのではないでしょうか。新幹線や飛行機のチケット、ホテルの予約、旅行プランの設定などは、かなりの人たちが利用している事でしょう。さらに就職サイトの活用も多いのでしょう。少しでも良い待遇、楽な仕事を探しても、誇大的な実際とはかけ離れた文言が蔓延して理想的な職場探しは容易ではないでしょう。それでも自分に適した働きやすい職場というものはあるのでしょう。昨今では「働きかた改革」が盛ん言われています。
その基本的な考えは、残業などの無駄な時間を排除して、効率の良い生産性を向上させ、女性や高齢者の職場環境を拡大させて行きたいとの発想があります。その為には無駄な会議や紙媒体による印鑑のたらい回しの省力化さらに、職場単位の現場責任主義、その職場単位で生産性を如何に向上させて行けるかにかかっています。上からの指示ではなく、自分たちで考える現場単位の効率が求められているのです。
過去の遺物と判断されかねない昭和の時代は、明治の近代国家をひたすら目指した時代とは、明らかに違うのです。戦前の昭和時代は、陸海軍大学のエリート集団(明治時代のような実戦と戦争の怖さを知らない机上空論の世代)が起こした自爆的な戦いだったのです。昭和の後半はGHQ占領政策のもとで思考停止が続いた時代でした。昭和の戦前の軍事教育の全てを否定する事で、日本の良き精神文化そのものさえ否定してしまったのです。
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診察室からコンニチハ(185)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅴ)
今回は医療現場からの声を紹介してみます。
Q:消費者(患者)としては同じ効果と安全性が保証されているのでしたら、安い薬の方が良いでしょうが、どうも色々と医師や薬剤師などに伺ってみると、医療現場では「このジェネリックは効かない」とか、「あれは大丈夫だ」などの評価があるようで、患者としては不安になります。 
A :実績重視で先発医薬品を選ぶのか、値段を考えてジェネリックを選ぶのかは個人の価値観によるところも大きいです。現実的な対処法としては、医師や薬剤師によく相談して、納得できた場合にのみジェネリックを処方してもらうのが良いと思いますが、現実には医師や薬剤師にジェネリックの副作用情報が十分に入手されているかの疑問が残ります。
Q:そうなると、私たち患者サイドはどうしたら良いのでしょうか?
薬の効果が安定しないなどと言われしまいますと心配になりますが?
A :確かにその通りですが、ジェネリックは健康体の方10名程度において血中濃度をチェックするだけで承認されますので、実際の患者さんに使用した際の薬物血中濃度が異なる場合はよくあると思います。特に、治療有効域が狭い薬剤の場合にはジェネリックに変更するだけで効果が変わる可能性を十分に認識して切り替えるのが良いと思います。
Q:そのように日常、医療の現場においてみられる医薬品の使用によって発生する健康被害等(副作用、感染症及び不具合)の情報はどこで、収集されているのでしょうか?
A:それは『独立行政法人医薬品医療機器総合機構』(PMDA)などで相当蓄積しているはずです。
一般的には、「副作用報告は義務づけられている」と解釈されていますが、薬事法には「保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めるとき」に報告しなければならない、となっています。ですから、実態としては、ジェネリックの副作用であると思われても、先発品に戻せば副作用が解消されてしまうため、ほとんどは報告されていません。
Q:薬剤師の方は薬の職業的専門家として、患者にジェネリックのことについても正しく説明して欲しいと思いますが?
