診察室からコンニチハ(80)

あれは医師になって7年目頃の事です。私が新米の医師の時代に講師であった山村先生(仮称)が開業なさって5年を経た頃だと記憶しているのですが、幾らか時間的なズレはあるかもしれません。新米の医師だった私にとって10年以上も経験豊かな講師の山村先生は、正に雲の上の存在でした。
その先生が講師になって1年もしない間にご家庭の都合でもあったのか、クリニックを開業なさってしまったのです。山村先生の送別会には出たものの新米医師の私は日々の忙しさの中で、ひたすら自分の仕事に埋没していました。学会の演者としてのデビューも果たし、博士論文のデータ収集にも追われていました。そんな時期に山村先生の奥様が胃癌末期で大学病院に入院して来ました。偶然にも奥様の主治医だった私は、幾度となく山村先生と病状説明をする機会を持たされました。未だ40代半ばだった奥様は胃癌手術や抗がん剤治療にも、よく耐えていらっしゃいました。手術後の病状経過や、抗がん剤の副作用報告も10回以上はさせて頂きました。これらの質疑応答の中で私が驚かされた事は、あまりに山村先生の基礎的な質問の数々です。実の奥様の病状の事で心の動揺は穏やかではないとしても、かつては神の様に崇めていた先輩医師の医学的レベルの低下を目の当たりにして、クリニックを開業すると云う事は、この様に変わり果ててしまう事なのかと、私に強い印象を抱かせたのです。風邪、高血圧、糖尿病、高脂血症と巷に溢れた疾患ばかりを診て、少しでも重症化した患者さんはすぐ病院に送ってしまうと云う医療活動をしていたら、医学的なレベルの低下は免れないのではないかと、私は大きな疑問に突き当たったのです。自分自身の医学的なレベルを下げないためには勤務医を続けるか、自分で病院を経営するかの岐路に立たされたのです。出来れば自分が理想とする病院作りをしたいと、夢は大きく拡がって行きました。大学病院のもつルールの為のルールにも嫌気がさしていました。
次回に続く
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