診察室からコンニチハ(114)

*ロボトミー手術【日本】 
日本では1942年(昭和17年)、新潟医科大学(後の新潟大学医学部)の中田瑞穂によって初めて行われ、第二次世界大戦中および戦後しばらく、主に統合失調症患者を対象として各地で施行されていました。
また1975年(昭和50年)には、「精神外科を否定する決議」が日本精神神経学会で可決され、それ以降は行われていません。日本では、このロボトミー手術を受けた患者が、インフォームド・コンセントのないまま手術を行なった精神科医の家族を、復讐として殺害した事件にまで発展しています(*ロボトミー殺人事件)。
*ロボトミー殺人事件 : 1979年9月、元スポーツライターだったS(当時50歳)が、精神外科手術を受けたことで人間性を奪われたとして、執刀医の殺害と自殺を目論み医師の自宅に押し入り、医師の母親と妻を拘束し本人の帰宅を待つが、予想時刻を過ぎても帰宅しなかったことから2人を殺害し金品を奪って逃走してしまった。池袋駅で職務質問した警察官に、銃刀法違反の現行犯で逮捕されています。
1993年、東京地裁で無期懲役の判決が下りますが、検察側・S側双方が控訴、1995年に東京高裁が控訴を棄却したため、S側が上告するも1996年に最高裁で無期懲役が確定しました。
【犯人の人物像 】
犯人のSは家計を助けるため働きながら勉強しており、正義感の強い真面目な青年として知られていました。20歳にして通訳となるも、親の看病のため帰郷し土木作業員として働き出しました。しかし、関連会社に仕事上の不正を抗議した際、貧しい経済状況から、出された口止め料を受け取ってしまい、これを会社は恐喝行為として訴え、Sは刑務所に収監されました。…会社側の偽証の疑いも拭いきれません。
出所後は翻訳の仕事から、海外スポーツライターとして活動を始め、事務所を開いて実績を積んで行きました。
しかし1964年3月、妹夫婦と親の介護について口論になり家具を壊して、駆けつけた警官により逮捕、精神鑑定にかけられました。精神病質と鑑定されたSは精神科病院に措置入院となり、病院内で知り合った女性がロボトミー手術により人格が変わってしまい、その後自殺したことに激怒、執刀医に詰め寄ったことで危険だとしてロボトミーの一種、チングレクトミー手術を強行されました。この医師は、Sの母親に詳しく説明せずに手術の承諾書にサインをさせたといわれています。
☆名古屋大学医学部精神医学教室で、ロボトミーを受けた患者の病理解剖では、前頭葉全体が空洞化されており、スカスカだったと言われていました。当時解剖した患者で一番多かったのはアルコール依存症でした。なお、同教室の医師が他の医師と手術の統計をまとめようとしたところ、手術記録や診療録が、何処にも見当たらなかったと言われました。これは前出のロボトミー否定の学会決議を受け、病院側が資料を破棄したものと見られています。
日本精神神経学会の1975年(昭和50年)の精神外科を否定する決議でロボトミー手術の廃止を宣言したことから、日本の精神科において、精神疾患に対してロボトミー手術を行うことは、精神医学上禁忌となっています。しかし、精神障害者患者会の一つ、全国「精神病」者集団の声明(2002年9月1日)では『厚生省の「精神科の治療指針」(昭和42年改定)はロボトミーなど精神外科手術を掲げており、この通知はいまだ廃止されていません。』と主張しています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(113)

