診察室からコンニチハ(49)

かつて大学病院の助手時代、「医師国家試験対策」補助指導を半年ほどさせられた事があります。医師になって9~10年目ぐらいだったと記憶しています。血液内科に籍を置いていましたので、指導教科は当然血液学です。5年間ぐらいの過去問を見ながら、最先端の知識にも目を通して20人一組で90分間の講義をして行きます。詳しい事は忘れましたが、90分間を1単位として4~5単位ぐらいのカリキュラムだったと思います。
未だ骨髄移植のない時代で、急性白血病は不治の病でした。自分より若い20代の人が亡くなった時は、治療をする立場の人間としては精神的にもかなりの苦痛を感じました。治療の基本は抗がん剤で感染症や貧血の悪化さらに止血対策など直面する課題は山の様にありました。関東地方全域から、白血病の患者さんが連日送られて来ました。確定診断としての骨髄穿刺(多くは胸骨から)も週に何度となく行っていました。若い女性からは、検査の不安から手を握る様に頼まれたりもしました。
抗がん剤の集中治療で一時的な効果は、かなり上がっていました。顕微鏡的に白血病細胞の認められなくなった病状を、当時の私たちは「寛解」と称していました。一度寛解に入ると退院になります。後は外来で経過を見て行くのですが、経過の良い患者さんですと1年以上は自宅での生活が可能でした。そして多くは8ヶ月~14ヶ月の間に再発してしまいます。そして、また厳しい闘病生活のスタートとなります。初回に比べると、治療効果はかなり落ちます。30代後半になると、度重なる抗がん剤の治療に体力が持たなくなるのです。白血病で使用する抗がん剤は、肺癌や胃癌で使用する薬剤とは比較にならないくらい副作用が強かったのです。それでも若く体力のある方は二度目の寛解に、何とか成功します。そして無事に退院の運びに漕ぎ着ける事が出来るのですが、三度目の再発で寛解に至るケースは極めて稀でした。
さて話を学生指導に戻りますと、彼等には白血病の分類や、どの様な白血病にはどの様な抗がん剤が効果的であるか、さらに多くの合併症に対する予防と治療法などを説明していました。23~25才ぐらいの若者たちは、皆んな真剣な眼差しで私の話を聞いていました。医師国家試験まで1年間を割りこんでいる時期ですから、彼等が真摯にならざるを得ないのは当然だったかもしれません。
そんな学生たちに授業の最後に、私が決まって送る言葉がありました。
「もし医療が完璧なもので、どの様な病気でも確実に治せるものなら医師は横柄な態度を取っても許されるだろう。しかし、現実には不治の病は永遠に存在するのです。それを現代医療の限界だと居直ってはならない。不治の病に直面する患者さんには、医師自らの至らなさを謙虚に詫びる心が必要です。一つの生命に対する敬虔(けいけん)な気持ちで、患者さん方の最期に贖罪すべきなのです」
こう言って、私は彼等を常に送り出します。
次回に続く
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