診察室からコンニチハ(106)

☆1000年頃 - アンダルシアのアブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー (Abulcasis: Abu al-Qasim) が『解剖の書』(Kitāb al-Taṣrīf: Al-Tasrif) を著し、外科技術や各種治療法、臨床学、自ら設計した医療機器などについて論じました。
☆1010年頃 - イブン・スィーナー(アヴィセンナ:Avicenna)が、『治癒の書』(Kitāb al-Shifā': The Book of Healing) と『医学典範』(Qānūn fi al-Ṭibb: The Canon of Medicine) を著しました。
☆1170年頃 - イブン・ルシュド(アウェロエス:Averroes)が、『医学大全』(Kulliyat, ラテン語名:Colliget)を著しました。
☆1242年 - イブン・アン=ナフィース (Ibn an-Nafis) が、心臓に左右の心室が存在することと、血流の小循環について著述しました。
☆1249年 - ロジャー・ベーコン (Roger Bacon) が遠視を治療するための凸レンズ眼鏡について著述しています。
☆14世紀 - グラナダのイブン・アル=ハティーブが天然痘、コレラ、腺ペストなどの流行病の医療現場での体験から、接触感染による伝染について研究していました。
☆1396年 - 明の劉純が医書*『玉機微義』を著しました。
*『玉機微義』の鍼灸までが徐彦純『医学折衷』の部分であり、残り第八巻 ~三三巻、四四巻~五○巻までを劉純が新たに補訂したものです。
さてここで鍼灸法として特徴的な方法を見てみると、瘡瘍の切開法も鍼法とみなし、心 痛の刺法は胸腹中の虫を狙い刺す方法であり、産に臨んで横生するものに鍼を刺して転じさせる法 があると説き、また刺法においては潟血法が多く見られたとあります。
『玉機微義』の鍼灸を総括すれば、灸法を主体とし、鍼法では出血などを多用し、また外科系疾患に多く適応されました。
☆1403年 - ヴェネツィアが、*黒死病(ペスト)に対して罹患者隔離を実行しました。
*ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行した病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多く、ノミ(特にケオプスネズミノミ(英語版))がそうしたネズミの血を吸い、次いで人が血を吸われた結果、その刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込んだりすることで感染するのです。人間、齧歯類以外に、猿、兎、猫などにも感染しています。
かつては高い致死性を持っていたことや罹患すると皮膚が黒くなることから黒死病と呼ばれ、恐れられていました。世界史に数次の全地球規模の流行が記録されており、特に14世紀の大流行は、世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させたとも言われています。
☆1451年 - ニコラウス・クザーヌス (Nicholas of Cusa) が、近視を治療するために凹レンズ眼鏡を発明しました。
☆ 15世紀 - イランのマンスール・ブン・ムハンマド・ブン・アル=ファキーフ・イルヤースがペルシア語による人体構造、循環器系(肺循環含む)、神経システムについて図示した『人体の解剖の書』が作成されました。
☆16世紀初頭 - 商人にして医師・錬金術師のパラケルススが、神秘学を退けて、薬として化学物質と鉱物を利用する先鞭をつけました。
☆1515年 - 明の虞天民が『医学正伝』を著しました。
☆1543年 - アンドレアス・ヴェサリウスが、De Fabrica Corporis Humaniを出版し、ギリシア医学の誤りを正して医学に改革をもたらしました。
☆1546年 - ジローラモ・フラカストロ (Girolamo Fracastoro) が、伝染病は受け渡される種子のような何かに起因すると提唱しています。
☆1553年 - ミシェル・セルヴェ (Miguel Serveto) が、肺を経由する血流の小循環について著述しました。
☆1559年 - レアルド・コロンボ (Realdo Colombo) が、血流における肺の小循環についての詳細を記載しました。
☆1578年 - 明の李時珍(り しちん、1518年 - 1593年)が52巻の*『本草綱目』(1590年刊行開始、1596年完結)で1,892種の薬、附方11,916点を編纂しました。
*本草綱目(ほんぞうこうもく)は、中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作です。作者は明朝の李時珍(1518年 - 1593年)で、1578年(万暦6年)に完成、1596年(万暦23年)に南京で上梓されました。日本でも最初の出版の数年以内には初版が輸入され、本草学の基本書として大きな影響を及ぼしました。中国では何度も版を重ねましたが、日本でもそれらが輸入されるとともに和刻本も長期に亙って数多く出版され、それら和刻本は3系統14種類に及びました。
☆1584年(天正12年)、家康が羽柴(豊臣)秀吉と戦った小牧・長久手の戦いの時、背中に癰(よう;細菌感染による腫瘍)ができました。家康自身の膿をしぼりだしたりする処置では悪化するばかりでしたが、家臣がもってきた薬と灸により細菌感染を防止したと云う逸話が残っています。抗生剤の無かった話しです。
☆1607年(慶長12年)、林羅山が長崎で本草綱目を入手し、駿府に滞在していた徳川家康に献上しました。これを基に家康が本格的に本草研究を進める契機となっています。
この「本草綱目」は、2011年にユネスコが主催する世界記録遺産にも登録されております。
次回に続く
関連記事

コメント