☆1935年-ラディスラス・J・メドゥナ (Ladislas J. Meduna) が、精神病治療に*メトラゾール・ショック療法を提唱しました。
*メトラゾールmetrazol
カルジアゾール,ペンテトラゾールとも言います。シクロヘキサノンからつくる無色の単斜針状の結晶で,水,有機溶剤によく溶けます。中枢興奮薬剤に用いられていました。
このメドゥナ(ハンガリー)が1937年に薬物(メトラゾール)を用いて人工的にけいれん発作を作ることで統合失調症患者の治療に成功しました (カルジアゾール・ショック療法ともいう)。
☆ウェンデル・スタンリーが*タバコモザイクウイルスの結晶化に成功しました。
*タバコモザイクウイルス
tobacco mosaic virus
植物ウイルスの一種で,タバコやトマトなどの葉に濃淡緑色の斑点を生じさせたり,ちぢれさせたりします。 TMVと略記しています。 1935年にウェンデル・スタンレーがこのウイルスを結晶として単離することに成功しました。RNAウイルスであってデオキシリボ核酸 DNAは含まず,リボ核酸 RNAの細長い芯を蛋白質サブユニットが多数囲んで筒状となり,全体は長さ 280nm,径 15nmの六角棒状をなしています。 (→モザイク病 )
☆黄熱病の最初の*ワクチンが開発されました。
*このワクチンの歴史は、キューバで開業した医師カルロス・フィンレーが蚊による媒介と伝染を提唱し、アメリカ軍の軍医だったウォルター・リードがパナマ運河建設に際し蚊の駆除を中心とした防疫対策を行い効果を挙げたことから、フィンレーの蚊媒介説の正しさが証明され、更に野口英世によって黄熱の研究が手がけられるものの、その中途で野口は感染し死亡してしまいました。その後、南アフリカ出身のアメリカの微生物学者マックス・タイラー(Max Theiler、サイラーとも)が黄熱ワクチンを開発。このワクチン開発の功績によりタイラーは、1951年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。
☆1936年 - エガス・モニスが、精神病治療に*ロボトミー手術を提唱しました。
*ロボトミー手術【欧米】
1935年、ジョン・フルトン(John Fulton)とカーライル・ヤコブセン(Carlyle Jacobsen)が、チンパンジーにおいて前頭葉切断を行ったところ、性格が穏やかになったと、ロンドンで行われた国際神経学会で発表したのを受け、同年、ポルトガルの神経科医エガス・モニスが、リスボンのサンタマルタ病院で外科医のペドロ・アルメイダ・リマ(Pedro Almeida Lima)と組んで、初めてヒトにおいて前頭葉切截術(前頭葉を大脳のその他の部分から切り離す手術)が行われました。
その後1936年9月14日、ワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学でも、ウォルター・フリーマン (Walter Jackson Freeman II) 博士の手によって、アメリカ合衆国で初めてのロボトミー手術が、激越性うつ病患者(63歳の女性)に行われています。
当時に於いて、治療が不可能と思われた精神疾病が、外科手術である程度は抑制できるという結果は、注目に値するものであって、世界各地で追試され、成功例も含まれたものの、特にうつ病の患者の6%は手術から生還することがありませんでした。また生還したとしても、しばしばてんかん発作・人格変化・無気力・抑制の欠如・衝動性など、重大かつ不可逆的な副作用が起こっていました。
しかし、フリーマンとジェームズ・ワッツ (James W. Watts) により術式が「発展」されたこともあり、難治性の精神疾患患者に対して、熱心に施術されました。1949年にはモニスにノーベル生理学・医学賞が与えられました。しかし、その後、抗精神病薬の発明とクロルプロマジンが発見されたことと、ロボトミーの予測不可能な副作用の大きさと人権蹂躙批判が相まって規模は縮小し、精神医学ではエビデンスが無い禁忌と看做され、廃止に追い込まれています。
また、モニス自身もロボトミー手術を行った患者に銃撃され重傷を負い、諸々の施術が(当時としては)人体実験に近かった事も含め、医学倫理上の槍玉に挙げられ、外科手術が廃れる事になりました。
次回に続く

医師募集

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診察室からコンニチハ(112)

