診察室からコンニチハ(184)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅳ)
最近では、あまりに激しいジェネリックの安値競争の影響から、日本国内では市場からジェネリック医薬品の幾つかが撤退しはじめています。
安値競争の行き着く先は、販売停止か粗悪品の乱造です。国内での人件費が高くなれば、生産拠点を海外に移すと云うのは自動車でも電気製品でも、当然のごとき市場原理です。
厚生労働省がこのほど公表した「2017年度後発医薬品使用促進ロードマップ検証検討事業」報告書から明らかになったものでは、国内に供給する医薬品のうち、原薬の製造工程を海外の製造所で行っている後発品(ジェネリック)は57.0%、同様に長期製造所を国別にみると、いずれも中国が最多となっています。
衣類や食料のみならず、国民の生命に直接関与する医薬品さえもが海外の市場に頼っているのです。
現在、食料に関していえば、日本での国内自給率は39%(平成25年度)でしかないのです。輸入率の高い食料品としては、『とうもろこし (飼料)  エビ、大豆、小麦、砂糖類、果実、 魚介類、肉類』などです。
現在グルテンフリーのダイエットが話題になっています。小麦をはじめとした穀物のタンパク質の主成分であるグルテンを除去した食事のことですが、海外で高度の農薬で生成された小麦などの摂取を控える事により、花粉症などのアレルギー疾患が大幅に軽減するとの報告が多くなっています。個人的にはグルテンフリーが最適なダイエットだとは思っていませんが、それよりは高度の農薬による食の汚染を気にしているのです。
食料品の国内自給率の低下と同様に、医薬品の国内製造率も低下し、価格競争のみが優先され、精度管理の簡素化がジェネリックの安値競争の根源になるとすれば、医師として現場の最前線に立たされる私たちは、それが厚労省の医療政策の一環であったとしても安易に看過できないのです。日本のマスメディアも、この程度ぐらいまでは問題を掘り下げて報道して欲しいものですが、なかなかそうはなりません。
日本独特の「記者クラブ」から配信される、官庁に有利な内容を鵜呑みにした記事では、国民の目には真実は見えて来ないのです。
次回に続く

診察室からコンニチハ(183)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅲ)
いまやアメリカでは、ジェネリックは先発品とは「別の薬」との認識が一般化しています。
そもそもジェネリックは「後発医薬品」とも呼ばれており、新しく開発された薬(先発医薬品)の20年間の特許が切れた医薬品を他の製薬会社が製造して発売したものを指しています。
有効成分名とその分量が判明しているので、ジェネリックメーカーはほとんど開発費用をかけることなく薬を製造できます(新薬開発には約200~1500億円程度かかるのに対して、ジェネリックは1億円程度です)。
薬剤原価のみで製造できると言っても過言ではなく、そのため「先発品の2割から6割の価格で販売できる」という説明には間違いはありません。
でも、ジェネリックは「先発医薬品と同一の有効成分を同一量含有している」だけであり、添加物などは異なります。先発医薬品と決して「同じ」ではないのです。
この議論の出発点は、厚労省および、ジェネリック医薬品学会も同じです。
話が変わってくるのはこれから先です。
厚労省およびジェネリック医薬品学会は、「添加剤の成分や配合量が先発医薬品と異なっていても、承認審査においては生物学的同等性試験を行なっている」から「先発医薬品と同等の安全性と有効性が担保されている」と結論づけます(「ジェネリック医薬品への疑問に答えます」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryou/kouhatu-iyaku/dl/02_09.pdf 厚生労働省)。
分かりやすく言うと、「(省略しても良いと思われる試験は省略しているが)必要とされる試験は行った上で承認しているので(先発品と同じと思って)問題ない」ということです。
考え方の違いと言えばそれまでですが、アメリカにおいては、ジェネリックは先発品とは「別の薬」と認識されています。そして、承認基準項目が少ない以上、発売後に第三者機関による「先発医薬品と同等かどうかの品質再評価」が必要と考えられています。
ジェネリックに変更して薬の効果が明らかに低下した症例や、添加物による副作用と思われるアレルギー症例を経験している医師は、数多くいると思われます。
実際に一人ひとりの体内に取り込まれてどのように作用するかについては、承認基準だけですべて判明するわけではないのです。
東京都保険医協会が冒頭のジェネリック医薬品学会の質問状に対して答えた文面はこちら
( http://www.hokeni.org/top/public/generic/2012/120416generic.html )で確認できます。厚労省の求める承認基準にこだわることなく、発売後の品質評価の結果の公表を積極的に行い、基準に満たないジェネリックのランク付けが必要である、という意見は十分理解していただけるのではないかと思います。 
次回に続く

