診察室からコンニチハ(84)

高齢者の医療とは何かを模索していた私は、その新しいバイト先に期待を込めて臨みました。限られた老後のQOL(生活の質)を如何に向上させるか、その為に出来る医療とは何か?
そんな思いに駆られて始めたバイトでしたが、その経営者とは明らかに医療に対する考え方が違っていました。
彼は親の代から精神病院を運営していて、精神病院の経営効率よりは老人病院の経営効率の方が高いであろうとの利益追求主義から、新しい病院運営に乗り出したのでした。不必要な検査、不必要な点滴が日常的で医療と言うよりは、医業(医を業務と考え利益が中心)的な思考しか持っていませんでした。さらに私がこの病院で学んだ事は、古い体質の精神病院では医療を行うと云うより精神障害の患者さんをただ預かるという発想を抱いている病院経営者が、かなり多いという印象でした。
その様な精神障害の患者さんについては、当時の精神医学では不治の病的な思考が根強く根本的な治療は最初から断念しているケースが余りに支配的でした。
医療関係者のみならず、社会でも、
患者ではなく、邪魔者という考えを多くの人達が持っていたのです。
ですから治療法が確立していない抗精神病薬で、種々の副作用から死にいたっても責任の追求はおろか、患者家族から歓迎される事も稀ではありませんでした。
それと同じ発想が老人病院にも適用されていたのです。認知症の老人が亡くなっても、悲しまない家族もいたのです。そう云った時代背景もあり、昭和50年代までは眉間にしわを寄せたくなるような老人病院の経営者もおり、社会問題となった事もありました。
私はその後も幾つかの老人病院を見て回りましたが、医療不信と言うよりは、不道徳な臭いが漂う病院も少なくなかったのです。心電図やレントゲン撮影もただ点数稼ぎの為に行うだけで、その1枚もまともに読影していない様な病院さえあったのです。もちろん薬の使用方法も乱雑を極めていました。常識的な知識を持った内科医なら正視出来ない医療現場も多かったのです。その様な病院の幾つかを見て、私は良質な高齢者を中心とする病院経営を目指してみたいと思うようになったのです。
自分一人の力で、その様な病院経営をしてみたいと思っていたのですが、現実には不可能でした。結局は都市部で幾つものビジネスを手がけていた父親から、財政的な援助を受ける事になってしまいました。
次回に続く
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