人は巡り合い

Marutanさんへの回答(6)
人生は巡り合いです。人間同士の巡り合いは当然の如く、それは本との巡り合いだったり音楽だったり、大なる自然の美しさだったりします。神の声が聞こえる様な超常現象も時にはあるのかもしれない。かって私自信が幾度か自殺未遂を行なっ事があるのは既に述べましたが、その時の私を救ったのは何か。それは断食です。1週間の断食で私はやはり仏陀の言葉を聞きました。「もっと生きなさい。お前は未だやるべき事を何もしていない。己が生きるべき意味を何も知り得ず朽ち果てて逝くのは、己が生命に対する冒瀆である」と。




返信ありごとうございます。てっきり認知障害だったと思っていたので、考えていたことがどっかに飛んでいってしまいました。
病的でなければ、理解しがたかった子どもと思います。島に帰った時、あまりにもの静寂に水平の向うは滝になっていてと考えてました。中世の世界観です。中学の時は転生輪廻を見出し、「私は天才かも」と1週間程思っていました。二千年前の仏陀の考えとわかりました。生まれつき古い考えを持っているみたいです。マイ宗教があったので、他の宗教(考え方)の誘いを受け入れられず、結局一人なのです。
私は・・・、社会性を身に付けるためにほとんど道場破りのような人生でした。思い出せました。
恥ずかしいので、忘れてしまいたいのです。
繊細な先生のブログに元寇よろしくどらを打ち鳴らし「牛豚持ってきたあるよ~」って入って来たようなものです。ありがたいお言葉です。
数少ない経験なので、どう対応していいのか分かりません。

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コメント

返信ありがとうございます。始めに前回のメールの「元寇」について書かせてください。私の知っている中で一番「派手な船」の意味で表現していて、攻めていくとかの含みは全くありません。誤解をまねく表現だったことをお許しください。
 先生は徳の高い人なんですね?断食したことありますが、一食で断念し仏陀の声もきこえなっかったです。先生とのやりとりで、気付くことが多いのでしばらく続けさせてください。お願いします。
 私が理解されにくいのは、「相剋の精神」だったかな?を持っているからです。考えることが常に両極に同時におこるからです。私にとって生きたい=死にたい、死ねない=生きれないなんです。常に死を意識しないと生きていく知恵も浮かびません。やけくそになって死のうとすればするほど、生きていく知恵が浮かびます。それでこの年まで生きています。私自身面倒くさいのです。