診察室からコンニチハ(182)

ジェネリック医薬品への疑問(Ⅱ)
次にアメリカでのジェネリック医薬品の動向について見ていきたいと思います。
ジェネリックは、アメリカで処方される薬の約90%を占めています。日本でのジェネリック普及率は70%ですから、アメリカ追従主義の厚労省は2020年には80%台を目標にしています。
しかし、アメリカで処方されるジェネリックの大半は外国で製造されています。その国外で製造されるジェネリックの多くは、中国とインドが製造拠点の中心です。これらの国で製造されたジェネリックの中には不正行為の横行が目立ち始め、監督官庁の米食品医薬品局(FDA)にも問題があると指摘する声が多くなっています。過去1年だけでも多くの高血圧治療薬が自主回収された経緯もあるのです。製品への不純物や異物の混入、無菌検査の偽装といった問題が起きていたのです。FDAは2014年、インドで試験的な査察システムを実施して一定の成果を上げましたが、翌年にはなぜか中止しています。
FDAは「グローバルな警戒」を怠らず、「ジェネリック医薬品の製造元には世界同一の基準と査察を求めている」と主張しています。アメリカ市場への参入を望むなら定期的な査察を受け入れ、FDAの厳しい基準に従わなければならないということなのですが、現実には、これらを無視する国外企業が幾つも発見されています。FDAは国内では抜き打ちで査察を行っていますが、外国では、ビザの取得やアクセスの問題で数週間前、あるいは数カ月前に査察の実施を通告するのが普通になっていました。偽装するには十分な時間です。
「それらの工場では従業員に社内用のメモや覚書を回し、FDAの査察に備えてデータをごまかすよう指示している」
との、情報も集められていました。
日本国内では、このような企業は皆無であると信じたいのですが…。
次回に続く

診察室からコンニチハ(181)

ジェネリック医薬品への疑問?(Ⅰ)
ジェネリック医薬品(後発医薬品)とは、新薬(先発医薬品)の特許が切れた後に発売される薬ですが…有効成分は新薬と同じで、価格はずっと安い医薬品をいいます。しかし、その安全性には多くの疑問が出始めています。
2011年10月11日に東京都保険医協会が作成した、「ジェネリック(後発医薬品)は医者に相談して」
と、題したポスターに対して議論がわき起こっています。このポスターではジェネリックは「新薬と同じ成分効能か?」と問いかけています。そして「ジェネリックの効能にはばらつきがあります」「効能格差は最大40%」と続き、「ジェネリックの中で効くものを医師と相談しましょう」と締めくくっています。
これに対して、日経新聞は2012年4月22日「医療界は後発品普及を促せ」と題した社説を掲載。「医療費削減のために(ジェネリックを)主体的に普及を促すべき医療界が、一部の医師の意識改革の遅れにより、誤解させる文言を含んだポスターを作成した」と、このポスターが『患者の正しい理解を助けない』と論じました。
さらに、日本ジェネリック医薬品学会も東京都保険医協会に対して、内容の変更や回収を求める質問状をホームページに掲載しています。
特許が切れた医薬品をより安く提供するジェネリックの役割は十分に分かります。しかし、ジェネリックを「先発品と同じ薬で値段が安い」と説明することこそ、逆に患者の正しい理解を助けないばかりではなく、事の本質を見えなくしてしまうのではないかと思うのです。
なぜ医師団体は「ジェネリックの使用は慎重に」と呼びかけたのか?
新しく施行された「一般名処方」の加算20円を算定している医療機関においては、処方された薬が商品名ではなく成分名で記載されます。
例えば、今まで発行される処方箋に「ガスター」(胃酸を押さえる胃薬の商品名)と記載されていたものが「ファモチジン」(ガスターの成分名称)となります。今までとは違う名称が処方箋に記載されていて戸惑われた方もいらっしゃるかもしれません。
医師が“商品名“でなく“成分名“で処方箋に薬を記載するようになると、実績重視で先発医薬品を選ぶのか、値段を考えてジェネリックを選ぶのか、のアドバイスは、薬の調剤を行う薬剤師に委ねられることになります。 ですから、「一般名処方」制度の本質は、これまで医師が独占してきた「処方権限」の一部が薬剤師に委譲されることに他なりません。
もしも、先発医薬品とジェネリック医薬品の効果が同じであれば、医師と同じ6年間の教育と実習を受けた薬の専門家である薬剤師が調剤できるようになるのは、効率が良い制度だと言えるでしょう。
しかし、欧米の例を見ても、血圧の薬やてんかんの薬などのジェネリック医薬品の中には、効果が不十分または不安定で、使用が推奨されていないものが存在するのはまぎれもない事実です(参考:メルクマニュアル医学百科 http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec02/ch017/ch017c.html )。
「ジェネリック=価格の安い薬」と説明されていることが多い現状では、治療の最終的な責任を背負う医師団体が「ジェネリックの使用は慎重に」という呼びかけを行うのは、決して“意識改革が遅れている“からではありません。 
次回に続く

