診察室からコンニチハ(114)

*ロボトミー手術【日本】 
日本では1942年(昭和17年)、新潟医科大学(後の新潟大学医学部)の中田瑞穂によって初めて行われ、第二次世界大戦中および戦後しばらく、主に統合失調症患者を対象として各地で施行されていました。
また1975年(昭和50年)には、「精神外科を否定する決議」が日本精神神経学会で可決され、それ以降は行われていません。日本では、このロボトミー手術を受けた患者が、インフォームド・コンセントのないまま手術を行なった精神科医の家族を、復讐として殺害した事件にまで発展しています(*ロボトミー殺人事件)。
*ロボトミー殺人事件 : 1979年9月、元スポーツライターだったS(当時50歳)が、精神外科手術を受けたことで人間性を奪われたとして、執刀医の殺害と自殺を目論み医師の自宅に押し入り、医師の母親と妻を拘束し本人の帰宅を待つが、予想時刻を過ぎても帰宅しなかったことから2人を殺害し金品を奪って逃走してしまった。池袋駅で職務質問した警察官に、銃刀法違反の現行犯で逮捕されています。
1993年、東京地裁で無期懲役の判決が下りますが、検察側・S側双方が控訴、1995年に東京高裁が控訴を棄却したため、S側が上告するも1996年に最高裁で無期懲役が確定しました。
【犯人の人物像 】
犯人のSは家計を助けるため働きながら勉強しており、正義感の強い真面目な青年として知られていました。20歳にして通訳となるも、親の看病のため帰郷し土木作業員として働き出しました。しかし、関連会社に仕事上の不正を抗議した際、貧しい経済状況から、出された口止め料を受け取ってしまい、これを会社は恐喝行為として訴え、Sは刑務所に収監されました。…会社側の偽証の疑いも拭いきれません。
出所後は翻訳の仕事から、海外スポーツライターとして活動を始め、事務所を開いて実績を積んで行きました。
しかし1964年3月、妹夫婦と親の介護について口論になり家具を壊して、駆けつけた警官により逮捕、精神鑑定にかけられました。精神病質と鑑定されたSは精神科病院に措置入院となり、病院内で知り合った女性がロボトミー手術により人格が変わってしまい、その後自殺したことに激怒、執刀医に詰め寄ったことで危険だとしてロボトミーの一種、チングレクトミー手術を強行されました。この医師は、Sの母親に詳しく説明せずに手術の承諾書にサインをさせたといわれています。
☆名古屋大学医学部精神医学教室で、ロボトミーを受けた患者の病理解剖では、前頭葉全体が空洞化されており、スカスカだったと言われていました。当時解剖した患者で一番多かったのはアルコール依存症でした。なお、同教室の医師が他の医師と手術の統計をまとめようとしたところ、手術記録や診療録が、何処にも見当たらなかったと言われました。これは前出のロボトミー否定の学会決議を受け、病院側が資料を破棄したものと見られています。
日本精神神経学会の1975年(昭和50年)の精神外科を否定する決議でロボトミー手術の廃止を宣言したことから、日本の精神科において、精神疾患に対してロボトミー手術を行うことは、精神医学上禁忌となっています。しかし、精神障害者患者会の一つ、全国「精神病」者集団の声明(2002年9月1日)では『厚生省の「精神科の治療指針」(昭和42年改定)はロボトミーなど精神外科手術を掲げており、この通知はいまだ廃止されていません。』と主張しています。
次回に続く
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