診察室からコンニチハ(108)

☆1800年 - ハンフリー・デービーが、☆亜酸化窒素が麻酔作用をもつことを発表しました。
*亜酸化窒素(あさんかちっそ。英語、nitrous oxide)とは、窒素酸化物の1種です。化学式ではN2Oと表されるため、一酸化二窒素(いっさんかにちっそ)とも呼ばれています。
ヒトが吸入すると陶酔させる作用があることから笑気ガス(しょうきガス。英語、laughing gas)とも言い、また麻酔作用もあるため、全身麻酔など医療用途で用いられ、世界保健機関においては必須医薬品の一覧にも載せられています。
この亜酸化窒素の医学的な応用により、外科手術は患者さん方に苦痛や不安を与える事なく安全性も格段に向上しました。
しかし実際の医学的な応用はかなり遅れ、この後も100年以上は戦火時の、鉄砲傷や刀傷で上肢や下肢に深く傷が入り壊疽化した場合は、上下肢の切断術が麻酔なしに行われました。一人の傷痍軍人に大の男4~5人が力づくで抑えつけ軍医ではなく、大工などが切断した例も多かったと記録されています。傷口には焼酎を吹きかけながら実施されたらしい様です。この為に患者の、多くは途中から失神してしまった例も多かったと記載されています。
☆1804年 - 華岡青洲が世界初の全身麻酔下における乳癌手術に成功しています。
この時に華岡青州が用いた麻酔薬は
「有吉 佐和子の『華岡青洲の妻 (新潮文庫)』」小説によると亜酸化窒素ではなく麻沸散(2世紀前半 - 後漢の華佗が用いた麻酔薬)を改良したものだと言われています。
☆1815年(文化12年)−杉田玄白が『*蘭学事始』を著しました。
『*蘭学事始』は83歳の杉田玄白が蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記で上下2編で構成されていました。
その内容は、戦国末期の日本と西洋の接触から書きおこし、蘭方医学の発祥、青木昆陽や野呂元丈によるオランダ語研究などを記述しています。白眉はオランダ医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳する苦心談です。明和8年(1771年)3月4日、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らは小塚原の刑場で刑死者の腑分け(解剖)を見学し、『ターヘル・アナトミア』の図版が精確なことに一同感銘して翻訳を決意しました。辞書すらない当時の環境下で苦心のうち翻訳を進め、安永3年(1774年)に『解体新書』として刊行する経緯が現場にいた者の目で描きだされていました。特に良沢の名は『解体新書』には記されていなかったため、本書で初めてその業績が世に知られました。他にも、平賀源内、桂川甫周、建部清庵、大槻玄沢、宇田川玄真、稲村三伯など、同時代の蘭学者のエピソードが記されていました。正にここから西洋医学の芽生えが始まったのです。
☆1816年 - ルネ・ラエネク(フランス)が聴診器を発明しました。
☆1818年 - ロンドンの産科医ジェームズ・ブランデル (James Blundell) が、致命的な弛緩性出血の産婦に人血輸血を行いました。
☆1842年 - クロウフォード・ロング (Crawford Long) が、最初の麻酔を利用した手術を行っていましす。
1800年に亜酸化窒素について書いた論文にあったジエチルエーテルでの同じ生理学効果を観察した後で、1842年3月30日にジョージア州ジェファーソンの患者ジェイムズ・M・ベナブルの首から腫瘍を除去する為に初めてエーテルを用いました。ロングは続いてベナブルから2つ目の腫瘍を取り除き、切断術や出産のための麻酔剤としてエーテルを使いました。これら試行の結果は1848年に「南部医科と外科のジャーナル」に掲載されました。
次回に続く
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