潮騒は聞こえず(22)

こうしてイネは数え年12で政司により吉原に連れて来られた。華龍の女将、梅里は一目でイネを気に入った。「あんた、名前は何と言うの」、「へい、イネどす」、「イネね、ちょっと野暮ったいわね。何か良い名前がないかね。そうあんたがその髪に付けている鈴は何だい」、「へぇ、小さい時かぁちゃんから縁日で買ってもらったんどす」、「ふぅん、まあそれは良いとしてもその言葉遣いは何とかしなきゃね」と、梅里が言いかけた時に政司が横から口を挟んだ。「お母さん、それは心配ないですよ。この華龍の水で磨かれりゃ、ズーズー弁なんか直ぐになおりますよ。それより髪の鈴から思ったんですがね一層、鈴枝ってのはどうですかね」と、政司が自分のふとした思いつきを口にした。「鈴枝ねぇ、うん良いかもしれない。政さん、あんたセンスがあるじゃないか」との一言で、イネは鈴枝となった。鈴枝は半年程は華龍で下働きをしながら礼儀作法を仕込まれた。そして禿(かむろ)としての教育が始まった。19才の秋には早くも水揚げされた。旦那は海運業の大物、熊沢輝雄56才だった。通人らしく親子以上に年の離れた鈴枝にかなり気を遣い対応は極めて優しかった。7年の歳月が鈴枝をすっかり変えていた。貧しい農家の百姓娘イネの面影は今や何処にも残していなかった。華龍の中では超売れっ子で指名が絶える事はなかった。しかし客の多くが軍人達で占められる様になって来た。佐官級クラスの陸軍大出がほとんどだった。彼らは総じて気が荒く鼻っ柱が強かった。花代を自分の金で払うという習性はまるで無く、全てが御用商人回しだった。女の扱いも自己中心的だった。ただの性的はけ口としか考えていなかった。それを横目で見ながら熊沢は、年甲斐もなく軍人達を憎んだ。そして鈴枝が21才の年に早くも熊沢は、5千円(現在の価値で5千万円ぐらい)で吉原から落籍(ひかせ)た。それは折りしく昭和17年(1942)の5月の事である。この年の6月に日本海軍はミッドウェー海戦でアメリカに大敗北を喫し、太平洋の制海権はアメリカのものとなって行った。熊沢の経営する海運業も、当然のごとく待ち受ける運命は予断の許さないものとなって行くのだった。
明日に続く
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