霜月の夕暮れ(52)

国は医療費抑制政策の上からも、在宅介護を強く押し進めているが、伸枝は自分自身の経験から言っても在宅介護は家族の誰かが犠牲になると云う問題に直結していると思えてならない。
現在の介護制度ではホームヘルパーの派遣システムが、余りに不完全で、医療費のみならず介護費をも抑制したいと云う意図が強く国にあるならば、それは家族に血の滲む様な労力を強制する事になりかねない。
伸枝には高校時代の親友で、デンマーク人と結婚したメル友がいる。その彼女を通じてデンマークの医療介護事情を教えてもらえる機会が多い。日本で知られているデンマークのイメージは、高福祉、高税率でともかく住みやすく高齢者や病人には優しく保護の行き届いた国だと云う印象が強い。教育費は大学まで全てが無料だし、高校生で妊娠しても住居から育児まで全て世話してくれる夢の様な国だとも聞かされた。所得税は一般のサラリーマンで平均50%、消費税は25%と日本に比べ格段に高いが、揺りかごから墓場まで国がすべて面倒を見てくれるので、国民は将来に不安がなく個人が貯金をする必要もないとも言われている。
しかし、その実態はどうか?
医療システムに関しては、日本の方がはるかに診察が受けやすいと、その友人は言う。家庭医制度が徹底していて、その紹介がなければ絶対に病院では診てもらえないらしい。さらに70才以上の高齢者だと、高額医療になる癌治療(たとえ早期癌であろうと)や人工透析その他の難病疾患では規制が強く、家庭医が紹介状を書いてくれない事もあるらしい。
事実、10年前に彼女の義父が71才で早期胃癌が発見された時も病院は紹介されたものの、老人枠があって入院治療のベッド待ちが3年だという。仕方なく彼女は義父を自分の実家である東京の町田に連れて帰り国民健康保険を取り、日本の公的病院で胃癌の手術を済ませたとの事である。
日本では考えられない話であろう。
高齢者の介護がしっかりしている分だけ、不要な医療費には極力お金を使わせないシステムである。また家庭医は登録制で地域ごとに行くクリニックが決まっていて、自分勝手に医者を選ぶ事は許されないとも説明された。その家庭医も全てが予約制で3~10日程の予約待ちが普通なので風邪ぐらいでは予約を取る事も難しいようだ。たとえ予約が取れ診察を受けても、単なる風邪だと診断されれば薬など出ない事も多い。
「自宅で身体を暖かくして十分な睡眠と食事をする様に」
と、言われるだけだ。ともかくヨーロッパ先進国は、ちょっとした病気で薬などを出す事は少ない。インフルエンザであっても20代から50代ぐらいまでは、殆んどの場合に自然治癒するまで安静と外出禁止を指示されるに過ぎない。もちろん糖尿病や高血圧症に関しては、それなりの薬は出るが、総じて薬の使用量は日本の半分にも行かないだろう。
CTの台数にしても日本ではヨーロッパ先進国の4倍、MRIは3.7倍(人口100万比)と格段に多い。
ともかく高度医療機器や医薬品が過度に使われ、不要とも思われる延命治療が行われ、世界で最大の長寿国になっている日本と云う国の現状が浮き彫りにされた印象を伸枝は強く抱いた。
その分だけ介護費に資金が回らず、デンマークとは全然異なった貧弱な「在宅介護」の推進を国は奨励し、核家族化された国民の生活をただ苦しめる結果になるのでは…そんな恐れを伸枝は持ち続けていた。
次回に続く

(再)美香子さんへの回答

もちろん、私の外来に来て頂いて結構です。一様、私の外来診察日をお知らいたします。火曜(午前)、木曜(午後)と金曜(午前)です。予約制ですが、初回は予約なしでも外来診察は可能です。でも、可能ならお電話で予約頂けると幸いです。緑協和病院 045(962)6666となります。
【ご質問】
たび重なる質問で申し訳ありません。私は横浜市に住んでおります。精神障害のため精神科クリニックに月一度通っていますがクリニックには認知症外来がありません。成川先生に診ていただくことはできますでしょうか。ぶしつけなお願いで申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

霜月の夕暮れ(51)

