潮騒は聞こえず(20)

昭和5年から9年まで続いた東北地方の大飢饉は日本史上最後の大飢饉とも言われ農家では多くの身売りと欠食児童が続出した。イネはそんな飢餓に苦しむ農家の三女として生まれた。物心がついた3~4才ぐらいから思う事はいつも「何かを食べてぇ。一度で良いから米の飯を腹一杯食ってみてぇ」と、姉ちゃんたちと顔を見合わせる度に繰り言を言う毎日だった。じいちゃんが中風で倒れ亡くなる2日前に「米の飯が食いてぇ、死ぬ前に一度は米の飯を食ってみてぇ、俺たち百姓が働きに働いて作った米だ。それなのに俺たちの口に入る物は何時だって粟や雑穀ばかりだ。何のため働いて来たんだ。せめてよ、死ぬ前に米の飯を食いてぇ」と、悲痛な訴えをするもんだから、おっかぁが隣近所を拝み倒して何とか一合の白米を掻き集めたもんだ。出来上がった真っ白で温かいそのご飯の美味しそうな事、そんなに真っ白いご飯を見たのは初めてだった。姉ちゃんたちも、あたいも釘付けになってその真っ白なご飯を見続けていた。しかし、じいちゃんがそのご飯を口に出来たのは、ほんの5、6粒でしかなかった。「もう良い、有難うよ。手間かけたな」と、言いながら息苦しそうに咳き込んだ。じいちゃんがそのまま横になったのを見計らって一番上の姉ちゃんが、おっかぁの顔と真っ白なご飯とを見比べた。「良いから、お前たちだけで食べちゃいな。じいちゃんにはあれで十分だ」と、おっかぁが言うよりも早く姉ちゃんたちとあたいは奪う様にして、そのご飯をあっという間に食べてしまった。美味しいの何の、正月が一辺に来たようだった。じいちゃんが死んでからも家は貧しくなる一方だった。一番上の姉ちゃんは10才で女中奉公に出され、次の姉ちゃんは流行り病で2、3日も寝ないで死んでしまった。9才だった。もちろん医者にかかるなんて事は誰の頭にも浮かばなかった。一人残ったあたいは毎日、野良仕事や水くみで忙しかった。11才の時、たまたま通りかかった嫌らしい目つきをしたおじさんが「お前の家はどこだ」と、ニャニャしながら聞いて来た。
明日に続く
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