潮騒は聞こえず(8)

清吉は高校を卒業すると、そのまま家業の食堂の跡を継いだ。店(ことぶき)はそれまで富江と、その母でやっていた。一階が食堂で二階が住居になっていた。それにタバコ屋を店先で営んでいた。店は4人座りのテーブル席が4つ、カウンター席が6人掛けでさらに8畳の和室席まで一つあったので昼と夜の掻き入れ時はかなり忙しかった。手伝いのパートを2、3人雇い入れ食うには困らない生活はしていた。祖母が急な流行り病で4、5日寝込んだと思う間もなく、あっと言う間に帰らぬ人となってしまった。69才であった。働き過ぎだと近所の人たちは噂し合っていた。清吉が高校を卒業する直前の2月の寒い日であった。そんな事情もあって自然の流れの中で清吉が祖母の代わりを務める様になっていった。高校時代も休みの時や夜の店の立て込んでいた時など、清吉は文句の一つも言わず良く手伝いをしていたので家業を継ぐのに何の抵抗もなかった。祖父は1945年3月10日の東京大空襲の日に亡くなっていた。終戦直後ことぶきは未だバラック小屋同然の店でしかなかった。それが1950年の朝鮮戦争の景気の煽りを受け店の売り上げは一気に伸びて行った。そのことぶきを曲がりなりにも一軒家の建物に作り上げて行ったのは、戦争から帰って大工職人の仕事に戻っていた貞雄の仕事であった。
明日に続く
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