伸枝の迷いは続いていた。自分の仕事と母親の介護の狭間で明日への目標を失っていたのかもしれない。パート社員であってもそれなりの仕事はしたいと云う思いは強い。
一般読者を引きつける取材記事とは何であるのか、そればかりを考えていた。今の彼女には取材の為に色々な場所に出掛けて行く時間がない。となると、身近な所で読者の興味を呼び起こすものを探すしかない。
自分と母の日々を綴った「介護日誌」の様なものであろうか、あの特集もそれなりの反響はあった。それに類いするものだが、それが見つからない。
こんな生活を続けていけば、自分と母の行く末はどうなるのであろうか?
そこまで考えた時に突然、伸枝の頭に何かが閃いた。そうだ、自分が一番思い悩んでいる事を記事として纏(まと)めていけば良いのだと、伸枝は深い暗闇の中から当たり前の課題を探り当てた。
「この国の高齢者介護の行く末は?」
を、テーマに取材を進めて行けば良いのではないのか…。これこそ、正に今日的な重要課題ではないか。毎日の新聞やテレビから沢山の情報は流れて来るが、それらは断片的な知識である事が多い。これらを総合的に分かりやすい資料に作り上げたら良いのではないかと考えて、自分なりの私案を作成してみる事にした。
1)病気→入院→在宅(認知症なし)
これだと、普通のパターンだから問題にはならない。
2)病気→入院→在宅(認知症あり)
この場合は認知症の程度により、ホームヘルパーや訪問看護の導入で家族が、どの程度に対応出来るかだ。
吉子の最初の骨折の時は、デイサービスを取り入れて何とか母親の認知症は改善できた。
3)在宅+デイサービス+老人ホームのショートステイ利用
などが経済的負担は少ない。その分家族の支援と負担が大きい。伸枝もその為に課長と云う社会的地位を断念した。この犠牲は大きい。誰でもが出来る訳ではない。となると、療養病院の世話になるか、老人ホームへの入所となるしかないだろう。
4)病気→入院→療養病院(認知症あり)
  →老人ホーム
と云うパターンが到着点になってしまう。この場合はかなりの経済的負担が伴う。それに一口に老人ホームと言っても高級な「有料老人ホーム」から「老人保健施設」、「特別養護老人ホーム」、「グループホーム」と何種類もあって、
これらを選ぶのも容易ではない。
もちろん、経済的負担も各施設によって違う。サービス内容だって違って来る。経済的負担が軽ければサービスも落ちて来るのが一般的だろう。
伸枝は、これらの施設を自分の足で一つ一つ回ってみた。単なる取材ではなく母親の事があるので、患者家族の立場で施設見学を試みたと言って良いだろう。チェックポイントとしては、先ずは受付け窓口の対応の仕方そして施設内の明るさだ。2011年3月の東北地方太平洋沖地震以来、節電と称して極端に照明の明るさを落としたり、冷暖房も非常識に削ったりしている施設が多くなっている。個室部屋はともかく廊下など寒くて、かなりの厚着をしなければ通れない所もあったりする。
総じて、この様な施設は介護の手も杜撰(ずさん)だ。その分だけ施設費用の自己負担は少し安めかもしれない。
しかし、介護の手が回らないだけ施設内での病気発生率が高く、病院への入院と施設への退院が繰り返される。
次回に続く

美香子さんへの回答

美香子さんへの回答55歳で長谷川スケール25点で、日常生活にも多分に支障が来ている様ですから診断的には残念ながら「軽度認知障害」に該当すると思います。病院でMRIの検査を受けてみるべきだと思います。治療法の根本は生活療法が中心です。アリセプトなどの薬では症状の改善も認められますが、易興奮性(興奮しやすくなる)などの副作用報告が多く見られますので、先ずは生活療法(規則正しい朝の散歩30分)と脳トレーニング(詳細は後で説明します)を毎日実施することです。それに食事の支度も面倒がらずに、小まめにおかずの量も増やして味付けにも工夫を怠らないで下さい。要は「認知症」に打ち勝つ努力を、貴女がどれ程して行けるかにかかっています。認知症専門医は診断とアドバイスはしてくれますが、現時点の医療レベルでは生活療法と脳トレーニングが最大の治療法です。
【脳トレーニング】
初級コース(記憶力のアップ)
2文字の単語を10個並べる。
くり、いす、はな、かき、なし
さる、とり、うみ、とら、うで
以上を2分間、音読で暗記する。
そして次の2分間で書いてみる。
8個以上暗記出来たら次に行く。
初級中級コース
2文字と3文字の混合
すずめ、くま、かもめ、りす、さくら、かみ、とけい、ほん、さとう、ねこ
同じ様に2分間の音読で暗記
次の2分間で書いてみる
8個以上暗記出来たら次に行く
中級コース
3文字の単語を10個並べる
かめら、みみず、みかん、
いちご、つみき、からす、
ばなな、さくら、うちわ、
とんぼ
 
 中級上級コース
3文字の単語と4文字の混合
うちわ、すずむし、すいか、
よこはま、まくら、にんじん、ばなな、たけのこ、こりす、
しまうま、
上級コース
4文字の単語を10個並べる
まつたけ、やまいも、
かきのき、しんぞう、
ほんばこ、すいしゃ、
のこぎり、だいこん、
あおぞら、さざんか
 
