診察室からコンニチハ(97)

この自宅兼診療所と云うスタイルは、昭和の終わりから平成にかけて激減しました。特に平成バブル崩壊で、不動産不況に陥った借り手のないテナントビルをクリニックとして活用するアイディアが急激に拡がりました。開業を目指す医師たちも、この企画に飛びつきました。自分で建物を購入する必要がないので、初期投資が大幅に軽減したからです。それ以上に診療時間が終わればクリニックのドアは閉じてしまうので、それ以後は自分のプライベートな時間として自由に過ごせると云うメリットが歓迎されたのです。この波は都市部で急激に拡がりを見せました。しかし、土地や建物のコストが安い地方では未だ自宅兼診療所と云うスタイルは存続していました。地方では不動産業がテナントビルを作って医師を誘致すると云うビジネスモデルが成立しにくかったのかもしれません。その結果、都市部ではそれまで一時救急(軽度の発熱や腹痛などで入院を要しないもの)の担い手だった開業医の仕事が病院に回って来たのです。そして病院には、これまであまり診る必要のなかった風邪や軽度の怪我までが夜勤帯に患者さんとして押し寄せて来る様になりました。開業医が解放された分、勤務医の仕事が増えました。この様な診療体制の変化の中で、開業医の経営効率は良くなり、病院の経営効率が悪化して行きました。そんな時代の流れに沿って、病院の勤務医が積極的に開業を目指し始めました。その結果ビル診のクリニックが乱立して、開業医は過当競争へと突入して行きました。そして当然の如く今度は開業医の経営効率が悪くなり出しました。
ここで我が国の保険制度を少し振り返ってみましょう。昭和36(1961)年に国民皆保険制度が確立し、全ての国民が一定の負担で医療を受けられるようになりました。これにより医療需要が増大しました。さらに昭和48(1973)年1月から老人医療(70歳以上)無料化が実施された事により、診療所と病院は黄金期を迎えました。診療所は「老人のサロン化現象」を呼び起こし、病院は寝たきり老人の「社会的入院」が問題となっていました。この様な時代背景にあって、昭和50年代前半ぐらいまでの開業医は、自宅兼診療所で投資した多額の借り入れ額を7~8年で返済出来たと言われました。当時の銀行は医院の開業資金は無条件で全額融資してくれました。病院経営も同じで、まともな医療行為のみに専念するだけで借金の返済を気にする必要など全くなかったのです。
この医療保険制度により日本人の平均寿命は飛躍的に伸びましたが、国民医療費の膨張を招きました。
この為に政府は昭和57(1982)年、老人医療費に一定額負担の導入を実施しました。これ以上の無料化には耐えられなくなって来たのです。
次回に続く
関連記事

コメント