診察室からコンニチハ(128)

☆アシロマ会議の発端は組み換え技術を開発したポール・バーグが腫瘍学者のロバート・ポラックにその危険性を指摘されたことに始まります。最初は反発したバーグでしたが、ポラックに説得され、米科学雑誌サイエンスにジェームズ・ワトソンらなどと連名で遺伝子組み換えのガイドラインに関する国際会議を行うことを呼びかけました。この会議はアシロマの国際会議場で開催され、会議は「生物学的封じ込め」によって合意をみました。また各国はこの会議に基づいて「物理学的封じ込め」などのガイドライン制定も行いました。日本では「組換えDNA実験指針」が取り決められました。
☆遺伝子組み換え生物による生物多様性の破壊を防ぐためにカルタヘナ議定書が2003年11月21日に締結されています。日本ではこれに対応するための国内法(カルタヘナ法)が制定され、組換えDNA実験指針に代わって規制の中心としています。
☆生命倫理の観点から科学者が自ら束縛を許容した背景には、当時の分子生物学者には戦後に核物理学から転向した者が多く、自分達の科学技術が原子爆弾に応用されたことへの反省もあったと思われます。
現在の生物学・生命科学は様々な倫理的問題を潜在的・顕在的に抱えており、アシロマ会議は生物学における倫理規制の古典的な例として引き合いに出されることが多いのです。
☆1978年 - 世界初の体外授精児(ルイーズ・ブラウン)誕生。
*初の人工受精児は父ジョンと母レズリーの間に産まれました。2人は9年間子供を授かろうと努めていたものの、レズリーの卵管に異常があったため自然妊娠はかなわず、体外受精に望みを託しました。この体外受精技術は、ケンブリッジ大学のロバート・エドワーズ教授と婦人科医パトリック・ステップトーが12年に渡る研究の末に完成させたもので、1977年11月10日に母体から採取された卵子を体外受精させ、2日半後、受精卵を母の子宮へ移し、その後は普通に成長して行きました。
この技術には非難も多く、ロンドンでは連日集会が開かれました。一方で、自宅には祝福する手紙も多く届けられていました。
☆1978年7月25日午後11時47分、イングランド北部のオールダム総合病院で、帝王切開により世界初の体外受精技術による子供が誕生しました。出生時の体重は5ポンド12オンス(2608グラム)でした。ルイーズと名付けられた子供の誕生はその後、不妊治療の大きな希望となり世界中の注目を集めました。
両親は婦人科医のステップトーにミドルネームの命名を依頼しました。ステップトーは「これから全世界の人々と喜びを分かち合う」ということで「Joy(喜び)」と名付けました。
4歳の頃に両親から産まれた時のフィルムを見せられて事情を説明され、他の人と違う方法で産まれてきたことや常にマスコミが興味を示してくる理由を理解したと言われています。
彼女は成人して看護師をした後、2002年3月に警備員をしていた男性ウェズリー・マリンダーと出会い、2004年9月4日に結婚。ブリストルの教会で行った結婚式にはエドワーズ教授も招待されました(婦人科医パトリック・ステップトーはルイーズが10歳の時に他界)。
2006年7月11日、ルイーズが自然妊娠していることが発表されました。2006年12月21日に男の子を出産し、2013年には次男を出産しています。
ちなみに、ルイーズの妹ナタリーも1982年、体外受精で誕生しています。ナタリーは1999年5月、最初に子供を産んだ試験管ベビーとなり、「体外受精で生まれた女性は将来、健康な子供を産むことができない」というそれまでの懸念を覆しました。
次回に続く
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