診察室からコンニチハ(81)

しかし一口に病院経営をすると言っても、その経済的資金はどうするかが大きな壁でした。医師になってから5~6年目ぐらいからは大学以外でのバイトも多くなっていました。当時の母校の校風は比較的に自由な雰囲気が強く、外での日勤は週に1日半と云う規定でしたが、(現在は週に1日)それさえもルーズに破られていました。夜勤当直は自分の体力次第でした。大学病院での当直が月に1~2回程度でそれ以外には月に7~8回程度の夜勤当直をバイトでこなしていました。ですから30才前後からは年収で700万円から1千万円前後はバイトで稼いでいました。さらに私の敬愛する先輩医師から、
「若い間はなるべく救急指定病院でバイトした方が実践力が早く身に付く」
と言われ、経済的理由と臨床医としての症例経験を沢山積んでおきたいとの思いからバイトに励みました。妻が出産で実家に帰っている間などは、月に25回も夜勤当直をした経験もありました。肉体的な疲労感は限界に近かったのですが、精神的にはとても充実していた様な気がしていました。医師になってから6~7年目からは誰よりも早く救急車の音に気付くようになっていました。自宅で寝ている時などにも、
「もう直ぐ救急車の音が聞こえて来る」と言って、
隣に寝ている妻を驚かせた事が幾度ともなくありました。バイトの救急指定病院での正月当直には1晩で18台もの救急車を一人で対応した事もありました。ともかく30才前後と云うのは、医師の仕事が面白くて仕方がなかったのです。
しかし外でのバイトが許されたのは、大学で重症の患者さんを受け持たない場合だけでした。当時、血液内科に籍を置いていた私は、白血病などの重篤な患者さんの主治医になる事が多かったので、そうなるとバイトには行けず大学で無料の当直をさせられる日々も幾度かあって、その結果バイトでの収入が激減して月に30万円近い金額が手元に入らず、通帳のお金を取り崩して生活費に充てる事も稀ではありませんでした。ハードな仕事を与えられながら月の収入が半分以上も減ると云うのは、精神的にはかなり辛かったのです。如何に医療の本質がボランティアなどと偉そうな事を言っても、妻子を抱えた身には厳しかったのが現実でした。
次回に続く
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