初級コース(計算力のアップ)
12問を1分以内での練習
3+5=、8+9=、7+6=、4+8=
12+6=、17+9=、25+8=
7+13=、42+5=、8+16=
19+5=、6+23=
初級中級コース
12問を1分以内での練習
39+17=、21+18=、45+18=
52+14=、34+13=、61+42=
76+21=、46+17=、19+15=
43+18=、13+42=、56+37=
中級コース
12問を100秒以内での練習
57-6=、23-8=、45-7=
42+26=、36-9=、38+45=
65-11=、48+15=、37+61=
84-13=、72+13=、69-21=
中級上級コース
12問を100秒以内での練習
13×3=、16×4=、18×3=
21×2=、17×3=、22×4=
31×3=、15×4=、12×5=
8×11=、19×2=、23×3=
上級コース
12問を100秒以内での練習
33÷3=、21÷7=、45÷9=
44÷4=、63÷9=、18÷9=
55÷11=、81÷9=、15÷5=
72÷8=、48÷4=、66÷3=
この脳トレーニングを1日に15分間、毎日実施すれば、貴女の日常生活での記憶力は3ヶ月後には明らかな改善をするでしょう。
【ご質問】
お忙しいところすみません。55歳、ここ一年人の名前が覚えられないということは多々ありましたが年のせいだと気にしていませんでしたが昨年暮れくらいから以下の気になる症状がありました。 いつもやっているズボンの裾上げのやり方やミシンの使い方が思い出せない。 家族で一緒に見たというテレビドラマの最終回を見たことや内容が全く思い出せない。 雑煮を作ろうと思っても材料がいつも何であったか思い出せず、家族に聞いた。その他普段の生活で思い出せないことが出てきました。脳神経外科で血液検査をしましたが異常なし。長谷川スケール25点でした。クリニックの先生は病院で詳しい検査をした方がいいと言ってますが、軽度認知障害にかかっているのでしょうか。治療法どういうものでしょうか。長くなりましたがよろしくお願いいたします。

霜月の夕暮れ(50)

しかし、そんな伸枝の呼びかけにも答えず吉子は桜の花びらの一片をただ見ていた。そして急に一言、
「たばた…!」
と、口にした。伸枝はそんな母の反応に心が揺れた。
「お母さんは、やっぱり家に帰りたいのだ。そうよね…お家が良いに決まっているわ…!」
そう言いながら、伸枝は一人で目頭を熱くした。だが、現実には難しい問題が幾つもあった。田端の古い実家では車椅子の生活は困難である。家は2階建てで段差も多い。トイレは和式で狭い。母親を実家に退院させるにしても家の大幅な改築が必要となって来る。
出来れば、この病院でリハビリをやって何とか杖歩行にまで改善できないかを願うばかりだ。
母と病室に戻り、ナースステーションに出向き尋ねる。
「すみません、田村の娘ですがリハビリの方はどうなっていますか?」と、
担当ナースが出て来て…
「田村さんは食欲も出て来ましたので昨日から、リハビリはスタートしています」と、
説明してくれた。それを聞いて先ずは一安心。夕食まで母のそばにいて何かと話しかけたが、やはり反応は乏しかった。それでも夕食の全粥だけは、殆んど食べてくれた。それを見届け伸枝は帰路についた。
翌日からは会社に出た。しかし母親の事で度々欠勤している伸枝には、周囲の視線が冷ややかに感じた。何とか皆んなが驚く様な取材記事をものにしなければと心は逸るが、そう特集に出来る題材が何処にでも転がっている訳でもない。仕方なく伸枝は雑用に近い仕事で時間を過ごしていた。
5時過ぎには一人会社を出て、赤羽の病院に向かった。母親は元気そうだったが、何処か焦点の定まらない顔つきである。夕食だけはしっかり食べているので、それだけが救いだった。
この4月(2014年)から消費税が上がり景気は冷えこんで来た。そんな影響も手伝ってか雑誌の売れ行きも芳しくはなかった。その分だけ伸枝の職場での存在感も薄れていた。伸枝の課長としてのかつての栄光は消え去っていた。
ただのパート社員では、他人を「あっ」と言わせるだけの取材記事をものにしなければ、退職勧告も時間の問題となっていた。伸枝は母親の介護と職場環境の変化で精神的に、かなり行き詰まっていた。
唯一の救いはブラジルでの夫の活躍ぶりだ。海外勤務となって一年弱が経ち夫の俊治は支店長から支社長待遇と昇進し、給与もかなり上がって来た。
それに伴い彼女への送金額も増えていた。これは大きな支えである。
伸枝が働かなくても、夫の送金だけで十分な生活が成り立つと云う意義は余りに大きい。しかし、それと雑誌記者としての彼女のプライドとは別の問題であった。さらに介護すべき相手は自分の母親である。夫の送金だけで何もかも賄うのは、やはり気が引ける。母の年金だけでは病院の費用は足りない。父親が遺してくれた2千万円の金があるといっても実家の改築に使ったりすれば、後はどのくらい残だろうか?
あれこれと迷うが、やはり仕事もやりたいし、自分なりの収入も欲しい。
何もかも夫にオンブにダッコでは申し訳ない気がしてならない。これまで結婚してからも育児と子供の闘病生活を除けば、彼女自身が仕事人間だった。経済的理由だけで仕事をしていた訳ではない。仕事そのものが好きなのだ。
次回に続く