診察室からコンニチハ(104)

☆2世紀前半 - 後漢の華佗が、麻沸散を用いた全身麻酔で開腹術を行ないました。
☆3世紀前半 - 後漢の張仲景が『傷寒雑病論』(後の『傷寒論』と『金匱要略』)で急性の熱病の治療法を著しました。
*『傷寒論』(しょうかんろん 繁体字: 傷寒論; 簡体字: 伤寒论; ピン音: Shānghán lùn)は、後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した伝統中国医学の古典で、内容は伝染性の病気に対する治療法が中心となっています。
*『金匱要略』(きんきようりゃく)は、中国の古典医学書で『傷寒論』とともに東洋医学の薬物療法の古典として最も重要視されています。『傷寒論』は傷寒という急性熱性病の病状の変化とこれに対応する治療の法則を述べたのに対し、『金匱要略』は病類別に種々の病を取り上げ、その病理と治療方法とを述べました。
☆3世紀後半
西晋の皇甫謐(こう ほひつ、215年 - 282年)が、『黄帝三部鍼灸甲乙経』 を著しました。
*『黄帝三部鍼灸甲乙経』
「黄帝内経素問」、「霊枢」に「明堂」を加えて、西晋の皇甫謐により再編集された針灸医学書。古代の鍼灸書として現代に残る最も重要な文献の一つとされています。
701年大宝律令の医制により日本の典薬寮における医学の教科書の一つに指定されました。
☆4世紀 - 東晋の葛洪が医書『肘後備急方』を著しています。
*『肘後備急方』は原名を『肘後卒救方』と呼び、唐宋以降の『備急千金要方』『外台秘要』等の方書を引用しています。急性伝染病、各臓器の疾病、外科、婦科、児科、口腔、眼科等の病症に対する実用的な方書です。一方の葛洪は東晋の医学家、煉炭家、道教理論家で本書は明・万暦劉自化刊本を底本とし、明・正統道蔵本(涵芬楼影印)、清・乾隆『四庫全書』写本を校本として校勘を施しています。
☆6世紀前半 - 梁の陶弘景が『神農本草経集注』を編纂しました。
*『神農本草経』は神農氏の後人の作とされていますが、実際の撰者は不詳です。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述しています。上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としています。
☆7世紀 - 隋で医書『千金要方』が編纂されました。
*『千金要方』30巻は、医学道徳の規範、臨床知識、婦人・小児・内・外科それぞれの病証と解毒・救急・食治・養生・平脈・針灸・孔穴主治・導引などを述べています。232門に別れ、五千三百の方を収めました。唐代以前の医薬学の集大成というべきで、前に紹介した巣元方の「諸病源候論」につぐ総合医学百科全書であります。ユニークなことに、一般内科よりも先に婦人科・小児科があり、彼が婦人や子供の保健衛生を特に重視したことを示しています。
☆610年 - 隋の巣元方(そう げんぽう)が『*諸病源候論』を著しました。
* 『諸病源候論』【しょびょうげんこうろん】
病源候論とも。中国の隋の医家,巣元方らが610年ごろ煬帝(ようだい)の勅を奉じて編纂(へんさん)。50巻。広く病名をあげ,症候を記述し,病源を論じたもので,現存テキストは原本とかなり異なった編成となっていますが,後代に大きな影響を与えた医書です。
☆8世紀 - 唐の官吏・王濤が漢方処方を『外台秘要』として編纂しました。
*げだいひよう【外台秘要 Wài tái mì(bì) yào】
752年(天宝11)に王燾(おうとう)が編纂した中国臨床医学書。40巻。内科疾患が主な対象でありましたが,その他の疾患も含んでいます。当時存在していた医書からの引用文のみで構成され,病因とか病状についての短い記述も含みますが,大部分は薬物処方です。唐時代の治療法がわかるだけでなく,他の書と違って引用文の出典を明記しているため,現在残っていない医書の内容を知り得る貴重な書です。
☆9世紀 - アル=ルハーウィーが『医師の倫理規約』を著しました。
次回に続く
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