潮騒は聞こえず(9)

紀子の父は27才で病没していた。肺結核であった。当時の結核は国民病とも呼ばれていて、日本人の死亡率一位の地位を長い間にわたり保持していた。結核の特効薬ストレプトマイシンは戦争後間もなく日本にも入って来ていたが、余りにも高価で誰にでも使える様な代物ではなかった。1回1gの注射で週に2、3回を3か月以上は使用しなければならなかった。1回の注射代が1万円もしたのである。10万円で40坪の一軒家が買えた時代の話である。一体日本中の何人の人たちが、この様な高価な治療を受ける事が出来たと言うのであろうか。医療保険制度もない時代で、病院に入院する事自体が一部の特権階級の人達にしか出来ない事であった。紀子の父に病院で入院する生活上の余裕があるはずもなく、ましてやストレプトマイシンを使用するなどは夢のまた夢でしかなかった。唯一の治療法と言えば紀子の母が町医者から貰って来る煎じ薬と、滋養をつける為の1日1個の生タマゴだけだった。紀子の目に写る父親の印象と言えば、いつも部屋の片隅で横たわり真っ白な顔をしてゴホン、ゴホンと咳をして、時には血まじりの痰を息苦しそうに吐きだす哀れな姿でしかなかった。
明日に続く
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