私はたくさん薬を処方してもらっていますので、少なくとも私が処方してもらったジェネリック薬品は、医療現場サイドではどんな情報があるかぐらいのことは教えてもらいたいですが、聞いても全く要領を得ない事が多いのです。
A :情報の蓄積と周知がなされていないのが一番の問題です。患者さんも医療者と同様に副作用情報を行政に直接報告できる仕組みが施行されています。是非積極的に協力頂ければ、それらの情報が蓄積されて皆さん方にもお役に立てると思います。
http://www.info.pmda.go.jp/fukusayou_houkoku/fukusayou_houkoku_attention.html
Q:総医療費を抑制することは大切でしょうから、開発費を回収できた薬を、安く安全に提供してもらえれば患者も、財政も大いに助かりますね。 
A:それが理想的な姿ですが、現実はそうはなっていません。ともかく総医療費を抑制することのみに政策が優先してしまう傾向が強く出ています。
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診察室からコンニチハ(184)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅳ)
最近では、あまりに激しいジェネリックの安値競争の影響から、日本国内では市場からジェネリック医薬品の幾つかが撤退しはじめています。
安値競争の行き着く先は、販売停止か粗悪品の乱造です。国内での人件費が高くなれば、生産拠点を海外に移すと云うのは自動車でも電気製品でも、当然のごとき市場原理です。
厚生労働省がこのほど公表した「2017年度後発医薬品使用促進ロードマップ検証検討事業」報告書から明らかになったものでは、国内に供給する医薬品のうち、原薬の製造工程を海外の製造所で行っている後発品(ジェネリック)は57.0%、同様に長期製造所を国別にみると、いずれも中国が最多となっています。
衣類や食料のみならず、国民の生命に直接関与する医薬品さえもが海外の市場に頼っているのです。
現在、食料に関していえば、日本での国内自給率は39%(平成25年度)でしかないのです。輸入率の高い食料品としては、『とうもろこし (飼料)  エビ、大豆、小麦、砂糖類、果実、 魚介類、肉類』などです。
現在グルテンフリーのダイエットが話題になっています。小麦をはじめとした穀物のタンパク質の主成分であるグルテンを除去した食事のことですが、海外で高度の農薬で生成された小麦などの摂取を控える事により、花粉症などのアレルギー疾患が大幅に軽減するとの報告が多くなっています。個人的にはグルテンフリーが最適なダイエットだとは思っていませんが、それよりは高度の農薬による食の汚染を気にしているのです。
食料品の国内自給率の低下と同様に、医薬品の国内製造率も低下し、価格競争のみが優先され、精度管理の簡素化がジェネリックの安値競争の根源になるとすれば、医師として現場の最前線に立たされる私たちは、それが厚労省の医療政策の一環であったとしても安易に看過できないのです。日本のマスメディアも、この程度ぐらいまでは問題を掘り下げて報道して欲しいものですが、なかなかそうはなりません。
日本独特の「記者クラブ」から配信される、官庁に有利な内容を鵜呑みにした記事では、国民の目には真実は見えて来ないのです。
次回に続く

診察室からコンニチハ(183)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅲ)
いまやアメリカでは、ジェネリックは先発品とは「別の薬」との認識が一般化しています。
そもそもジェネリックは「後発医薬品」とも呼ばれており、新しく開発された薬(先発医薬品)の20年間の特許が切れた医薬品を他の製薬会社が製造して発売したものを指しています。
有効成分名とその分量が判明しているので、ジェネリックメーカーはほとんど開発費用をかけることなく薬を製造できます(新薬開発には約200~1500億円程度かかるのに対して、ジェネリックは1億円程度です)。
薬剤原価のみで製造できると言っても過言ではなく、そのため「先発品の2割から6割の価格で販売できる」という説明には間違いはありません。
でも、ジェネリックは「先発医薬品と同一の有効成分を同一量含有している」だけであり、添加物などは異なります。先発医薬品と決して「同じ」ではないのです。
この議論の出発点は、厚労省および、ジェネリック医薬品学会も同じです。
話が変わってくるのはこれから先です。
厚労省およびジェネリック医薬品学会は、「添加剤の成分や配合量が先発医薬品と異なっていても、承認審査においては生物学的同等性試験を行なっている」から「先発医薬品と同等の安全性と有効性が担保されている」と結論づけます(「ジェネリック医薬品への疑問に答えます」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryou/kouhatu-iyaku/dl/02_09.pdf 厚生労働省)。
分かりやすく言うと、「(省略しても良いと思われる試験は省略しているが)必要とされる試験は行った上で承認しているので(先発品と同じと思って)問題ない」ということです。
考え方の違いと言えばそれまでですが、アメリカにおいては、ジェネリックは先発品とは「別の薬」と認識されています。そして、承認基準項目が少ない以上、発売後に第三者機関による「先発医薬品と同等かどうかの品質再評価」が必要と考えられています。
ジェネリックに変更して薬の効果が明らかに低下した症例や、添加物による副作用と思われるアレルギー症例を経験している医師は、数多くいると思われます。
実際に一人ひとりの体内に取り込まれてどのように作用するかについては、承認基準だけですべて判明するわけではないのです。
東京都保険医協会が冒頭のジェネリック医薬品学会の質問状に対して答えた文面はこちら
( http://www.hokeni.org/top/public/generic/2012/120416generic.html )で確認できます。厚労省の求める承認基準にこだわることなく、発売後の品質評価の結果の公表を積極的に行い、基準に満たないジェネリックのランク付けが必要である、という意見は十分理解していただけるのではないかと思います。 
次回に続く