診察室からコンニチハ(77)

医師である事、そして自分自身もまたそれなりの疾患を抱えている事で、医療に対する謙虚さが出て来たと思うのは傲慢さの現れなのでしょうか?
60代も後半になってからは、血圧の変化が気になり出していますし、睡眠の質も確実に落ちています。
さらに持病であった腰痛も1~2年に一度ぐらいの頻度で数日間の休養に私を追い込みます。
それでも60代は、自分なりの努力は懸命に重ねて来ました。週に3日はプールで500メートル以上泳いだり、寝る前に腕立て伏せを毎日50回やったり、昼休みには病院から駅までの道を往復1時間以上早足で歩いたりと…
しかし、70才を超えるとその様な根気も続かなくなっています。もちろん、ただの言い訳に過ぎないのでしょうが…
聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明先生(享年105才)を例に出されると、私など未だ「小僧っ子」に過ぎないと思うのですが。100歳を過ぎても現役の医師を続け、高齢者が活躍できる社会のあり方などに提言を続けてきた先生の前では言葉を失います。しかし、あの様な方は私に言わせれば「精神と肉体の天性の美質」としか言い様がないのです。
それは巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏と甲子園に一度出場した高校選手とを比較しても仕方がないのと同様に、私と日野原先生を比べる事も意味のない事ではないでしょうか。私はただ医療に携わる事に限りない喜びを感じている、平凡な何処にでもいる医師に過ぎないのです。
私の人生後半(50歳を過ぎてから)は、如何に自分の愚劣さと対峙し、それを許容して行くかにかかっています。もちろん医師として患者さんの前では、健康管理上からそれなりの注意をしたりする事はあります。
それでも何処かで、そんな自分を笑っています。
「お前にそんな注意をする資格があるのか」と。
それは親が子供に注意する状況と同じかもしれません。自分の青春時代を振り返れば、とても言い出せない事を子供に諭したりしていますよね。学校の教師も医師も同じようなものではないでしょうか。
そんな思いを抱きつつ私なりの人生を、これからも頑張って行きたいと願っています。生涯現役を目指して。
次回に続く
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