☆1927年 - 結核の最初の*ワクチンが開発されました。
* ワクチン
1940年代後半から BCG の結核予防効果に関する 野外調査の報告がみられます。とくに10万人を超す 南インド農民を対象として実施された大規模な controlled trial (Chingleput study)では,全く有効 性が否定される結果となりました。この結果を元に WHO は BCG ワクチンは成人の結核に無効である と世界中に勧告されました。日本も WHO の勧告に従いました。その一方,小児における結核性髄膜炎や粟粒結核など播種性のものには BCG は十分な予防効果があるとの報告も多かったのです。
☆1927年 - 破傷風の最初のワクチンが開発されました。
☆1928年 - アレクサンダー・フレミング(英)が*ペニシリンを発見。
*ペニシリンの発見(1928年)
ブドウ球菌を培養中にカビの胞子がペトリ皿に落ち、カビの周囲のブドウ球菌が溶解しているのにフレミングが気づきました。
このことにヒントを得て、彼はアオカビを液体培地に培養し、その培養液を濾過した濾液に、この抗菌物質が含まれていることをin vitroの実験で確認し、アオカビの属名であるPenicilliumにちなんで、「ペニシリン」と名付けました。この後の動物実験によりin vivoでの抗菌作用を1940年に発表しました。
この結果、第二次大戦で多くの戦傷兵が命を救われました。
1945年にノーベル生理学医学賞受賞(*フローリー、*チェーンとともに)
*ハワード・フローリー(オーストラリア)
*エルンスト・ボリス・チェーン−(英)
フローリーとチェーンはペニシリンを精製し、その治療効果を再発見すると医薬品として実用化しました。
☆1929年 - ハンス・ベルガーが人の脳波診断(electroencephalography)を確立しました。
☆1932年 - ゲルハルト・ドーマクが、連鎖球菌に対する化学療法を発見。
☆1933年 - マンフレート・ザーケル (Manfred Sakel) が、精神病治療に*インスリン・ショック療法を提唱しました。
*インスリン・ショック療法(いんすりんしょっくりょうほう)とは、かつて行われていた統合失調症の治療法の一つです。オーストリア出身のアメリカ合衆国の医師マンフレート・ザーケルが、1933年に提唱しました。
精神病患者に対し、空腹時にインスリンを皮下注射し、強制的低血糖によりショック状態と昏睡を起こし、1時間後にグルコースを注射し覚醒させていました。その後は医療事故の危険性が多く報告され、また抗精神病薬の開発が進み薬物治療が出来る様になったため、1950年代以降は廃れる様になっています。その後も中国やソビエトなどで1970年代まで行われていました。
次回に続く

診察室からコンニチハ(111)

☆1921年 - エドワード・メランビー(Edward Mellanby、イギリス)が、ビタミンDを発見し、その欠乏がくる病の原因であることを示しました。
☆1922年 - バートラム・コリップが糖尿病患者に*インスリン投与を行いました。
*インスリンは血糖値の恒常性維持に重要なホルモンです。血糖値を低下させるため、糖尿病の治療にも用いられています。逆にインスリンの分泌は血糖値の上昇に依存します。
従前は「インシュリン」という表記が医学や生物学などの専門分野でも正式なものとして採用されていましたが、2006年現在はこれらの専門分野においては「インスリン」という表記が用いられています。一般にはインスリンとインシュリンの両方の表記がともに頻用されているのが実情です。
☆1923年 - *ジフテリアの最初のワクチンが開発されました。
*ジフテリア菌の感染はヒトのみに生じる上気道の疾患で、鼻ジフテリア、咽頭ジフテリア、喉頭ジフテリアなどの病型があります。日本におけるジフテリア患者の届出数は、1945 年には約8万6 千人(うち約10%が死亡)でしたが、ワクチン接種普及と共に減少し、1991-2000 年の10年間では、21人の届け出(うち死亡が2人)でした。
☆1926年 - 百日咳の最初のワクチンが開発されました。
『百日咳ワクチンの歴史」
(1)1948年(昭和23年) *ジフテリア単体トキソイドが開始
(2)1950年(昭和25年) 百日咳ワクチン 開始
(3)1958年(昭和33年) *DPワクチン開始 
ジフテリアトキソイドの歴史は古く、1921年Glennyらにより、予防のために毒素を無毒化し1948年に予防接種法が制定されるとともに、液状ジフテリアトキソイド(D)が導入されました。以来、1958年に百日咳ジフテリア混合ワクチン(DP)、その後、液状ジフテリア破傷風混合トキソイド(DT)、沈降DTさらに1964年に百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DPT)等、様々なワクチン剤型が接種対象者の目的ごとに製造され使用されています。1980年からはDPTのP(百日咳)が成分ワクチンとなり、幼児期の基礎免疫用に適した沈降精製百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DTaP、aP:acelullar vaccine)として世界に先駆けた改良ワクチンが市販され、ジフテリアの予防に効果を挙げています。
その後、1994年10月1日付けで予防接種法が改正になり、旧法(1976-1994)と基本的な接種方法には大きな変更はありませんでしたが、以下の点に注意を要します。初回接種が生後3ヶ月に引き下げられ、接種時期の名称(旧法: I 期、II 期およびIII 期、改正法:I 期(初回3回および追加)、II 期(ジフテリア破傷風2種混合)が変更され、接種対象年齢幅が総じて広げられました。対象年齢はI 期初回が生後3-90ヶ月ですが、標準的な年令は、同じく生後3-12ヶ月とされています。I 期追加は、通常はI 期初回接種(3回)後12-18ヶ月、II 期はジフテリア・破傷風のDT2種混合ワクチンで11-12歳に行われます。さらに、接種方式が義務接種、集団接種から勧奨・個別接種へと移行しています。
WHO基準ではジフテリアトキソイドの力価を国内基準より2倍高く設定し、抗原量や添加剤を調製することを求めています。従って、国内のDT*aP製剤は諸外国の製剤に比べて副反応を最小限に抑えるために、また過剰免疫に注意して抗原や*アジュバント量を調整しています。
*アジュバント (Adjuvant) とは、広義には主剤に対する補助剤を意味しますが、一般的には主剤の有効成分がもつ本来の作用を補助したり増強したり改良する目的で併用される物質を言います。ラテン語の adjuvare(助ける)に由来しています。抗原性補強剤とも呼ばれ、抗原と一緒に注射され、その抗原性を増強するために用いる物質です。予防医学の分野では、ワクチンと併用することにより、その効果を増強するために使用されています。、
*a P : 成分ワクチン非細胞性百日咳。 さらに、DTaP中に含まれるゼラチンによる副反応の問題が議論されましたが、我が国で現行のDTaPワクチンからは、ゼラチンは除去されています。ワクチンには限られた免疫物質だけを含むことが望まれ、単純で安全性の高い、より有効性の優れた製剤の開発と品質保証体制が進められています。
日本ではここ数年来、海外渡航者が増加し、海外で感染し発症した事例も伝わっています。国内はもとより、感染の危険性は現在もなお続いています。
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診察室からコンニチハ(110)