診察室からコンニチハ(180)

アメリカの医療体制は金持ち優位のシステムで、日本のような国民保険制度とは違っていますので参考にはなりません。それで、ヨーロッパの医療保険制度と比較してみます。
ヨーロッパ各国でも、それぞれに特徴はありますが、概ね75歳以上の高齢者には介護には力を入れても、医療に対しては淡白です。75歳以上での「ガン」治療はヨーロッパの多くの国で行っていません。そのような高齢者に、過度の医療行為をすること自体が、その宗教観から言っても怪訝(けげん)にうつるようです。
「生命の尊厳ではなく、人間性の尊厳」を重視しているのかもしれません。
ヨーロッパ社会でも時代により、保険サービスはそれなりの変遷を経ています。かつて英国では、70歳の高齢者には人工透析さえ保険適用でなかった時代もあったのです。またドイツでは、保険制度も一律ではなく、エコノミー、ファーストクラスとの区分があったりしたのです。またオランダを始め、幾つかの国では医師による「安楽死」を合法的に認めている国さえあるのです。さらに障害者による「性的介護サービス」さえ実施されている国もあるのです。
医療保険、介護サービスも国によって実に多くの考え方があるのです。
その意味では日本の医療、介護サービスは、どれも一律です。
疾病にしても、精神障害にしても人さまざまな形態のサービスがあるべきなのでしょう。「性的介護サービス」や医師による「安楽死」の補助などは、我が国の社会常識では考えつかないのかもしれません。
各種「ガン」治療の5年生存率だけで、医療満足度を単純には比較できないのでしょう。やはり、その根源となるものは「生命の尊厳」か、「人間性の尊厳」のどちらかを重んじるかにかかっているのでしょうか。
次回に続く

診察室からコンニチハ(179)

つまり、日本では1回ごとの受診で「医療費が過剰に使われる恐れがある」という医療経済的な視点から見れば問題はあるのですが、「医療が身近である」という国民側の安心という視点から見れば、これはかなり素晴らしいことと言えるのでしょう。
要するに、「困ったらすぐに医者に行ける」という環境が整っていることになるからです。
英国やスウェーデンなど、家庭医制度が行き渡った国では、確かに制度上は素晴らしいと言えますが、身近とは言い難いと思えるのです。
家庭医が「ゲートキーパー」とか「ゲートオープナー」といわれるように、家庭医を通さなければ、大病院など高度で専門的な医療機関を受診できないからです。一方、日本の医療では、患者が行こうと思えば、直接、大病院の受診が可能なのです。(最近は紹介状の持参を原則とするケースが増えてはいますが…)。
それでも日本では、悲惨な医療事故が起こる度に、医療バッシングが起こり、医療不信に拍車がかかっています。その度に「日本の医療はひどい」「欧米に比べて遅れている」等の声が聞かれます。何故でしょうか?
もちろん、悲惨な医療事故というものは日本だけではありません。米国では、日本の10数倍近い弁護士がいますので、「救急車の後を弁護士が追いかけていく」と言うほどに、医療訴訟が頻発しています。ですから、米国に比べると日本での医療訴訟は格段に低いのです。日米では文化の違いもあって、一概に比較は出来ませんが、それでも国民感情としては日本人の医療不信は根強いと言われています。どうしてなのでしょうか?
改めて医師である私は自問自答してしまいます。
昭和の時代には、医師は未だ「お医者さま」と呼ばれていました。
しかし、昭和の末から「お医者さま」は「お医者さん」に変わり、病院経営もどんどん悪化しています。「医は仁術ではなく、算術になり果てた」との陰口を囁かれながらも厚労省が2年毎に改正する医療費抑制政策に汲々としながらも懸命な医療活動に従事しています。そして、医療水準としては国際的にみても誇れるような成果を出しています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(178)

