潮騒は聞こえず(11)

1週間ほどして道子はどうにか寝床から起きだす事が出来る様になってきた。貧しい長屋のおかみさん達の貧しい支えのおかげだった。昭和21年、まだ日本中が貧しかった。公園では保健所の炊き出しの素うどんの前に多くの人たちが長い列をなしていた。餓死者対策の国の一次的な緊急措置である。傷痍軍人たちが片手や片足を失いながらも、必死に生きようと、引きずるようにして不自由な身体を動かしながら募金活動に励んでいた。親もなく年端も行かない子供たちが町中の至る所で靴磨きをしていた。それ以外の学校にも行けない子供たちは、ルンペンの集団と化して万引きや残飯漁りなどでその日暮らしの生活を何とか凌いでいた。ともかく日本中が貧しさのどん底にあった。誰も彼もが明日の糧を求めて死に物狂いでいた。そんな時代の長屋のおかみさん達の好意である。自分たちの米さえ満足に手に入るかどうか分からない境遇での好意なのだ。余った金を恵むなどと言った好意とは似て非なるものがある。一杯しかない粟ごはんを何人もで分け合うような、究極の人間愛に近いものがそこにはあった。
明日に続く
関連記事

コメント