診察室からコンニチハ(78)

人間の運命とは何か?
そして私自身の運命とは?
さらに認知症専門医を目指す私は、認知症にならないのか?
現在71才の私は、あと何年間は現役の医師として社会の中で役に立てるのか?
私の24才の娘は研修医1年目で、医師として一人前になる為には後、何年かかるのか?…最低でも10年はかかるだろう。それでも34才でしかない。病院スタッフ160名を抱えて、その年で病院長としての職務を全う出来るのか?
71才になった私の不安は、果てしなく拡がります。
しかし、全ては自分の運命に従うしかないのでしょう。焦れば焦るほど私の老後は惨めになるでしょうから。神よ、基本的に無神論者である私ですが、それでも何かに祈らずにいられなくなる時もあります。これで良かったのであろうか、真摯に生きて来たのか、自己の過去を振り返って後悔はないのか?
何と自分の人生とは後悔の日々では…そう考え出すと、やはり神と誰かに懺悔(ざんげ)をせずにはいられなくなるのです。如何に愚かな人生であったかと、首を垂らさずには…そんな思いで胸の中をを暗くする時もあります。
医師とは、多くの人々の死に立合う仕事でもあります。40数年以上の医師の日々の中で、泣きながら心臓マッサージをしていた若き日もありました。
30代、40代の患者さん方の死の立会いは辛いものです。医師としての無力感に襲われる事も度々でした。何故こんな若い人たちが死ななけばならないのだろうか。医師として私は何も出来ずにいる。何の為に医師となったのか、敗北感に襲われながらただ祈るしかなかったのです。現代医療の全てを試みても手が付けられない疾患は未だ余りに多いのです。そんな私が初めて精神的な混乱に陥ったのは24才の年でした。未だ医師国家試験前で、小児科病棟で実習していた時です。そして私が診る事を指示された患者さんは、4才の小児癌の男の子でした。それは2月のある寒い日の午後の事です。私は満面に笑顔を満面に浮かべ、彼の病室のドアを開けて
「さとる君、今日は!」
と、快活に声をかけました。しかし病室では、さとる君がママの胸の中で泣きじゃくっていました。
「本当に正義の味方なんているの?」と、
彼はママを責めていました。ママは彼の頭を撫でながら、
「ウルトラマンがいるじゃあない」
と、優しく答えていました。
「嘘だい、ウルトラマンなんか僕の病気をちっとも治してくれない!」
「でも、さとるの為に看護婦さんや先生たちが皆んなで病気を治そうって頑張っているでしょう」
「そんなの、みんな嘘だ。先生なんか注射しないって言って注射ばかりしている。大人はみんな嫌いだ!」
そう言って、さとる君はママの頭の髪を思い切り引っ張っりました。ママは彼のされるままに、ただ涙を流すばかりでした。私はその場にいたたまれず、黙って病室のドアをそっと閉めました。
それから10日後に、さとる君の幼い命の灯火は消えさってしまいました。その日、私は指導医から命じられ、彼の病理解剖に立ち会いました。その腹部臓器は癌細胞が幾重にも増殖していました。
それは溶岩の塊、マグマを想像させました。冬の寒さにもかかわらず私の額には汗が滲んでいました。病理解剖の後は一人トイレに駆け込み、私は涙と共に胃内に溜まっていた昼食を吐き続けていたのです。。その晩、私は一人のアパートで一升瓶を飲み干してしまいました。そんな甘ったれた自己の精神状況に嫌悪感を滲ませながら…
次回に続く
関連記事

コメント