今回は日本人の医療満足度について考えてみたいと思います。
わたしたち日本人の医療満足度は15%であると言われています。世界の先進22ヵ国中では最下位です。ちなみにトップは、スウェーデンの75%ですが、しかし日本の医療水準は世界一なのです。医療水準はスウェーデンをはるかに超えています。このあまりのギャップは、どこから生じるのでしょうか?
まず日本の医療水準が世界一であるという根拠から説明します。
色々な角度から医療水準のチェックポイントがあるのですが、今回は「ガン」の生存率からみて行きたいと思います。
大腸がんの5年生存率(2004~09年)を調べたものでは、日本は68%と1位、アメリカ5位(64.5%)、カナダ6位(63.4%)、ドイツ13位(60.4%)イギリス18(53.3%)で、先進加盟国の平均は59.9%です。
世界67ヵ国、2500万人以上の「ガン」患者の5年生存率を調査した国際共同研究「CONCORD-2」(1995~2009年)によると、日本は肺がんで5年生存率30.1%とトップです。
アメリカ18.7%、イギリス9.6%なので、日本の成績はかなり際立っています。
肝ガンでも日本の成績は27.0%と、断トツの1位です。
アメリカは15.2%で、欧州各国も20%に達していません。
胃ガンでは、韓国が57.9%と1位ですが、日本は54.0%です。欧米は30%前後と軒並み低いのです。
再びOECDの調査に戻って、
乳ガンの5年生存率を見ると、日本はアメリカに次いで2位の87.3%、
子宮頸ガン4位の70.2%と、先進加盟国で上位にあります。
医師受診の回数も日本は突出して多いのです。OECDの統計によると、国民1人あたりの医師にかかる回数は加盟国の平均が6.6回。これに対して日本は12.9回となっています。意外にも低いのが、スウェーデンであり、年間2.9回。このスウェーデンの約3回に対して、日本は約13回という、この数字の開きは、つまり「医師との距離」の違いでもあります。
次回に続く

診察室からコンニチハ(177)

最先端の科学と医療に接して、私たちの未来は幸福であるか否かを私は常に自問自答していました。個人的な結論としては、すべては人類の叡智にかかっていると思います。その宗教観、民族主義、権威主義、人種偏見、市場経済という妄想、さらに利権的な排他主義。
あまりにも多くの価値観と、偏見に私たちは晒(さら)されています。
過去もそうであったように、未来も時代のもつ価値観は、多くの変遷を経ながらも私たちの幸福を奪うかもしれません。最先端の科学と医療が、地球上の全ての人たちに恩恵を与えるかというと、大きな疑問が残ります。現実の地球上でも、食料、医療、環境その他で、あまりに格差が見られます。
国別の平均寿命を比べても、実に大きな違いがあります。
世界一の長寿国は、我が国の84.2歳(2018年)ですが、アフリカ大陸には50歳に満たない平均寿命の国が多数あります。医療水準も日本がトップレベルです。そんな我が国では考えられない、感染症や栄養不良で、若い命が犠牲になっている地域は無数にあります。GDP(国民総生産)が世界一のアメリカ社会では、市場経済という化けものが跋扈(ばっこ)して、貧富の格差がどんどん広がっています。医療水準ではなく、医学水準は世界一のアメリカですが、その恩恵に預かっているのは人口3億3千万人の2/3ぐらいの人達と言われています。また世界の一部の地域では、中世的な独裁政治が続いている場所さえあるのです。
このように地域格差が著しい世界の現状で、ゲノム編集やAIの変革が、どのように利用をされてしまうのでしょうか?
政治的利用、利権的利用、宗教的利用、ある特殊な階層が自己の繁栄目的だけで、最先端の科学を悪用する危険性は限りなく広がっています。結局、世界の平和が何とか維持できるのは、パワーバランスしかないのでしょうか?
世界平和を願って、「国際連盟」から「国際連合」と名を変えて人類全体の幸福を祈り続けていますが、そんな祈りはまるで実現しそうにありません。より巨大な武器(核ミサイルのように)は、より巨大な殺人兵器となります。弓や剣の戦いでは、局地的な争いですみます。しかし、核ミサイルの使用では、局地的な戦争ではすみません。同じように最先端の科学技術も悪用されると、私たち人類に限りない不幸を招き寄せる結果となるかもしれません。
結局は人類の叡智に、すべてはかかっているとしか言いようがないのです。
科学技術の発達が私たち全てに、幸福な未来を与えてくれる事を切に願って、私の拙い「医学史観」を終章にしたい思います。
次回に続く。