☆1895年 - ヴィルヘルム・レントゲンが、X線を発見。これにより放射線診断、放射線療法の歴史が始まりました。
☆1897年 - ドイツのバイエルのフェリックス・ホフマンによりアセチルサリチル酸(アスピリン)が合成されました。世界で初めて人工的に合成された医薬品です。
☆1901年 - カール・ランドシュタイナーが、人に異なる血液型が存在することを発見し、輸血への道が開かれました。
☆1905年-ロシアの軍医ニコライ・コロトコフがコロトコフ音を発見し、聴診器と血圧計を組み合わせた血圧の測定方式の基礎理論(コロトコフ音法)を提起しました。それより100年以上前から血圧の概念は分かっていましたが、人体で安全に測定出来るようになったのは、これが初めてです。
☆1906年 - フレデリック・ホプキンズが、ビタミンの存在を示唆し、そしてビタミンの不足が壊血病とくる病を引き起こすことを示唆しました。
☆1907年 - パウル・エールリヒが、*眠り病に対する*化学療法を発見。
*眠り病はアフリカ睡眠病(アフリカすいみんびょう、sleeping sickness)とも呼ばれて、ツェツェバエが媒介する寄生性原虫トリパノソーマによって引き起こされる人獣共通感染症です。病状が進行すると睡眠周期が乱れ朦朧とした状態になります。さらには昏睡して死に至る疾患であり、これが名前の由来となっています。アフリカのサハラ以南36か国6千万人の居住する領域における風土病で、感染者は5万人から7万人と推計されています。催眠病、眠り病、アフリカトリパノソーマ症とも呼ばれていました。
*化学療法(エールリヒが研究した、眠り病への特効薬はアトキシルの構造式を発見した事ですが、今日その治療効果には疑問が大です)
☆1908年 - ヴィクター・ホースリー(Victor Horsley, イギリス)とR・クラークが、*脳手術の定位固定法を確立しました。
*穿頭あるいは小開頭を行って、脳の表面から細い穿刺針を脳深部の病変部に正確に進めて治療や検査を行う方法です。この固定法により脳外科の手術成績が大きく向上しました。
☆1910年 - パウル・エールリヒと秦佐八郎が*サルバルサン合成に成功しました。
*サルバンサンは梅毒などの治療薬に用いられた砒素(ひそ)化合物で、化学療法剤の最初のものですが、毒性を持つヒ素の副作用が強いため、今日では医療用としては使用されていません。
☆1917年 - ユリウス・ワーグナー=ヤウレックが、 *麻痺性痴呆のマラリア熱ショック療法を提唱しました。
*このマラリア熱ショック療法は治療を受けた人の半分を治りましたが、15パーセントの患者は梅毒の代わりにマラリアで死んだと推測されています。
そして1927年、彼の非倫理的な実験にも関わらず、ワーグナー・ヤウレックは、この発見によって薬学のノーベル賞を獲得しています。その後の医学界では、このノーベル賞に批判が続出しています。
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診察室からコンニチハ(109)

☆1847年 - イグナーツ・ゼンメルワイスが、*産褥熱の感染を研究して防止法を確立しました(消毒法の発見)。
*産褥熱
出産によって生じた、産道や子宮腔内の創傷が細菌に感染して引き起こされる発熱ですが直接の感染症と,間接の産褥創傷中毒症との2型,あるいはその混合型があります。 1847年~49年ハンガリーの産科医イグナス・P.ゼンメルバイスが,臨床観察から産褥熱が接触感染で起こることを推定,医師や助産師に塩化カルシウム液で手指消毒を行なわせることによって発病率 (死亡率) を10分の1に減らしました。それまでは,産婦の少なくとも3%以上は産褥熱で死亡していましたが、その後は消毒の普及や20世紀初頭の病原体の確認およびサルファ剤や抗生物質の出現によって現在ではまれな病気となっています。
☆1849年 -* エリザベス・ブラックウェル (Elizabeth Blackwell) が、女性で初の医学の学位を取得しました。
*エリザベス・ブラックウェルは、イギリス生まれで、アメリカ合衆国で医学校を卒業した最初の女性である。イギリスの公的に医師登録された最初の女性でした。女性に対する医学教育に貢献し、女性の権利の向上運動の活動家としても有名でした。
1865年 - クロード・ベルナールが『実験医学研究序説』出版しています。
☆1870年 - ルイ・パスツールとロベルト・コッホが、病気の病原菌説を確立しました。
☆1873年 - アルマウェル・ハンセン (Armauer Hansen)は患者から*らい菌を発見したことを発表しましたが、彼の業績が認められるには多くの時間がかかりました。
*らい菌 : らい菌は増殖速度が遅く、疾患の潜伏期間が平均で5年あります。患者によっては、症状発現に20年以上かかることもあります。通常の接触で感染することは珍しく、長期間同居している家族内での発生が多く、この為に遺伝的な疾患であると誤解されていた期間が長きに及びました。
☆1881年 - ルイ・パスツールが、*炭疽ワクチンを開発しました。
*炭疽ワクチン : 炭疽菌(たんそきん、Bacillus anthracis)は、炭疽(症)の病原体となる細菌ですが病気の原因になることが証明された最初の細菌であり、また弱毒性の菌を用いる弱毒生菌ワクチンが初めて開発された、細菌学上重要な細菌です。第二次世界大戦以降、生物兵器として各国の軍事機関に研究され、*2001年にはアメリカ炭疽菌事件で殺人に利用されました。
*アメリカ炭疽菌事件(アメリカたんそきんじけん、英: 2001 anthrax attacks, FBIファイル名:Amerithrax)は、2001年9月18日と10月9日の二度にわたり、アメリカ合衆国の大手テレビ局や出版社、上院議員に対し、炭疽菌が封入された容器の入った封筒が送りつけられた事件です。この炭疽菌の感染により、5名が肺炭疽を発症し死亡、17名が負傷しました。
また炭疽菌は土壌中の常在細菌ですが、家畜やヒトに感染して炭疽(症)を発症させます。そのもっとも多い例は、皮膚の傷口から侵入して皮膚で発症する皮膚炭疽です。この疾患は特に中世ヨーロッパでは、家畜の屠殺・解体・鞣革を行う者に多く見られました。また炭疽菌の芽胞が呼吸器を介して肺に到達すると、肺炭疽と呼ばれる極めて重篤な疾患を起こします。肺炭疽は羊毛を扱う者に見られた疾患ですが、稀な例として炭疽により死亡した動物の肉を食べたとき、腸管の傷口から侵入して起きる腸炭疽を起こす場合もあります。いずれの場合もヒトからヒトへの伝染は起きません(言い換えれば、危険な感染症だが伝染病ではない)。炭疽は人獣共通感染症であり、日本では感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症新法)において、四類感染症に指定されています。
☆1875年 - イギリスの、Dr. Sydney Jonesにより、全身麻酔と開腹手術による胃瘻経管造設手術方法が開発されました。
☆1882年ルイ・パスツールが、狂犬病ワクチンを開発しました。
☆1882年3月24ロベルト・コッホが、*結核菌を発見しました。
*『結核の病因論』を著わし、ヒトにおいても細菌が病原体であることを証明した(後にこれを記念して、3月24日は世界結核デーと制定されています)。
☆1890年 - 北里柴三郎とエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが、抗毒素を発見し、破傷風ならびにジフテリアのワクチンを開発しました。
次回に続く

診察室からコンニチハ(108)

☆1800年 - ハンフリー・デービーが、☆亜酸化窒素が麻酔作用をもつことを発表しました。
*亜酸化窒素(あさんかちっそ。英語、nitrous oxide)とは、窒素酸化物の1種です。化学式ではN2Oと表されるため、一酸化二窒素(いっさんかにちっそ)とも呼ばれています。
ヒトが吸入すると陶酔させる作用があることから笑気ガス(しょうきガス。英語、laughing gas)とも言い、また麻酔作用もあるため、全身麻酔など医療用途で用いられ、世界保健機関においては必須医薬品の一覧にも載せられています。
この亜酸化窒素の医学的な応用により、外科手術は患者さん方に苦痛や不安を与える事なく安全性も格段に向上しました。
しかし実際の医学的な応用はかなり遅れ、この後も100年以上は戦火時の、鉄砲傷や刀傷で上肢や下肢に深く傷が入り壊疽化した場合は、上下肢の切断術が麻酔なしに行われました。一人の傷痍軍人に大の男4~5人が力づくで抑えつけ軍医ではなく、大工などが切断した例も多かったと記録されています。傷口には焼酎を吹きかけながら実施されたらしい様です。この為に患者の、多くは途中から失神してしまった例も多かったと記載されています。
☆1804年 - 華岡青洲が世界初の全身麻酔下における乳癌手術に成功しています。
この時に華岡青州が用いた麻酔薬は
「有吉 佐和子の『華岡青洲の妻 (新潮文庫)』」小説によると亜酸化窒素ではなく麻沸散(2世紀前半 - 後漢の華佗が用いた麻酔薬)を改良したものだと言われています。
☆1815年(文化12年)−杉田玄白が『*蘭学事始』を著しました。
『*蘭学事始』は83歳の杉田玄白が蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記で上下2編で構成されていました。
その内容は、戦国末期の日本と西洋の接触から書きおこし、蘭方医学の発祥、青木昆陽や野呂元丈によるオランダ語研究などを記述しています。白眉はオランダ医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳する苦心談です。明和8年(1771年)3月4日、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らは小塚原の刑場で刑死者の腑分け(解剖)を見学し、『ターヘル・アナトミア』の図版が精確なことに一同感銘して翻訳を決意しました。辞書すらない当時の環境下で苦心のうち翻訳を進め、安永3年(1774年)に『解体新書』として刊行する経緯が現場にいた者の目で描きだされていました。特に良沢の名は『解体新書』には記されていなかったため、本書で初めてその業績が世に知られました。他にも、平賀源内、桂川甫周、建部清庵、大槻玄沢、宇田川玄真、稲村三伯など、同時代の蘭学者のエピソードが記されていました。正にここから西洋医学の芽生えが始まったのです。
☆1816年 - ルネ・ラエネク(フランス)が聴診器を発明しました。
☆1818年 - ロンドンの産科医ジェームズ・ブランデル (James Blundell) が、致命的な弛緩性出血の産婦に人血輸血を行いました。
☆1842年 - クロウフォード・ロング (Crawford Long) が、最初の麻酔を利用した手術を行っていましす。
1800年に亜酸化窒素について書いた論文にあったジエチルエーテルでの同じ生理学効果を観察した後で、1842年3月30日にジョージア州ジェファーソンの患者ジェイムズ・M・ベナブルの首から腫瘍を除去する為に初めてエーテルを用いました。ロングは続いてベナブルから2つ目の腫瘍を取り除き、切断術や出産のための麻酔剤としてエーテルを使いました。これら試行の結果は1848年に「南部医科と外科のジャーナル」に掲載されました。
次回に続く